夏休みの間、病院へ行けなかったこともあり、9月はよく病院へ行っていました。
泌尿器科で、看護師さんにこう言われました。
家族のものが全く来ないから、看護師さんに迷惑をかけていて、それで自分は退院できないんじゃないかって言ってました。と。
まわりは奥さんとかお子さんとか毎日来てるもんねえ・・・。
寂しいのかな。
そう思ったから、よく病院に行っていました。
30分でも顔を見せたり、話をしたりすれば、少しでも寂しさは感じないのではないか、そう思ったから。
自分が81で入院したときに、毎日誰か来てくれたら、嬉しいなって思ったから。
パスピーにも充分チャージして、定期入れも新調して、バスに乗って、時々アクセラで、じいちゃんに会いに行きました。
自己満足。
と言われれば、そうなのかもしれない。
そうゆう自分に酔っていたのかもしれない。
そのうち、病院からの頼まれごとを引き受けるようになり、病院からの電話も受けるようになり。
私には、息子が『突発性上室性頻拍』の疑い(まだ診断つかないんで)があり、発作の原因も分からないので、本当に毎日不安なのですが、発作が午前中に集中していることから、午前中は家にいて、家事をして、万が一の時はすぐに学校にいけるようにしておりました。午後から病院に行くのですが、帰りは6時7時になっていました。
洗濯物を持って帰って、汚れているので手で予洗いをして、また持って行って。
毎日、そんな感じで、やはり疲れが蓄積されていったので、旦那が心配していました。
しんどい、と思っていましたし、口に出してました。
熱も毎日出ていて、微熱といえども8度近く出た時は、寝たいと思ったし、気分が悪いなと思った時には、吐いてしまい。
そんな毎日だったので、明日はゆっくりしようかな。と思ったとき、
洗濯物取りに来て。
って、母から電話があって。
え、今病院なら、お母さんが持って帰ればいいじゃんって言ったのですが。通じず。
そんなわけで、洗濯物係になってました。
なんでゆきがしなきゃいけないの?っていう疑問を、旦那はずっと持っていたようです。
事件が起こったのですが、発端は、私のフラッシュバックでした。
すごく責任感の強い私は、とても自分を責めてしまうのです。
あの日、救急車で、私は脳裏に強くばあちゃんが死んだときのことを思い出してしまいました。
電気が走ったように思い出したのです。
じいちゃんの命が危ない、と感じてしまった時に、強烈に自分を責めてしまいました。
なぜもっと早くに気が付かなかったのか、
なぜもっと早くにじいちゃんちに行かなかったのか、
なぜ一人にしてしまったのか。
どうして自分は、こんなに役に立たないのか。
それは、談話室で起こりました。
おじちゃんと、母と、旦那といたのですが。
ある言葉がきっかけで、どくんと強く動悸を感じて、胸が苦しくなり、呼吸が苦しくなり、涙が止まらなくなり、
私は、過呼吸を起こしていました。
ばあちゃんが死んだとき
児童相談所の人が来たとき
そして、じいちゃんが死にかけたとき。
いずれも、自分のせいだ。と強く思っていました。
コントロールが効かなくなり、胸が締め付けられる感じで、必死に落ち着こうとは思うのですが、難しいのです・・・。
過呼吸を起こしたのが病院だったので、看護師さんたちが対処してくださり、すぐに落ち着いたのですが。
その時、言われた言葉が心に刺さりました。
先に死ぬのはおじいちゃんの方。
あなたが責任を感じることはない。
そうか、そうなんだ。
先に死んじゃうんだ。
そう理解した時、胸が楽になってきて・・。
このあとも、私はひどく苦しむことになるのですが、今は、元気に過ごしてます。
そして、いつか書こうと思ってたことを、少しずつ書いていこうと思っています。
このシリーズは長くなるかもしれませんね。
よろしければ、お付き合いください。
同じ境遇の方がいらっしゃいましたら、そうだよね。って思えてくれると嬉しいです。
泌尿器科で、看護師さんにこう言われました。
家族のものが全く来ないから、看護師さんに迷惑をかけていて、それで自分は退院できないんじゃないかって言ってました。と。
まわりは奥さんとかお子さんとか毎日来てるもんねえ・・・。
寂しいのかな。
そう思ったから、よく病院に行っていました。
30分でも顔を見せたり、話をしたりすれば、少しでも寂しさは感じないのではないか、そう思ったから。
自分が81で入院したときに、毎日誰か来てくれたら、嬉しいなって思ったから。
パスピーにも充分チャージして、定期入れも新調して、バスに乗って、時々アクセラで、じいちゃんに会いに行きました。
自己満足。
と言われれば、そうなのかもしれない。
そうゆう自分に酔っていたのかもしれない。
そのうち、病院からの頼まれごとを引き受けるようになり、病院からの電話も受けるようになり。
私には、息子が『突発性上室性頻拍』の疑い(まだ診断つかないんで)があり、発作の原因も分からないので、本当に毎日不安なのですが、発作が午前中に集中していることから、午前中は家にいて、家事をして、万が一の時はすぐに学校にいけるようにしておりました。午後から病院に行くのですが、帰りは6時7時になっていました。
洗濯物を持って帰って、汚れているので手で予洗いをして、また持って行って。
毎日、そんな感じで、やはり疲れが蓄積されていったので、旦那が心配していました。
しんどい、と思っていましたし、口に出してました。
熱も毎日出ていて、微熱といえども8度近く出た時は、寝たいと思ったし、気分が悪いなと思った時には、吐いてしまい。
そんな毎日だったので、明日はゆっくりしようかな。と思ったとき、
洗濯物取りに来て。
って、母から電話があって。
え、今病院なら、お母さんが持って帰ればいいじゃんって言ったのですが。通じず。
そんなわけで、洗濯物係になってました。
なんでゆきがしなきゃいけないの?っていう疑問を、旦那はずっと持っていたようです。
事件が起こったのですが、発端は、私のフラッシュバックでした。
すごく責任感の強い私は、とても自分を責めてしまうのです。
あの日、救急車で、私は脳裏に強くばあちゃんが死んだときのことを思い出してしまいました。
電気が走ったように思い出したのです。
じいちゃんの命が危ない、と感じてしまった時に、強烈に自分を責めてしまいました。
なぜもっと早くに気が付かなかったのか、
なぜもっと早くにじいちゃんちに行かなかったのか、
なぜ一人にしてしまったのか。
どうして自分は、こんなに役に立たないのか。
それは、談話室で起こりました。
おじちゃんと、母と、旦那といたのですが。
ある言葉がきっかけで、どくんと強く動悸を感じて、胸が苦しくなり、呼吸が苦しくなり、涙が止まらなくなり、
私は、過呼吸を起こしていました。
ばあちゃんが死んだとき
児童相談所の人が来たとき
そして、じいちゃんが死にかけたとき。
いずれも、自分のせいだ。と強く思っていました。
コントロールが効かなくなり、胸が締め付けられる感じで、必死に落ち着こうとは思うのですが、難しいのです・・・。
過呼吸を起こしたのが病院だったので、看護師さんたちが対処してくださり、すぐに落ち着いたのですが。
その時、言われた言葉が心に刺さりました。
先に死ぬのはおじいちゃんの方。
あなたが責任を感じることはない。
そうか、そうなんだ。
先に死んじゃうんだ。
そう理解した時、胸が楽になってきて・・。
このあとも、私はひどく苦しむことになるのですが、今は、元気に過ごしてます。
そして、いつか書こうと思ってたことを、少しずつ書いていこうと思っています。
このシリーズは長くなるかもしれませんね。
よろしければ、お付き合いください。
同じ境遇の方がいらっしゃいましたら、そうだよね。って思えてくれると嬉しいです。