白骨の道「下野清徳の回顧録」

戦後復興に命を懸けた公務員の生涯を赤裸々に紹介します。メール:kanran@i-next.ne.jp

・・・・・  無   常  ・・・・・

2009年12月21日 | Weblog
私は、昭和29年戦後わずか9年目の春、18才の若さで住民の生活の確保と差別の解消に燃えて公務員を志した。その後42年間の在職の内22年間を管理職として5人の町長に使えた。住民課長と社会福祉協議会の事務局長、産業振興課長と農業委員会の事務局長等無報酬で兼職を引受けた。百㌶の世知原茶園の造成では、徹夜残業続きで佐世保市役所の玄関で倒れた、過労が原因の脳梗塞であった。その後も人間環境の整備、と生活安定の為の事業に生涯を懸けた。私が就職当時16名だった職員も退職時は70名程に増員していた、同僚や後輩は総務課や助役の席に座り、自分の子を役場に就職させて退職した、又建設会社の重役に天下りした。議長や課長が自分の家族を県職員にした、そして選挙では自民党知事の傘下となって選挙運動をした。この連中が今では、民主党の後援会組織に割り込んで利権を握ろうとしている。我が子は弱小企業で血の出るような汗をして働いている、私と妻は通院生活を送っている・・・人生はああ無常である・・・