今日の朝刊(2017年6月11日)の一面に載っていた記事。
「国民を代表する国会議員の疑問に対して、誠実に答えるのは民主主義における政府の最低限の義務だ。
それをしないのは国民を馬鹿にしていることと同じ。・・・略・・・官僚と一緒になって居直ることで
国民に『これ以上質問しても無駄だ』とあきらめさせようとしているようにみえる」
この種の記事は枚挙にいとまがない。そしてわたしはいつも我が家の出来事と重ねてしまう。
対象が不特定多数でなく家族であった場合、家族の怒りは濃縮され救いようもない。
新聞に「正面から向き合わない政府の姿勢」とあったが、巨大化した塊のような集団が正面から
誠実に対したことがこれまでどれほどあっただろうか。
「わたし、なんぼ考えても そんなひどいこと言うたやろか・・・“呼んだ”て言うのは わざわざ呼んだ・・・、
つまり、ここに来てくれと頼んだわけやないさかい“呼んだ覚えはない”て あんたにそう言うたんや」
祖母・松子さんは最終、こう言って<呼んだ・呼ばない論争>を打ち切った。
打ち切ったが、しかし成熟した大人になり切れない白鷺家の人間達の意地と欲に絡んだ狂騒曲はまだまだ続く。