気まま 時々 熱心 

日々ストレス社会で必死に生きてる私。自分に向いてることを試行錯誤しながら、そうだ、記録しよう!と時々筆まめになってます。

私①

2017-10-10 11:06:00 | 介護のあれこれ
夏休みの間、病院へ行けなかったこともあり、9月はよく病院へ行っていました。

泌尿器科で、看護師さんにこう言われました。
家族のものが全く来ないから、看護師さんに迷惑をかけていて、それで自分は退院できないんじゃないかって言ってました。と。

まわりは奥さんとかお子さんとか毎日来てるもんねえ・・・。
寂しいのかな。

そう思ったから、よく病院に行っていました。
30分でも顔を見せたり、話をしたりすれば、少しでも寂しさは感じないのではないか、そう思ったから。

自分が81で入院したときに、毎日誰か来てくれたら、嬉しいなって思ったから。

パスピーにも充分チャージして、定期入れも新調して、バスに乗って、時々アクセラで、じいちゃんに会いに行きました。

自己満足。
と言われれば、そうなのかもしれない。
そうゆう自分に酔っていたのかもしれない。

そのうち、病院からの頼まれごとを引き受けるようになり、病院からの電話も受けるようになり。

私には、息子が『突発性上室性頻拍』の疑い(まだ診断つかないんで)があり、発作の原因も分からないので、本当に毎日不安なのですが、発作が午前中に集中していることから、午前中は家にいて、家事をして、万が一の時はすぐに学校にいけるようにしておりました。午後から病院に行くのですが、帰りは6時7時になっていました。

洗濯物を持って帰って、汚れているので手で予洗いをして、また持って行って。
毎日、そんな感じで、やはり疲れが蓄積されていったので、旦那が心配していました。
しんどい、と思っていましたし、口に出してました。
熱も毎日出ていて、微熱といえども8度近く出た時は、寝たいと思ったし、気分が悪いなと思った時には、吐いてしまい。
そんな毎日だったので、明日はゆっくりしようかな。と思ったとき、

洗濯物取りに来て。

って、母から電話があって。

え、今病院なら、お母さんが持って帰ればいいじゃんって言ったのですが。通じず。

そんなわけで、洗濯物係になってました。

なんでゆきがしなきゃいけないの?っていう疑問を、旦那はずっと持っていたようです。


事件が起こったのですが、発端は、私のフラッシュバックでした。
すごく責任感の強い私は、とても自分を責めてしまうのです。
あの日、救急車で、私は脳裏に強くばあちゃんが死んだときのことを思い出してしまいました。
電気が走ったように思い出したのです。

じいちゃんの命が危ない、と感じてしまった時に、強烈に自分を責めてしまいました。
なぜもっと早くに気が付かなかったのか、
なぜもっと早くにじいちゃんちに行かなかったのか、
なぜ一人にしてしまったのか。

どうして自分は、こんなに役に立たないのか。

それは、談話室で起こりました。

おじちゃんと、母と、旦那といたのですが。
ある言葉がきっかけで、どくんと強く動悸を感じて、胸が苦しくなり、呼吸が苦しくなり、涙が止まらなくなり、

私は、過呼吸を起こしていました。



ばあちゃんが死んだとき
児童相談所の人が来たとき

そして、じいちゃんが死にかけたとき。

いずれも、自分のせいだ。と強く思っていました。

コントロールが効かなくなり、胸が締め付けられる感じで、必死に落ち着こうとは思うのですが、難しいのです・・・。


過呼吸を起こしたのが病院だったので、看護師さんたちが対処してくださり、すぐに落ち着いたのですが。

その時、言われた言葉が心に刺さりました。

先に死ぬのはおじいちゃんの方。
あなたが責任を感じることはない。

そうか、そうなんだ。
先に死んじゃうんだ。

そう理解した時、胸が楽になってきて・・。

このあとも、私はひどく苦しむことになるのですが、今は、元気に過ごしてます。
そして、いつか書こうと思ってたことを、少しずつ書いていこうと思っています。
このシリーズは長くなるかもしれませんね。
よろしければ、お付き合いください。

同じ境遇の方がいらっしゃいましたら、そうだよね。って思えてくれると嬉しいです。

じいちゃん③

2017-10-10 10:36:33 | 介護のあれこれ
救急車呼んだら、絶対にすぐに動かないじゃないですか。
あれ、中で搬送先の確保してるんですけど、いくら市民病院からの一時退院で、市民に戻るんだ、病院にも連絡してあるんだって伝えても、運ばれるのは救急外来なんで、どうしても少し時間かかるんですってよ。

ええ、私、もう何度か救急車乗ってるんで。
存じ上げております。
別にイライラしてたつもりもなく、つーっと涙を流してたけども、救急隊員さんは気を遣ってくれる。

救急車の中で、血圧がぐっと下がった様子。
私には毎度おなじみ、心電図モニターを見ながら、ぼけっと見ておりました。
血圧が下がったときには、足を上げるんだそうです!!

( ..)φなるほど、覚えておこう。

なんで熱がでたのかは、いくつか心当たりがあって。
病院ついて、救急→泌尿器科と戻り、検査検査です。

造影剤入れて、CT検査。同意書を書く。
肺炎ではない。
先生が来て、疑わしいのは、おなかの中の管が破れて、尿が漏れている可能性がある。再度検査をする。という。

ちょ、なにそれ。
破ける?
え、なに?

ぐるぐるしてくる。
かなり昏睡していて、起きないじいちゃん。熱は40度。

昏睡状態なのは、体がしんどいからだ。とのこと。

次に、モニター運ばれてきて、モニター管理しますと。
毎度おなじみ心電図モニター。

あれ、なんかまずい感じ?
死にかけてるんじゃないか、じいちゃん。

先生の話を聞きながら、涙がつーっと。



再検査の結果、管が破けてることはなさそうだ。とのこと。
心電図もその日のうちに外されました。

全く起きないんですよね、じいちゃん。
昏睡なんて初めて見ました。
そういえば自分も、酒と薬で昏睡していた時もある。
全く起きなかったそうだ。

高熱の心当たりですが、
小雨の中外にいたとか、ぬるいお風呂に入ったとか、風邪を引く要因はあったよね。
病院には、私のつけてたメモを渡しました。

尿路感染が原因だそうです。
恐らく、ストーマが一番確率が高いと。
で、腎盂腎炎ではなかろうか。との話でした。尿も濁っていましたし、ほんとに数日寝てましたし、熱もなかなか下がらなかったです。

ようやく下がったころ、じいちゃんは泌尿器科から精神科へ移動しました。

じいちゃん②

2017-10-10 10:06:25 | 介護のあれこれ
3日目の朝、母から連絡があり、病院からの電話にも出ない、おじちゃんが家に行っても出ない、鍵もかかってる。というので、急いで向かいました。

鍵はかかってます。
家に入ると、キッチンの水が全開で勢いよく(いつからだ?)流れています。
じいちゃんは、リビングのソファで寝転んでました。様子はおかしいです。

おじちゃんってのは、じいちゃんのお兄さんで、母に頼んで再度来てもらうことにしました。

水を止めて、おはようって声をかけて、反応はしたので生きていました。
安心しました。

家の中を見ると、ベッドがえらいことになっていました。
恐らく、装具の栓が閉まっていなかったのか、取ったのか、布団はびちゃびちゃで床に転がってました。

とりあえず、洗濯しようと思い、洗濯機を回して、ほどなくおじちゃんも来てくれて、事情を話していたら。


洗面所が水浸しなんですけどー!(泡付き)

漏れてるやん!!
昨日のホースやん!!
つーか、昨日そういえば、ホースが破けてたの確認したわ!!
そんで、うまい具合にホースのスペース(排水溝?)にいれんと漏れるで。って母と言ってたのに、女二人では、うまい具合にホースを収納できなかった模様。

というのを、これまた早口でおじちゃん(85)(元気)に説明して、応急処置してもらう。

その間、じいちゃんはずっとソファ。
なにやら、腕を空中に伸ばしている。
意識はあるし、反応はする。

掃除して、ホースの応急処置に入ったころ、じいちゃんの手を触ってみたら、冷たいことを確認。

老人は冷たい。ゆえに寒がる。皮下脂肪がないからかもしれない。

そう、それは本当に偶然だった。
私が何をしようと思っていたのかは、今となっては思い出せない。
偶然、脇を触ったのだ。

すんごく熱かった。

え、熱出てない?
首も確認、熱い。
体温計を探して、(これまた水銀の古いやつ)測ってみると40度近い。
ぴぴぴって言わないから、グングン上がっていく水銀を途中でひったくり、これはやばい。

これは意識が朦朧としているんだ。
やばい。

すぐさま病院に電話。
すぐに連れて行く、救急車呼んでもいいかって聞いてみると、歩けるようなら車でって呑気に言われて、
はあ、じゃあ聞いてみますが、車、停めれます?今の時間駐車場空いてないんですけど。それに、私一人なんでじいちゃん自力歩行無理だし。っていうと、大変なのが伝わったのか、救急車呼んでくださいって。

即刻呼んだわ。

じいちゃんは軽いけど、大人四人で運んだわ。(救急隊員が)
救急車の中で測った体温は40、2度。
あらららら、これはしんどい・・・。

私、救急車の中で、フラッシュバックを起こし、自分もまずいのではないかと予感しました・・・。

母にも連絡して、救急車呼んだからって伝え。
旦那に、自分がちょっとまずい事態なことをLINEして。
病院へ・・、救急車で帰りました・・・。

じいちゃん①

2017-10-10 09:33:09 | 介護のあれこれ
じいちゃんが、今も入院しています。
先月末、転院しまして、病院がとても遠くなったので、今は行っていません。

アクティブな老人でした。
思い返してみれば、恐ろしい体力と、思い立ったらすぐ行動の、実質迷惑な人でしたw

血尿が出る。
と何度目かに言われ、やっとのこさ泌尿器科に行ってくれて、結果、膀胱癌でした。
市民病院で手術をし、この時は内視鏡で。2週間くらいの入院でした。
検査結果、予防の為に全摘することになり。前立腺もかんばしくない様子だったらしく。
私は、ガンで亡くなった方を数人、知っており、その苦しみを出来ることなら味わってほしくない思いから、全摘手術に賛成でした。じいちゃんは、今痛くないし、なんともないんだから手術とかしなくても・・・と悩んでいたようでしたが、手術を決めたのです。

8月4日、全摘手術を受けました。
その後は、ストーマ装具を自分で付けれるようになれば晴れて退院でした。

が、術後せん妄がひどく、これは高齢者にはよくあるので、病院も、よくあることって言ってました。
じいちゃんは長引く入院に、家に帰りたがっていました。
確かに、ストーマ装具はこれからの人生、ずっと付き合っていくものだから、自分できちんと管理できないといけないです。膀胱の代わりの袋で、尿がたまってきたら捨てなくちゃいけないし、栓もきちんと閉めなくては漏れてしまう。夜は、連結もしなくてはいけない。大変めんどくさいですが、逆に言えば、時間を決めて捨てるなどしていけば、尿意に襲われることもなく、快適なのかもしれないです。

私は、老人と関わることがあまりなく、
せん妄、認知、精神病など無知に等しかったです。

帰りたい、というのを怒りに変えて表すようになってきたので、一時退院という形で、まず1回目の外泊をしました。3泊の予定でした。
その日は、私、バスで行っていたので、母とじいちゃんとタクシーで帰りました。
まず、我が家へ行き、そこからアクセラでじいちゃんちに帰るのです。

じいちゃん、あろうことか栓を閉めてなく、ダダ漏れでした・・・。
ごめん、タクシー。気が付かなくて。

とりあえず、着替えさせて、おパンツがなかったので、短パンだけ履いて、すぐにじいちゃんちへ!
パンツ履いてと言っても、履かないのですね。絶対に履かなかったです。まあ、短パンは履いてるのですが。

その後、小雨降る中草むしりしたりとか、アクティブに過ごされていたようです。
2日目、元気よく過ごされていたようです。
不思議なことはたくさんされていました。洗濯機の排水溝の部品、分解して戻せず困ってましたね。

なんでそんなことするんじゃい!!!
私が直しておきました。
重たい洗濯機を母と持ち、ホースがどうなっとんか!!って言いながら、なんとか元の位置には戻しました。
これがのちにめんどくさいことになる。

私は、家族が待つ自宅へ夜は帰っておりました。

2日目の夜、じいちゃんは一人になりました。
3日目の朝、じいちゃんは死にかけてました。