なんで物好きにも英語を勉強してるんでしょうかね。仕事に必要な訳でなし。
定年後に海外移住を考えてる訳でもない。(自分はいいな、と密かに思っているがヨメハンは強烈な英語アレルギーであるから、論外。)
つらつら考えるにやはり青年期における英語体験なんでしょうかね。といってもガイジンさんと喋ってみたとかガールフレンドがいたとかそんな双方向のものではない。もっと切ない、叶いそうにもない片思いだった。
それはナンジャラホイといえば、洋楽なんである。ワシが高校生の頃はちょうど70年代のど真ん中、ストーンズもツエッペリンもキャリアの頂点に達していた頃だ。ストーンズやzepはもう少し前だろ、という指摘は正しいが、その頃の日本はやはり英米からは少し遅れていたのだ。情報のタイムラグが明白に存在していた。
日本の状況をもう少し詳しくいうならば、70年代中盤というのは急速に「カセットテープ」が普及した時期である。まだレンタルレコードは存在していなかったにせよ、「FMエアチェック」(懐かしいな)や、友達とレコードの貸し借りをしたりしてカセットに録音し、懸命に洋楽を吸収しようとしていた。聴きたい音楽は山ほどあるのにお小遣いは絶望的に少なかった。カセットは救いの神だった。
ワシらの少し上で洋楽を聴いてたひとたちって割とお金のある家の子が多かったんじゃないかな。ワシらの世代になるとカセットのお陰か「洋楽」がかなり身近になった頃だと思う。なにせ邦楽はアイドル歌謡曲か演歌かの極端な二者択一を迫られるのであるから、少し音楽好きなら洋楽に走るのは至極当然の行為だったのだ。高校のクラスで人気投票したら「ユーライア・ヒープ」が一番になったくらいみんな当たり前に洋楽を聴いていた。
しかし音は聴けても歌詞が分からない。日本盤は「歌詞カード」なるものをつけてくれていたがこれがかなりデタラメ極まるものであり、高校生でも「そら違うんとちゃうの」のオンパレード。ごく稀にジャケットとかに歌詞を印刷しているものがあったが、有り難かった。ビートルズの「サージェント・ペパーズ」とかキング・クリムゾンの作品とか。暗記するくらい何度も何度も歌詞を見て聴いた。いまだにそらで言えるのがあったりする。
そんななか、歌詞がかなり正確に把握できるアーティストがいた。そのころ第二の全盛期を迎えつつあったボブ・ディランだ。ディランは訳詩集が発売され、原詩も本さえ買えばほとんどが読むことができた。ミュージシャンとしてはよく分からなかったのが、歌詞に惹かれて繰り返し聴いているうちにすっかりハマってしまったのだ。(この項、続く)
定年後に海外移住を考えてる訳でもない。(自分はいいな、と密かに思っているがヨメハンは強烈な英語アレルギーであるから、論外。)
つらつら考えるにやはり青年期における英語体験なんでしょうかね。といってもガイジンさんと喋ってみたとかガールフレンドがいたとかそんな双方向のものではない。もっと切ない、叶いそうにもない片思いだった。
それはナンジャラホイといえば、洋楽なんである。ワシが高校生の頃はちょうど70年代のど真ん中、ストーンズもツエッペリンもキャリアの頂点に達していた頃だ。ストーンズやzepはもう少し前だろ、という指摘は正しいが、その頃の日本はやはり英米からは少し遅れていたのだ。情報のタイムラグが明白に存在していた。
日本の状況をもう少し詳しくいうならば、70年代中盤というのは急速に「カセットテープ」が普及した時期である。まだレンタルレコードは存在していなかったにせよ、「FMエアチェック」(懐かしいな)や、友達とレコードの貸し借りをしたりしてカセットに録音し、懸命に洋楽を吸収しようとしていた。聴きたい音楽は山ほどあるのにお小遣いは絶望的に少なかった。カセットは救いの神だった。
ワシらの少し上で洋楽を聴いてたひとたちって割とお金のある家の子が多かったんじゃないかな。ワシらの世代になるとカセットのお陰か「洋楽」がかなり身近になった頃だと思う。なにせ邦楽はアイドル歌謡曲か演歌かの極端な二者択一を迫られるのであるから、少し音楽好きなら洋楽に走るのは至極当然の行為だったのだ。高校のクラスで人気投票したら「ユーライア・ヒープ」が一番になったくらいみんな当たり前に洋楽を聴いていた。
しかし音は聴けても歌詞が分からない。日本盤は「歌詞カード」なるものをつけてくれていたがこれがかなりデタラメ極まるものであり、高校生でも「そら違うんとちゃうの」のオンパレード。ごく稀にジャケットとかに歌詞を印刷しているものがあったが、有り難かった。ビートルズの「サージェント・ペパーズ」とかキング・クリムゾンの作品とか。暗記するくらい何度も何度も歌詞を見て聴いた。いまだにそらで言えるのがあったりする。
そんななか、歌詞がかなり正確に把握できるアーティストがいた。そのころ第二の全盛期を迎えつつあったボブ・ディランだ。ディランは訳詩集が発売され、原詩も本さえ買えばほとんどが読むことができた。ミュージシャンとしてはよく分からなかったのが、歌詞に惹かれて繰り返し聴いているうちにすっかりハマってしまったのだ。(この項、続く)