さてこの川島雄三という人は生涯50数本の作品を残しているんだけど、なんといっても「幕末太陽伝」が一番有名で出来がいい。
映画史にのこる名作なんだけど、これと「洲崎パラダイス」「貸間あり」がこの監督のベスト3だとおもう。
個人的な思い入れだと他にもあるだろうけど、一般的にもこのあたりだろうと思う。
ラーメン博物館に以前、「居残り屋雄蔵」という店があったんだけど、川島雄三のあだ名が「居残り雄三」と言われていたんで、きっとここからいただいたのだろう。
ほかにもたくさんの当時の有名人からもじった名前の店や表札があるのだ。
居残り屋とはそもそも吉原などの遊郭の用語で、たとえばグループで遊郭であそんだものの、お金がなくなってしまい、一人だけ残してお金を取りに行くのだが、もどってこずそのまま人質に残った人が居残ってしまうのが居残り。
これもいろいろな段階があって、ただいついてしまうのはいいほうで、しまいにはその遊郭でフランキー堺の「居残り佐平次」のように仕事をして、じぶんで商売をはじめてしまう段階までいってしまうひとがまれにいるらしい。
ここまでいくとやっと「居残り」の称号がいただけるらしい。
まあ遊郭にとってはやっかいものだが、揚げ代がもらえないとわかった段階で少しでも稼いで、返してもらわないといけないのだからじっとしているよりはいい。
映画のようになかなか調子のいい達者な人もけっこういたらしい。
そういえば「洲崎パラダイス 赤信号」のほうの三橋達也と新珠三千代の2人はなんだか懐かしいような気がするのは、どこかうちの叔父夫婦を思い出すからなのだろうか。
僕の知っている叔父は見た目も性格も勝新ににていて、行動も似ている。おかげでうちの父親とはそりが合わなかったようだ。
うちの叔父もそうとう勝新と三橋達也の役を足して2でわったような人だったようだらしい。
若いときはかっこよくって、相当女を泣かせたし、親兄弟もおかげで苦労させられたという。
なんだか三橋達也と新珠三千代の関係をみているときっとうちの叔父夫婦も若いときはこんな感じだったんだろうなあと思ってしまった。
ちょっとうらやましくも思う。
親兄弟にとってはとんでもないだろうけどね。
ただもうこういうあじのある昭和の匂いのする人達はいなくなってしまったというのはチト寂しい気もする。
まあそれはさておき、あの一杯飲み屋「千草」の轟夕起子の商売や状況が祖母に似ているし、いまはもう見られなくなったような昭和の匂いがする主人公2人が懐かしく、リアリテイを感じるのはそのせいなのだと気が付いた。
そもそも川島雄三の映画を見るようになたのは、以前付き合っていた女性が映画好きで、同じ趣味をしていたところからなのだった。
なかなかの美人なうえにかなりマニアックな女性で、今村昌平編「サヨナラだけが人生さ」を持っていて(もちろん今売っている再販前なのだから相当マニアックだとおもう)
それを貸してもらってからなのだ。
彼女のおじさんというのも相当マニアックで、その影響が大きかったようだ。
けっこういろんな映画を一緒に観た。
僕のマニアックな映画趣味についてこられたのは今までで彼女くらいなものだろう。
僕の趣味に古書めぐりがあって、最近は行っていないが、神田の古本街をいっていたのだが、だいたいが付き合いきれず、表で彼女が待つ羽目になることが多い。
しかし彼女は唯一一緒に古書屋めぐりが出来る女性でもあった。
役者をやっていたこともあって、よく芝居や映画の話をして過ごした。
生の黒澤明を見かけたときは二人とも声がでないほど喜んだものだ。
ほとんどビデオ化されていない川島作品を持っていて、そのなかでこの作品のビデオは借りたままになっている。
「洲崎パラダイス」の名前を見るたびに、うちの叔父とその頃の彼女を思い出してしまうのでした。
映画史にのこる名作なんだけど、これと「洲崎パラダイス」「貸間あり」がこの監督のベスト3だとおもう。
個人的な思い入れだと他にもあるだろうけど、一般的にもこのあたりだろうと思う。
ラーメン博物館に以前、「居残り屋雄蔵」という店があったんだけど、川島雄三のあだ名が「居残り雄三」と言われていたんで、きっとここからいただいたのだろう。
ほかにもたくさんの当時の有名人からもじった名前の店や表札があるのだ。
居残り屋とはそもそも吉原などの遊郭の用語で、たとえばグループで遊郭であそんだものの、お金がなくなってしまい、一人だけ残してお金を取りに行くのだが、もどってこずそのまま人質に残った人が居残ってしまうのが居残り。
これもいろいろな段階があって、ただいついてしまうのはいいほうで、しまいにはその遊郭でフランキー堺の「居残り佐平次」のように仕事をして、じぶんで商売をはじめてしまう段階までいってしまうひとがまれにいるらしい。
ここまでいくとやっと「居残り」の称号がいただけるらしい。
まあ遊郭にとってはやっかいものだが、揚げ代がもらえないとわかった段階で少しでも稼いで、返してもらわないといけないのだからじっとしているよりはいい。
映画のようになかなか調子のいい達者な人もけっこういたらしい。
そういえば「洲崎パラダイス 赤信号」のほうの三橋達也と新珠三千代の2人はなんだか懐かしいような気がするのは、どこかうちの叔父夫婦を思い出すからなのだろうか。
僕の知っている叔父は見た目も性格も勝新ににていて、行動も似ている。おかげでうちの父親とはそりが合わなかったようだ。
うちの叔父もそうとう勝新と三橋達也の役を足して2でわったような人だったようだらしい。
若いときはかっこよくって、相当女を泣かせたし、親兄弟もおかげで苦労させられたという。
なんだか三橋達也と新珠三千代の関係をみているときっとうちの叔父夫婦も若いときはこんな感じだったんだろうなあと思ってしまった。
ちょっとうらやましくも思う。
親兄弟にとってはとんでもないだろうけどね。
ただもうこういうあじのある昭和の匂いのする人達はいなくなってしまったというのはチト寂しい気もする。
まあそれはさておき、あの一杯飲み屋「千草」の轟夕起子の商売や状況が祖母に似ているし、いまはもう見られなくなったような昭和の匂いがする主人公2人が懐かしく、リアリテイを感じるのはそのせいなのだと気が付いた。
そもそも川島雄三の映画を見るようになたのは、以前付き合っていた女性が映画好きで、同じ趣味をしていたところからなのだった。
なかなかの美人なうえにかなりマニアックな女性で、今村昌平編「サヨナラだけが人生さ」を持っていて(もちろん今売っている再販前なのだから相当マニアックだとおもう)
それを貸してもらってからなのだ。
彼女のおじさんというのも相当マニアックで、その影響が大きかったようだ。
けっこういろんな映画を一緒に観た。
僕のマニアックな映画趣味についてこられたのは今までで彼女くらいなものだろう。
僕の趣味に古書めぐりがあって、最近は行っていないが、神田の古本街をいっていたのだが、だいたいが付き合いきれず、表で彼女が待つ羽目になることが多い。
しかし彼女は唯一一緒に古書屋めぐりが出来る女性でもあった。
役者をやっていたこともあって、よく芝居や映画の話をして過ごした。
生の黒澤明を見かけたときは二人とも声がでないほど喜んだものだ。
ほとんどビデオ化されていない川島作品を持っていて、そのなかでこの作品のビデオは借りたままになっている。
「洲崎パラダイス」の名前を見るたびに、うちの叔父とその頃の彼女を思い出してしまうのでした。