元気な人がいればやる気の無い人がいます。その本の気はどこから来るのでしょうか。
修道を歩む者は、心に、堅、誠、恒を深く掲げています。堅実とは、地の道であり、心をやるべき事に集中させることです。誠は、天の道であり、心に偽りなく、自分の心に素直に随うことです。恒は、人の道であり、心に飽くことなく継続させる努力です。
修人は堅誠恒の志を掲げているからこそ、世の無常、苦しみ、迫害があろうとも淡々と道を歩めるのです。もちろんやる気が出ない日もあります。それでも修人は道を歩むのです。
孟子は志は気の帥であると述べております。修人は、志があるからこそ、元気やる気が出て来るのです。
簡単に言えば目標を持つことが元気になる秘訣なのです。
それは、学問、仕事、修養、すべての志、目標で得られるものです。
特に目標が無い方は、毎朝、神棚の水を変えたり、3分でもいいから、瞑想したり、神様に祈ったり、事を為すことが志を堅くすることになります。そして、目標を少しずつ大きくしていけばよいと思います。悟りを開きたい。神合一したい。他人が聞いたら笑うような事でも、内なる神は発動し、元気を回復するのです。
内在する神が動き出すのは、心に志がある時なのです。神が動けば、気が活発に廻ります。気が巡れば、精気は集中し精力となります。精力があれば、人間は元気に活発に行動するのです。
精、気、神、道院では後天の三宝と申し、修養、坐にとって大切な働きなのです。
「神が内に凝らなければ、外に放たれる。気を内に養わなければ、外に散ずる。神が放たれて、気が散ずれば元気が必ず衰退し、精・気・神の三宝は損なわれる。」
つづく
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修道を歩む者は、心に、堅、誠、恒を深く掲げています。堅実とは、地の道であり、心をやるべき事に集中させることです。誠は、天の道であり、心に偽りなく、自分の心に素直に随うことです。恒は、人の道であり、心に飽くことなく継続させる努力です。
修人は堅誠恒の志を掲げているからこそ、世の無常、苦しみ、迫害があろうとも淡々と道を歩めるのです。もちろんやる気が出ない日もあります。それでも修人は道を歩むのです。
孟子は志は気の帥であると述べております。修人は、志があるからこそ、元気やる気が出て来るのです。
簡単に言えば目標を持つことが元気になる秘訣なのです。
それは、学問、仕事、修養、すべての志、目標で得られるものです。
特に目標が無い方は、毎朝、神棚の水を変えたり、3分でもいいから、瞑想したり、神様に祈ったり、事を為すことが志を堅くすることになります。そして、目標を少しずつ大きくしていけばよいと思います。悟りを開きたい。神合一したい。他人が聞いたら笑うような事でも、内なる神は発動し、元気を回復するのです。
内在する神が動き出すのは、心に志がある時なのです。神が動けば、気が活発に廻ります。気が巡れば、精気は集中し精力となります。精力があれば、人間は元気に活発に行動するのです。
精、気、神、道院では後天の三宝と申し、修養、坐にとって大切な働きなのです。
「神が内に凝らなければ、外に放たれる。気を内に養わなければ、外に散ずる。神が放たれて、気が散ずれば元気が必ず衰退し、精・気・神の三宝は損なわれる。」
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