2005年6月に祖母・松子さんが遺言書を持ってくるに先立って、交わされた竹子伯母と父たちの会話
父 「オレとしては何を問題にしてるんか、いうたら、土地が何坪とか、家の話とかではなかったんやな・・・、
呼んだ・呼ばへんということを親子で言うこと自体異常や。しかも、それをいまだに続けている・・・」
伯母「続けてるのは あんたでしょう!」
父 「そうですよ。 オレは続けるの、デタラメ言われたら困るの」
伯母「うーん、」
父 「オレが自分の家を持とうと考えた時にお袋は言った。“あんたには、ここに帰るとこがある、
家のことは考えんでよろし、だれもごちゃごちゃいうもんはいない”ってな。
そういうことをふつう世間では<呼んだ>ということになる。お袋はその時の自分の言った言葉をちゃんと覚えてた」
伯母「それは あんたがおかあちゃんに言わせたんじゃないの」
父 「その時の光景まで覚えてた。 で、姉貴はどう思う? 」
伯母「呼んだとか呼ばないっちゅう話は わたしは、もうかなわんな」
父 「最初、姉貴は100パーセントあんたが正しいって言ってた・・」
伯母「わたし知らん 立ちおうてへん」
母 「えっ?」
伯母「わたしは・・あのぉ・・・居ない・・・」
父 「もちろん姉貴はそこにいないよ、でもね、それやったらね、いないのにね、
なんで お袋が呼んでないって、姉貴、はっきり言えんの? おれに」
母 「今になって呼んでないって、私たち ここに住んでいるんですよ! 私たちが言葉にいつまでも拘っていると
言われますけど、これって 私達にとって大事な問題です。それに、もしどうでもいいのなら、わたしたちが
お義母さんが<呼んだ>ということに対して、「昔のことやから忘れてたけど、イチロウちゃんが
それだけ言うならそうなんやろなぁ」でも良かったんじゃあないですか。
そんな鷹揚さがあったとしたら いつまでもこんなこと、言わなくて済んだはずです」
伯母「そしたら、おかあちゃんが “呼んだのよ” というふうに言わはったら、それで事がおさまるわけ?
あんたに “来てと言ったのよ” と一言、言わはったら それで、事が終わることになるの?
私はね だからね・・・・あんたたちのもともと 優しい気持ちの中で出たことではあるけれど、
“帰ってきてと言った” と言われたら、おかあちゃんは “そういうことを言う人じゃない”って
わたしは思う」
父 「お袋が言わへんだったら、オレ、ここに入ってきてへんね!!」
伯母「だからね! そういうことになると、私は おかあちゃんは “来てくださいといわなかった”
という形になる・・・」
これって、いったい どぉーゆぅ 会話…? 詭弁に 歪曲に ごまかし??