私のタイムトラベル

ある家の物語・白鷺家の人々
― 道理を破る法あれど法を破る道理なし ―

どうどうめぐり ―ある日の会話 ―

2017年06月12日 | 2. 闘争編

 2005年6月に祖母・松子さんが遺言書を持ってくるに先立って、交わされた竹子伯母と父たちの会話  

 

 「オレとしては何を問題にしてるんか、いうたら、土地が何坪とか、家の話とかではなかったんやな・・・、

        呼んだ・呼ばへんということを親子で言うこと自体異常や。しかも、それをいまだに続けている・・・」

伯母「続けてるのは あんたでしょう!」

父 「そうですよ。 オレは続けるの、デタラメ言われたら困るの」

伯母「うーん、」


父 「オレが自分の家を持とうと考えた時にお袋は言った。“あんたには、ここに帰るとこがある、

       家のことは考えんでよろし、だれもごちゃごちゃいうもんはいない”ってな。 

      そういうことをふつう世間では<呼んだ>ということになる。お袋はその時の自分の言った言葉をちゃんと覚えてた」

伯母「それは あんたがおかあちゃんに言わせたんじゃないの」

父 「その時の光景まで覚えてた。 で、姉貴はどう思う? 」

伯母「呼んだとか呼ばないっちゅう話は わたしは、もうかなわんな」

父 「最初、姉貴は100パーセントあんたが正しいって言ってた・・」

伯母わたし知らん 立ちおうてへん」 

母 「えっ?」

伯母「わたしは・・あのぉ・・・居ない・・・」 

父 「もちろん姉貴はそこにいないよ、でもね、それやったらね、いないのにね、

       なんで お袋が呼んでないって、姉貴、はっきり言えんの? おれに」


母 「今になって呼んでないって、私たち ここに住んでいるんですよ! 私たちが言葉にいつまでも拘っていると

   言われますけど、これって 私達にとって大事な問題です。それに、もしどうでもいいのなら、わたしたちが

   お義母さんが<呼んだ>ということに対して、昔のことやから忘れてたけど、イチロウちゃんが 

   それだけ言うならそうなんやろなぁ」でも良かったんじゃあないですか。 

   そんな鷹揚さがあったとしたら いつまでもこんなこと、言わなくて済んだはずです」


伯母「そしたら、おかあちゃんが “呼んだのよ” というふうに言わはったら、それで事がおさまるわけ? 

   あんたに “来てと言ったのよ” と一言、言わはったら それで、事が終わることになるの?  

   私はね だからね・・・・あんたたちのもともと 優しい気持ちの中で出たことではあるけれど、

   “帰ってきてと言った” と言われたら、おかあちゃんは “そういうことを言う人じゃない”って

   わたしは思う

父 「お袋が言わへんだったら、オレ、ここに入ってきてへんね!!」

伯母だからね! そういうことになると、私は おかあちゃんは “来てくださいといわなかった” 

   という形になる・・・


 これって、いったい どぉーゆぅ 会話…?  詭弁に 歪曲に ごまかし??