Chang! Blog

福岡のハングル検定準2級建築士、そして一児の父の[ちゃん]のブログです

跨年!台湾・環島鉄路之旅【7日目】高雄~屏東線~南廻線~瑞穂温泉

2014年01月15日 | ■旅と鉄道
 台湾の旅も、1週間目を迎えました。1月3日は台湾の南端をぐるりと回り、瑞穂温泉まで東海岸を北上します。


 屏東線を南下する、高雄8時34分発の区間車で今日の旅がスタートです。
 電化区間の電車もローカル支線のディーゼルも、ロングシートの味気ない車両が多い区間車(普通列車)ですが、非電化の幹線では客車列車が中心です。


 駅のホームには、停車駅を示した親切な立て看板が。全駅停車なんですけどね。


 客車は莒光号のお下がり。枕カバーや座面こそビニル製になっているものの、足置きまで付いたゆったりしたシートは健在です。
 編成も7両と長く、大混雑だった台中周辺の通勤電車の4両編成とは大違い。がら空きの車内で、のんびりくつろげます。旅気分が一層、盛り上がってきました。


 ドアは例によって開け放し。通行の際は、くれぐれもご注意を。


 電化区間の南端・屏東では少ない乗客もどさっと降りてしまい、いっそうガラ空きに。車窓は南国色を強め、日差しも強烈になってきました。
 列車は、単線の高架橋に駆け上がりました。市街地の区間も堂々とした踏切で横切る台鉄ですが、なぜこの環境で高架化を急いだのか、理解には苦しみます。


 高雄から一時間、そんな高架区間の竹田駅で下車しました。片面ホームの簡素な駅には、監視員のおじさんが立っていて、エレベーターの利用をすすめてくれました。小駅ながら、設備は立派です。
 高架下の駅舎は小さく、待合室と呼べるものはありません。もっとも1月でも25℃を越えようかという気候に、壁付の待合室など無粋かもしれません。


 線路はすっかり新しくなった竹田駅ですが、旧駅舎も大切に保存・展示されています。ウチの田舎の駅も、昔はこうだったなと思い出した、どこか懐かしい駅舎です。
 高架橋をくぐり、ぐるりと迂回して旧駅跡を目指します。


 旧駅舎周りは竹田駅園として整備されており、カフェや公園もあります。そんな施設の一つが、池上一郎博士文庫。1943年、軍医としてこの地に赴任した池上一郎氏が、晩年に寄贈した図書を収めた図書館です。
 火~金曜日は8:30~11:30/14:00~16:30に開館、7・8月のみ週末も午前中のみ開館します。


 僕が日本人と分かると、熱く歓待してくれたのは劉理事長と張理事。お二人とも日本時代の生まれで、お互いの会話は台湾言葉が時々混じる日本語。日本語で教育を受けた世代なので、日本語で表現するのが一番しっくりくると笑っていました。
 国会議員や著名人をはじめ、この地を訪れる日本人も少なくないようで、寄せ書きをすすめられました。


 アイスをご馳走になりながら、劉理事長に駅を案内して頂きました。駅員室には畳が敷かれ、外には宿直用の風呂場も残されています。井戸からくみ上げた水を、直接湯船に注げるように工夫されていました。
 「安部さんになってよかった」「みのもんたはダメだ!」…台湾の南で、このようなお話を聞いていると、なんだか不思議な気分にもなってきます。


 撮影記念館では、戦後台湾の生活の何気ないワンシーンが展示されています。子ども達が生活を支える光景は、戦後日本と変わりありません。劉理事長からは昔の生活の様子を聞きつつ、張理事とはカメラ談義に花が咲きました。
 時間があればお昼ごはんでもとお誘い頂きましたが、先を急ぐ失礼を詫びつつ再訪を約束しました。張理事には車で駅まで送って頂き、恐縮です。今度は友達を連れてきます!と約束の握手を交わし、別れました。


 今も台湾に日本を大切に思い続けている人々がいるということは、忘れたくない事実です。そんな方々に実際に会える竹田は、高雄からのワンデイトリップにも手軽で、おすすめできます。
 1時間余りの忘れられない体験を胸に、後続の区間車に乗り込みました。


 枋寮では、7分接続で乗り換えです。大急ぎで切符を買い、売店で駅弁を買うと、ビールを勧められました。台湾の人が車内で酒を飲んでいるのも見たことがなかったけど、勧められたら買わないわけにはいかないでしょ!
 子ども達とともに、枋寮から台東まで2時間をかけて走る普快車・3671列車に乗り込みます。


 普快車はもともと普通車と呼ばれ、各駅停車を示す列車種別でした。しかし冷房付きの通勤電車や優等車両のお下がりが導入されると、準急格の復興号(のちに自由席列車は区間車へ)に格上げされていき、普快車は南廻・台東線に残るのみです。
 そんな中でもこの3671/3672列車は、かつて台湾のどこでも見られた客車列車の普快車の、最後の生き残り。日本では動態保存車を除けば見られなくなってしまった、懐かしの旧型客車です。


 暑い台湾の1月、扇風機のスイッチを入れ、窓を全開にしてのオープン・エア・クルージングです。
 真夏は辛そうだけど、今は窓を開け放すにはちょうどいい気温の季節。ディーゼルの煤煙の匂いをかぎつつの、懐かしの汽車旅が再現されます。


 3両編成のうち、前2両は日本製の旧型客車。最後尾1両は、両開きドアが通勤列車風の南アフリカ製客車で、ずいぶん様相が異なります。
 最後尾に乗った幼稚園児たちを除けば、乗客はほとんどこの列車目当てといった風情の方々ばかり。ただ1本の客車列車が残されている理由には、もともと乗客の少ない南廻線における「観光列車」的な役割も期待されているのかもしれません。


 1駅目の加祿駅では、列車交換のため長時間停車するようで、ホームに降りた同じ車両の若い女性から声を掛けられました。列車の写真を熱心に撮っており、「あなたも降りてらっしゃいよ!」と誘ってくれた…のだろうと思います。
 他の鉄っちゃん達も、何人か降りてきました。どことなくキハ20系を思い出す風貌の自強号が、轟音を立てて通過して行きました。


 枋寮で買った駅弁を開きます。窓の開く旧型客車で、ビールを傾けながらの駅弁。日本が失った汽車旅、最高な気分です!はるばる乗りに来て、本当によかったと思います。


 お弁当の最高の調味料は、南国の海の車窓。南廻線は1992年に開業した新しい路線で、ゆえにトンネルが多いのですが、合間からは美しい海を望むことができます。




 先頭車のデッキからは、ディーゼル機関車の「鼓動」を感じられます。


 洗面所まわりも懐かしい雰囲気ですが、不潔な感じはありません。ドアの向こうにずらりと並ぶロマンスシートは、かつて優等列車として活躍した証。本の中でしか見たことないけど、特急「はつかり」型の旧型客車に通じる所がありそうです。

 僕の席は立てつけが悪いのか、閉まった窓が開かなくなってしまいました。ガタガタやってると、熱心に写真を撮っていた件の女性が手伝いに来てくれました。故障みたいですねと、お互い苦笑い。
 せっかくの会話のチャンス、一昨日の記憶がよみがえり「日本の鉄っちゃんです」と自己紹介してみたところ、はばかばしい反応はなし。同好の士かと思ってましたが、単に写真が好きな人だったようです!台湾での恋、あえなく撃沈です(笑)。


 最南端の駅を過ぎ、東海岸へと出ました。海の青さが、一層増したように見えます。


 最後尾の客車は、園児たちも降りて無人に。車掌さんに声を掛けられ、例によって「日本の鉄っちゃんです」と筆談すると、写真を撮れるように最後尾の貫通ドアを開け放してくれました。
 太平洋を望む駅として有名だった、多良駅の跡を通過します。


 フレンドリーな車掌さんで、スマホで撮った日本製通勤電車の800系の写真を見せてくれました。車掌さんは英語が堪能なのですが、いかんせん僕の英語力が伴わず、会話が続きません。
 通訳に台東の日本語ができる友達を…と電話してくれていましたが、金崙駅で目の不自由な女性が乗ってきて、電話を切ってその対応に当たられていました。職務優先、当たり前ですね。それっきりになったのは残念でしたが、うれしいひと時でした。


 太麻里駅には、旧型客車が留置されていました。復興号塗装の車両もあり、興味深いです。ホーム1本をつぶして停車していたので現役かと思いましたが、割れている窓もあり、ほぼお役御免状態のようでした。
 次の知本は台湾でも有名な温泉地で、今日の宿泊先候補でしたが、リゾート地らしく男一人で行っても寂しいだけなので、今回はパスしました。


 康楽駅を出れば、終点までラストスパート。2時間という時間を感じない、充実した旅のプライスは、わずか104NT(390円)でした。


 終点、台東着。到着後、すぐに機関車は切り離され、回送されていきました。件の女性とも、バイバイと手を振って別れました。


 立派な台東の駅舎。台東は東海岸でも大きい方の街ですが、線路の付け替えで駅は街外れに移転したため、駅前には何もありません。新幹線の単独駅のようです。


 14:45分の自強号で、東部幹線を北上します。日本の日立製の気動車です。


 シートピッチにはゆとりがありますが、莒光号の方がゆったりしていたように思います。日本製の気動車ながら背面テーブルはなく、窓枠には給茶サービスが行われていた名残りのカップフォルダーが残っていました。


 沿線は南廻線より人家が張り付いており、田園風景が続きます。菜の花畑も満開で、指宿枕崎線に乗っている気分です。


 40分少々の、池上駅下車。駅弁の立ち売りが出ていますが、日本で見るおじさんではなく、おばさんの売り子が頑張っています。池上と言えば駅弁!というイメージのようで、買い求める人の姿も見られました。
 僕は列車を降りて、駅前の道を歩いて行きました。


 駅弁で有名な池上の「本家」が運営する、駅弁博物館です。


 池上は、日本で言えば南魚沼クラスの米の名産地で、池上米はブランド米です。
 館内は稲作と駅弁の展示や、昔の学校を再現した部屋があり、日本人にとってもどこか懐かしい感じ。


 古い看板には、日本語も見られます。


 駅弁の直販コーナーもあり、眺めのいい2階席もありますが、僕は玄関先に止められた東急製のディーゼルカーの中で食べることにしました。


 駅弁といえば排骨飯なんだろうけど、ちょっと食べ飽きててもいたので、鯛のかば焼き弁当(80NT=300円)にしました。
 古びたディーゼルカーの座席で開ければ、汽車旅気分が盛り上がります。


 1時間後の莒光号で、さらに北上します。16:28発の73列車は金・土・日のみ運行の週末臨時列車で、例外的に立席乗車(無座)の扱いはありません。
 2週間前の切符売出し早々に売り切れており、その後何度確認しても満席状態。立席乗車もできないので難儀していましたが、昨日高雄で自動券売機に向かってみたら、難なく買うことができました。


 3両は、自転車の積み込ができる特別仕様。東海岸の各都市は自転車レジャーを売出し中のようで、タイアップしての臨時列車のようです。
 しかしこの日は自転車の持ち込みがゼロで、3両はからっぽ状態。普通車の方も空席の方が目立ち、当初の満席は何だったのでしょう。


 今日の目的地・瑞穂は莒光号も停車しますが、手前の玉里で下車。その理由は、後続の普快車として走るこの車両・DR2700型に乗りたいから!
 1966年に特急用車両としてデビューした日本製のディーゼルカーで、現在は台東周辺の普快車として活躍中。現在進められている電化工事が完成の暁には、廃車ではないかとウワサされる貴重な老兵です。


 緑色のロマンスシートはガタがきており、回転させてもがっちり固定できません。
 車内の円弧のくぐり戸は、どうしても車内に飛び出さざるをえなかったディーゼルの排気口を、隠すための装飾。日本人技術者のアイデアで、現地でも好評だったとのことです。その後の車両にも受け継がれています。


 電化工事とともに、線路や駅の改良も進行中の台東線。ホームの嵩上げで、旧型のステップ付車両はホームと車内の間に、大きな「落とし穴」ができていました。
 そのまま運用しちゃうあたりが、何ともおおらか。


 ロマンスシートは最前部まで配置されており、特急時代は展望車として羨望の的だったことでしょう。現在は車掌席として使われており、勝手に座ってしまわないよう「車長席 Staff Only」とマジックで殴り書きしてありました。


 古びたディイーゼルカーはエンジンの音も高らかに、改良の終わった真新しい線路を快走します。窓枠はガタガタ、照明はチカチカ。虫の声が響く外から吹き込んでくるのは、生ぬるい夕方の風。普快車は、時代離れした汽車旅を提供してくれます。
 「Staff Only」席の車掌さんは、玉里発車時には弁当を食べており、三民駅を出る頃に車内改札を始めました。ドアは手動だからドア扱いはないし、ホームの安全確認は駅員さんの仕事なので、車掌さんは車内改札に専念できるんですね。


 瑞穂着。ドアは連結部にしかなく、2両編成の乗降口は2ヶ所のみ。乗り降りに時間がかかりますが、だからこそローカル区間で余生を送っているのでしょう。
 通学の高校生を乗せ、瑞穂を発車していきました。


 瑞穂温泉までは、タクシーの世話になりました。約10分で、180NT(670円)。日本のタクシーよりは安いですが、もろ手を上げて喜ぶほどではありません。
 今夜の泊りは、日本時代から続く瑞穂温泉山荘です。畳の部屋は温泉・朝食付きで570NT(2,100円)と激安ですが、畳の古さは相当なもの。新品の畳は入手困難なはずで、日本の感覚で考えてはいけませんが、膝を付くことははばかられました。


 温泉は鉄分を豊富に含んだ、良質なお湯。露天風呂(翌朝撮影)は台湾式の水着着用で、シャワー室でかかり湯と着替えをして入浴します。
 夕方なのに入浴者は誰もおらず、一人でのんびりと鼻歌交じりで、異国の湯を楽しみました。のぼせて上がる頃にドヤドヤとやってきたのは、大陸からのツアー客。途端に騒がしくなってしまい、早めに入っておいてよかった!


 日本語のできる宿のおやじさんに「夕ご飯は?」と聞かれたので、少し食べたいと答えると、下の方にファミリーマートがあるからというまさかの返答。団体さんの対応で、てんてこまいのようでした。
 こうなったら台湾のコンビニ飯を極めたる!と気分を変え、買ってきたのは麺線。レトルトにしてはよくできていて、おいしく平らげましたが、もちろん西門町で食べたものの方が数段うまかったです。


 日本名は「瑞穂温泉リゾート」と言い、食事会場になっているテラスはリゾート地の風情があります。
 窓もテレビもない部屋に戻ってさみしく過ごす気もせず、ここで南国の夜風に吹かれながらビールを傾けました。照明は消されていたのですが、僕の存在に気付いたのか、スタッフがそっと灯してくれたのは嬉しかったです。


 宿泊者は個室湯にも入ることができて、一室借りることに。空っぽの浴槽に自分で湯を張るのが台湾式の個室湯スタイルで、お湯の使い回しをしていない証なのでしょう。
 注ぎたての湯を楽しんでいると、隣り合う露天風呂からは大騒ぎする親子の声が。台湾のお風呂のマナーには反しており、件の大陸からの観光客なのでしょう。他に入浴客もおらず、迷惑は掛けていないようだからいいか。

 温まった体を布団にもぐりこませ、田舎町での一夜は更けて行きました。

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