テキトー日記

自主制作監督日記

不便のススメ2

2005年11月18日 | 日記
さて不便な生活をしたいと思う今日この頃。
特に家は昔の家がいい。
詳しくは http://www.kyo-machiya.jp/mametishiki/index.html#をみると京町屋の粋(すい)なところがわかります。
ううん・・・どうも新しい家になじめないんですよねえ。
たしかにきれいになって便利になったんですがね。

立て替えるときにけっこう親子で意見が分かれました。
妹なんかはもう嫁いでるから、昔のような家に住みたいけれど、あまり口を出さないし・・・・

まあ両親はたしかに年老いていくことを考えているので仕方ないことです。
母親もいままで老人を3人も面倒見てきたからわかるんですね。
年老いてきた時のことを。
事実、古い家に住んでいる老人が苦労して生活している人って多いんですよね。
狭いから子どもたちは別のところに住んでいて、老夫婦だけが残っているところも多い。


さて町屋以外にもやってみたいのは着物生活だ。
仕事柄、着物や浴衣、法被、雪駄などを着る機会が多い。
これがけっこういいんですよねー

着やすいし、楽だし、なんといっても姿勢がよくなる。
着物って姿勢が悪いと着崩れるので自然と背筋がのびる。
女の人は窮屈そうだけど、残念ながら男物の着物は地味なのと、いい柄がないのが残念。

実家に帰るたびに弘法市に出かける。
毎月21日の弘法大師の命日に京都の五重塔で有名な東寺で行われる。
そのときには1,000軒近くの露天がでるのだ。
とくに古道具、古着が中心で、ここで手に入らないものはないというほどの品揃えだ。
鎧から火縄銃まで手に入る。

中でも着物は破格の五百円から千円で手に入るからいい。
映画や舞台の衣裳のために物色しているうちに着物が好きになってしまった。

しかし仕事でよく着るうえに、家に帰る時しかないのでううん・・・なかなか着る機会がないんだよなあ。

先日読んだ「松竹大船撮影所覚え書」山内静夫・著に小津安二郎がトレードマークのピッケ帽に白いカッターシャツの洋服姿に足袋と雪駄のスタイルだったとあった。
これはいい。

仕事で街頭紙芝居屋をやるときは帽子に洋服に軍足、雪駄スタイルなので慣れているし、足袋ってなかなかいい柄モノがある。
歌舞伎座の近くの手ぬぐいを売っている店があって、そこになかなかレトロで粋な柄があったのだ。市松模様のようなのから、かわいいものまである。
気軽に和モノ気分を味わうのもいい。
そういえばそのスタイルは舞台スタッフのスタイルだ。
よく仕込みで大道具さんや照明、舞台監督さんたちが黒いTシャツにジーンズ、黒足袋、雪駄という姿なのだ。
今度足袋を買いに行ってみようと思う。

着物はしばらくおあづけかな。
一人で着るのもちょっとね。
できればカップルで出かけたいものだ(笑)

不便のススメ

2005年11月18日 | 日記
先日バイト先の友人と住みたい家の話をしていたのだが、最近古い日本家屋に住みたがっている人が多いってことだった。

とくに京都は京町屋を改築して、お店にするのが随分前からブームで、なかなかいい雰囲気をかもしだしている。
古い家に住む本も発売されているぐらいだから、けっこう需要もあるのだろう。

2年ほど前に、実家を建て直すこととなったとき揉めたのがどんな家にするかだった。
これは特に世代の差が出てしまってややこしかった。
それはうちの親は団塊の世代だからきれいで便利で新しい家に住みたい派なのだ。
あの世代は戦後の新しい高度成長時代に育ったせいか古くて不便な家よりも、今風で使いやすい家がいいようなのだ。
古い建物や道具に興味を持って残したがるのは20~40代がおおい。お店や住みたがるのはその世代で、そういう建築物を残そうと運動しているのもそういった世代でもある。

若いときに昭和20~40年代に育ったひとたちにとって、古い建築物はすでに昔の出来事なのと、経験してきたので僕らほど執着しないけいこうがある。
もったいないけど、不便だからといって取り壊す人がおおい。

たしかにもう初老に差し掛かっている親としては、この先年取っていくのに不便な家に住みたくないだろうし、段差のない、フローリングで、手すりのある家に住みたいのはあたりまえのことだ。


京都は冬は底冷えするから古い家は、低血圧な女の人にはつらい。
台所は使いにくいし、日が差し込みにくいから日中もくらいし。

しかしすでに色々なものが便利になった今、その不便さがいいのだがと思う。
家って、究極は四角い家だと思う。
無駄がないし作りやすい。
今や2階建ての四角に屋根つけて、ベランダがついているだけの家がほとんどだ。
ああいうのをみていると、京町屋なんかは狭い土地を有効に、使っているとおもう。
そこには「粋」な(関西ではイキではなくスイという)工夫が一杯ある。光を取り入れるための中庭とか、裏庭に通り抜けるための土間があったりと、狭いながらも工夫やシンプルな美が存在する。

段差があってほしいし、畳であってほしいし、台所にいくのにいちいち土間におりてみたい。
台所もステンレスじゃなく、タイルであってほしい。
できれば着物を着る生活も・・・・

古い邦画をみるたびに、「ああ・・こんなとこに住みたい!不便してみたい」とおもってしまうのだった。





関西人って・・・

2005年11月02日 | 日記
ううん・・・ミクシイの方でこまめに日記を書いているんで、どうもこっちはおろそかになってしまいます。ミクシイやっている人はのぞきにきてください。

この間、結婚式の仕事で入っていて思ったのだが、みんな関西人は面白いって勘違いしているのには困ったってことだった。

新郎の会社の同僚で面白いって言われている三人がでてきて、レギュラーのあるある探検隊をやっていたが、ちっともおもしろくなかった。
新郎のあるあるやっていたのだが、これが知り合いだったとしてもさしひいてもおもしろくなかった。

しかも長いし・・・一番困るのは当の本人たち自身が自分たちは面白いという、根拠のない自信をもっているからやっかいなのだ。
このパターンの余興ってけっこう多い。
知り合いに関西人がいるとすぐ駆り出されるのだ。

東京に来て関西弁って面白そうにきこえるからやっかいで、本人たちも自分たちは面白いんだと勘違いしているのがまいった。
またそういう人ってけっこう多いのだ。


そもそも関西弁は掛け合いのなかに、ボケ、突っ込みが存在していて、それが日常会話のなかに入っているから面白く聞こえるのだ。

しかしだからといって、人前に出てネタまでおもしろいとは限らない。
お笑いの人たちは、日々研究し、何度もけいこして練ったモノだから面白いのだ。

そんなシロートが出てきてすぐ受けるなんて事はない。

たしかに関西人でも中には自分のネタの一つか二つぐらい持ち合わせているひともいる。
そういう人は、このネタと日常会話の面白さのちがいをわかっているひとだからいいのだ。
たしかに面白い人物もおおい。大阪の番組なんかみていると一般の人が参加するのが多いのも、キャラとして面白い人物がいるからだ。
クラスの人気者がお笑い芸人になれないのと同じだ。

でもネタがおもしろいとは別問題。

ぼくも関西出身なので東京に来たばかりの頃はよくネタとかやってとかいわれたが、お笑いの人じゃないから出きる訳がない。
(といいつつ、実はネタの一つや二つは持っていたりするのだが・・・)

以前知り合いの女の子が彼氏にたいして「関西人なのに無口ってどうよ!」と、ぼくに愚痴を言っていたが、そりゃあ関西人だって、鬱だってテンション低い人だっているさ。
音痴な黒人や、カンフー使えない中国人、芸者じゃない日本女性がいるのと一緒なのだ。

ううん・・・いい加減東京の人も、大阪人も関西人イコール面白い人というのが幻想ということに気づいて欲しいものだ。

陶器をさがしに・・

2005年09月24日 | 日記
最近「越乃寒梅」を貰ったのでちびちび飲んでいる今日このごろ・・・

人にはご贔屓というのがある。

僕の場合、映画は黒澤明、マンガは手塚治虫、落語は桂米朝、狂言は
大蔵流茂山家、能は金剛流、拳法は陳式、J-POPはイノトモ、オペラは
フィリッパ・ジョルダーノ、ボサノバはアストラッド・ジルベルト、クラッシックは
ショパン、ブルースはトム・ウェイツ、小劇場芝居は回転OZORA、うどんは関西風、味付けは薄味、
冷奴は昆布だし、たこ焼きは九条ねぎにポン酢などなど・・・

最近は京都に帰ると必ず街中を散歩することにしている。
いくつか必ずまわる店に寄っていく。
なかでも古道具屋はかかせない。
中学生のときから古本屋回りをしていたが、大人になったら古道具屋に寄る事が多くなった。
中でも毎月21日の弘法さんと24日の天神さんは欠かせない。

元々”縁日”とは神仏がこの世と”縁”を持つ日とされており、この日に参詣すると大きな功得があるということ。
弘法さんとは東寺の行われる縁日のことです。
祖師空海入寂の3月21日を期して毎月21日に御影堂で行われる御影供のことを指していて、
当初は年に1回行われていたものが、1239年以降は毎月行われるようになったそうです。

天神さんは北野天満宮のこと。
昔から弘法さんが雨なら天神さんは晴れるというジンクス(逆もあり)
があって、昔の京都の映画界では21日が晴れたら24日はロケをしないといった伝説が残っていたのだ。

そこには何百件もの露店が出ていて、特に着物なんか500円ぐらいで買える。
火縄銃から鎧まで手に入る。うちのばあちゃんが
「靴の片方だけでも売っているけったいな店がぎょうさんあるわ」
とよくいっていた。
なんでもあるので年代ものの撮影に使うときは重宝した。

おなじく古道具屋が多く、この両日に帰る日は必ず寄っていく。

最近の京都は京町家を利用した店が増えてきた。
古いビルに雑貨屋をはじめたりと、表参道と下北沢を足して割ったような雰囲気になってきたような気がする。

小路に入るとごちゃごちゃした町並みの中に小さなブランドの服屋や雑貨がやっていて、散歩しているだけで
たのしくなる。

古道具屋というか、アンティ-クの店が多い。
なかでも陶器を見るのが好きで、よく行く。
陶器といっても骨董品や美術品ではなく、普段つかうようなやつで、実際使ってみたくなるような食器が好きなのだ。
中でもお猪口と小皿がお気に入りで、なんといっても場所をとらない。

写真はこの間実家に帰ったときに買ったもので、他にも皿やご飯茶碗などもある。
お猪口は明治頃、小皿は大正時代のものらしい。
ちっちゃいコップは60年代のものらしい。
コップはニコちゃんマークが描かれているが、隣には緑の線で四角顔に怒っている顔と、
青の線でおにぎり顔に泣いている表情がかかれている。
なかなかユニークなので妹の分も買ってきてあげた。
一個250円で安い。小皿とお猪口はそれぞれ100円なのだ。
小皿とお猪口はなんでそんなに安いのかというと、焼くときに傷がついたもので、といっても素人目には気にならない。

古本屋をまわるときもそうなのだが、昔の古いものはそれを手にしたとき、文章や写真で知っている時代がまるでそこに
存在しているような錯覚に陥る。
時代の忘れ物がそこにある。
タイムスリップしたような気になるのだ。

他にも赤色で家紋がデザインされているのとか、かわいいアルファベットの茶碗とかを買ってきた。
妹が2人いるので3人でわけた。
特に家紋はうちの家紋とおんなじだったので、嫁に行った妹にあげたのだ。
結婚しても女は実家の家紋をつけるからね。
うちの家紋は丸に剣酢漿草で、映画「用心棒」で三船敏郎がつけている家紋と同じで、ちょっとかっこいい。
家紋といっても高いものじゃなくって、105円で安い。
これも60年代ころのものらしい。
当分陶器さがしは続きそう・・・
悩みは荷物がまたふえることなのだ。ただでさえ軽トラ5台分の部屋にいるのに。


京都のいいところは、東京とちがってこういうのが安いところと、ぶらぶらするところがたくさんあるところだ。
喫茶店も多いし(決してカフェじゃないのだ!)安らぐ空間がたくさんある。

京都の人は空間にこだわる。

いろいろ旅行したけど、東京以外で文化を発信しているのは大阪と京都ぐらいだなあと思った。
これはいいとか悪いとかじゃなく、歴史的な土地柄なのせいなのだろう。
そのことについてはまた次回に。

おそろいのミニカップで「越乃寒梅」を飲みながらこれを書いているのでした。

映画を見てきたその2

2005年09月18日 | 日記
さてちなみにこんなに文句をいいながらも僕は映画の中でも東宝作品は好きで、戦前のPCLの頃からの作品を追っかけているほどで、旧作がなかなかビデオにならないこの時代に、通販で東宝作品が中心の「キネマ倶楽部」の会員にもなったいたぐらいなのだ。
これ一本1万円以上のビデオを5本以上注文しないといけないところで、ない金ふりしぼって買ってたほどだ。

さて最近、辞書ぐらいの分厚い黒澤明監督関連の書籍のなかでもこれを右に出るものはないといった本が出た。
「KUROSAWA」全3巻(ただいま1・2巻まで)で、それぞれが「演出・録音・記録編」「映画美術編」と、今まで黒澤作品に関わった人達の聞き書きと黒澤論がまとめられた本なのだ。
黒澤作品はいくつかの映画会社で作られているが、やはりホームグランドは東宝で、黒澤監督の要求に答えようとするスタッフの並々ならぬ知恵と努力が数多く載せられていた。

ぼくは映画にかける情熱に感動し、物を作ることの喜びに感銘を受けていた。
たしかに今は昔ほど映画が盛んではないし、上映している映画館の事務所で、ダンボール箱に入りきらないぐらいの札束を足で押さえつけて入れるなんてことはない。

あの頃のひとたちは、撮影所システムがなくなった今、いままで作り上げてきた技術をどう次に伝えたていくか。それが悩みらしい。でもなんとか絶やさないでおこうと大変な努力をしている。

合理化で東宝の部門が独立会社化したものの、少なくとも東宝にはまだその関連会社を使って技術を受けおえる力が残っているし、人材もいるのだ。
細々とでも続けていれば次の世代に繋げられる・・・そんな思いで作りつづけている。

それはアミューズメント部門を引き受けている美術部もそうで、それは今もラーメン博物館にいけばよくわかる。
まるで大正時代の建物を移築したような出来の来々軒を観ればわかる。
地下の建物の樋には雨だれ、塀にはあの「七人の侍」のときに作り上げた焼き板に何度もたわしでこすって磨き、泥絵の具を塗って仕上げる使い古したような板の技術のすばらしさ。
用心棒の「馬目の宿」のような白壁の汚しのなんともいえないリアル感。

その東宝の本家の映画作りがこんな安易な企画と製作態度に腹が立ったのだった。
元々東宝は他の映画社とちがい、貸しスタジオや録音技術などを提供する会社からはじまり、PCLとJOスタジオ合併後、東宝となり他社がドンブリ勘定とワンマンな製作を続けていた映画会社の中で、初めての近代的な経営理念を持って作られた会社だった。
その歴史が唯一の映画会社の中で未だに売上一位の座を保ちつづけているのだと思う。
しかしそれも時にはソロバンはじくあまりとんでもない状態になっていくこともある。
たとえば「ゴジラ」シリーズは「ゴジラの逆襲」以来8年ぶりに製作された「キングコング対ゴジラ」にある。
これはジブリの「もののけ姫」が製作されるまで日本映画売上NO1だった。
しかし「キングコング対ゴジラ」以後、当たるとされたゴジラ映画は予算もどんどん減らされていき、円谷監督が「ほんとは10カットで撮るといいんだけど、2・3カットですましてしまわないといけないんだ」といわれる始末。
そのあとはご覧のとおりの作りになってしまう(平成版以前のことですが)
そりゃあ、予算が少なくて売上が多いほうが利潤がいいにきまってます。
どうも路線が続くとちゃっちい作りになってしまうのが東宝の良くないところだと思う。

明らかに「ウォーターボーイズ」以降、高校生をねらった青春もの路線を企画し続けているのはたしかで、どんどん企画のねらいと監督の資質が違ってきていると思う。
「ロボコン」は確かに面白かったし監督もいい。
しかし東宝の売り方は「ウォーターボーイズ」路線。
あの監督の本質とはちょっと売り出しかたがずれている。
続いて「セカチュー」の青春純愛路線の次はなぜか「タッチ」

連載当時ならまだしも、20年もたってなんのひねりもない作り方に頭にきたのだ。

まあそんなわけで、もう愚痴はこんなぐらいにして、これは一番ひいきにしている東宝だからこそ、今や年に1・2本ぐらいしか自社製作していないからこそ、ここぞという東宝作品を作って欲しという願いだったのだ。

昨日もちょうどBS2で放送していた成瀬巳喜男監督「驟雨」(東宝作品)をみてつくづく思ったことなのでした。

以上、映画批評終わり。
以後映画の悪口はこれっきり。
ちなみにぼくのノートPCとデスクトップの壁紙は長澤まさみっす。ああはずかしいっ(笑)いい年して・・

東宝の名作はhttp://www010.upp.so-net.ne.jp/tohoscope/kenbunroku.html
にいくと詳しく見れます。
歴史はこっちhttp://www010.upp.so-net.ne.jp/tohoscope/nendaiki.html