Forth!

移転しました(2014/1/1)

M.O.P

2013-07-09 | ひなみ

今日も暑かった。
口を開けば第一声はまず「暑い」。
本当に暑い。どうにかして。
  
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/6c/90f46023a71ad9563eee9f71a9a84a5d.jpg?random=ff03502b038c43af27377aa395b8b163

新聞で今週のタイトルを確かめて、余裕があればチャンネルを合わせるけど、結局5分位でテレビを消してしまう。
知識が無くても辛くて見られない。
ファンの心中如何ばかりかお察し申し上げるとしか言いようのない歴史劇である…

何でチャンネルを合わせているかというと、そろそろ中村半次郎(と広瀬武夫の恩師)が出てくるんじゃないかという下心で、ここ2・3回はキャスティング位まで見てる。
そうしたら小市さん出ててびっくりした。

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/f6/fac85456febc146daf280117eb459551.jpg?random=e4c345045fec2f17a71a2d4c38223ea9

申し訳ない。どなたか存じ上げない。
ウィキだったので誰がきりーをするのかしらと思ってスクロールしたら、

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/df/b7eb4136cd9eab26b902919574a8b315.jpg?random=1cd1bdd6cc85687b01b857a9e16e85ae
  




三上さんやった…
そ、そうか…おふたりとも大河に出てるのね。キムラ緑子さんもNHKに良く出てるしなあ。
同じ時間枠でこのおふたりを見ることになってちょっとびっくりしたのだわ。
あたしこれ見なきゃだめって事ですよね… 

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/20/093ede4d7f12da436d15876c8d4311dd.jpg?random=d96a9244f66aaa03ce51a510ad646a33

昔懐かし『HAPPYMAN2 上海大冒険』。梅田のシアタードラマシティでの公演。
石渡治の『HAPPYMAN』の原作っちゅうか、大本になったお芝居。(話は全然違うww)
劇団M.O.Pのチラシを書いていたのが石渡さんで、漫画はその関係から。
当時のチラシを掲載しているサイトがあったのでURL載せとくー^^
 (h)ttp://fringe.jp/blog/archives/2010/10/03161830.html
懐かし過ぎる。全部持ってたのに、どうして捨てた私。
当時の同人幕末サークルさんがこぞって幕末って事で激プッシュしてたんだ。
劇団員の方たちとも交流があったようです。
異聞のチラシなんてそのサークルさん達が少しずつイラストを描いていたんだよなあ。
ほんとに懐かしい。
その時期に買った同人誌は一冊も手放さず手元にあります。宝物だ。
(当時はBL臭は非常に少なく(サークル数も)、ストーリー重視だったりギャグだったりが多く、今なら商業でも堪える濃い内容のが多かった。エロ系重視で描いている所は私が知ってる限りほとんど無かったと思う。そういう本もあったけどね)
 
上海大冒険はまだビデオなんだ恐ろしい…
小市さんが高杉晋作で、三上さんはこのお芝居では悪役、悪徳英国人。
坂本龍馬は自転車キンクリーツカンパニーに所属していた久松信美さんでした。
久松さん、確か前年の『エンジェル・アイズ』にも徳井優さんと一緒に客演してた。

他のHAPPYMANシリーズでは、三上さんは確か松平容保役(オカマ)だったはず。
「LOVEよ」みたいな言葉が扇子に書いてあったような気が。

思わぬ所でおふたりの名前を見つけて嬉しいやらびっくりやらだけど、あの内容を見ないといけないと思うと辛いわー。

会津で思い出したけど、2・3年ほど前の年の暮れ、新しい史料が出てました。
ドイツから発見だっけ?
会津と庄内が北海道の藩領を武器支援と引き換えにドイツに売り払おうとしていたっちゅう。
そういう話もドラマでは出てきたのかなーとぼんやり思いましてん。
ビスマルクが断ってきたからいいものの、ゴーサインが出ていたらどうなってたんだろう。


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12 Comments

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Unknown (ジゴロウ)
2013-07-10 03:44:47
お暑うございます。
顔がヒリヒリ致します。

再放送になって、ようやく冷静に見れる今年の大河ですが、わかっていても、あの後手後手具合がやりきれませぬ…

會津側だと、あんな人まで?みたいな登場人物も出ますが、広瀬の師匠って、山県(北越で足留めされてない方)ですよね?錦絵にもいた人。

ハッピーマン、漫画もっています。
容保公の耽美さが、オカマにされてましたか…
漫画の容保公の腹黒さとか、今考えたらすごいですよね。

ドイツは…本当にねぇ… 目を付けた国がよかった以外、この計画自体が、黒歴史としか言いようがないです。
返信する
N○Kに言いたい(笑) (MV)
2013-07-10 06:27:11
2週ぐらい前でしたか、桐野がほんのちょびっと出ましたね。ちょびっと過ぎてオープニングにはテロップありませんでした。今週のはまだ見てません。

大河は、後の9時からの『空飛ぶ広報室』と、キャストが被ってるのが面白くて見てました。

容保公と、『広報室』の主人公=綾野剛。
勝海舟と、『広報室』のヒロインの上司=生瀬勝久。
まじめ~な演出と、コメディ込みの演出との演じ分けが面白くて見てました。
演じ分けという点では生瀬さんの方が上手かったかな~。でも綾野君はかわいいので許す(笑)。

『広報室』が終わっちゃったので、関心度が急速に低下中。でも会津戦争が終わるまでは見ようかしらん。

大河、『炎立つ』の年みたいに半年ずつにして、先に保科正之、後を八重にすれば、『八重』で会津が幕府側に立つ理由が明確になって良かったんじゃないかなと思うんですがね~。
せめて2時間×2回ぐらいの保科の伝記ドラマを春ごろにやっとくとか。

来年はまた戦国時代ですか。う~ん。
その次にまた幕末維新に戻るんなら、今度は薩長でも幕府でも会津でもない視点からになりませんかね。
岩倉具視とか。
視聴率取れないかな(笑)。
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>ジゴロウさん (ヒジハラ)
2013-07-10 21:01:36
ほんと暑いですね。
ジゴロウさんもぜひ日焼け止め使って下さい。夏はこれからですよー^^;
 
大河ドラマ、本当にこの2・3回、何れも10分足らずしか見ていないのですが、それでも心苦しいです。
あれには心がやられます…(涙
結果を知っているだけに小田原評定具合や真っ当な意見が退けられていく様子に、そーじゃないのよー!とテレビ揺さぶりたくなると言うか。
 
会津は「誠実」や「実直」は政治的には必ずしも正義ではなく、時には害悪になるというのが中々理解できないという…
良くも悪くも真っ当過ぎたというか、真直ぐ過ぎたんだと思います。寝技が全然使えない…
史実でもハッピーマン位の事が出来ていたら後の歴史も随分違ってたかも、と思うとちょっと切なくなりますねえ。
 
そうです、そっちの山縣さんです。
開城後、降伏式に中村と共に新政府軍代表として出席しており、その後松平容保父子を妙国寺に護送しています。
  
ドイツ云々は黒歴史でいいですか、やっぱり(と言っていいのか…)
エントリ内では書きませんでしたが、初見した時、私は正直引きました(会津ファンの方にこの言い草ですいません)。
ニュースが出た時にどこかの先生が「会津にもこんな国際展開が出来たなんて」と割と好意的・肯定的に解説していて、逆だろうと思ったんですよ。
だってこれ、ものすごい危ない話ですよね…
同じような話を勝海舟が叩き潰した例もあるのになあ。

しかしこの話、これから研究が必要というだけで続報を聞かないので、その後どうなったんだろうと思ってはいるのですが。
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>MVさん (ヒジハラ)
2013-07-10 21:04:11
既に出てたんですか!
内容的にあまり見たくなくて、本当にオープニングの辺りと、テレビかけた時にチャンネルがあってたのでちょっと見るとか、そんな感じで。
他のドラマも全然見ていなかったので…結構キャスト被ってたんですか(笑)

確かに半年ごとにすれば歴史的な流れがより分かり易くて良かったのかもしれません。
あそこまで会津が徳川幕府に拘る理由は、それまでを知らなければ中々理解できないよなあ…
というか、これ本当に復興支援なんだろうかと思ってしまうのは私だけでしょうか^^;
そういう冠を付けるのなら、もう少し全体的に明るい話出来るようなモデルを選んだ方が良かったのではと個人的には思うのですが。
観光的には良いのかな。

次はまた戦国ですが、姫路所縁の人物という事で兵庫県的には嬉しいようです(精一杯の皮肉
もう幕末も戦国も沢山だ…
どうせ戦国とかなら北条早雲とか斎藤道三あたりをして欲しいんですけどねー(笑)
早雲は名前的に難しそうですが(北条を名乗るのは子供の代からなので)。
日本の歴史は幕末と戦国だけなんでしょうかねえ。
面白い時代、他にも一杯あるのに。
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Unknown (ジゴロウ)
2013-07-11 01:02:28
會津は本当に想像力がないというか、西側諸藩が万国公法を学んだり、西洋との付き合い方を模索してるのに、強力な武器を輸入するくらいしか思い付かなかったり、正義は勝つという意識が抜けきらないんですよね…

だから、明治になって、教育なんかで名をあげたのはわかりますが、大正~昭和初期に、外交の會津と呼ばれたのは、どこの會津だ?くらい、目頭が熱くなります。

プロイセンとの研究は、してるらしいですが、誰が提案したかとか、あまり進んでないみたいですね。
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すみません。 (MV)
2013-07-11 07:24:35
↑で「オープニングにはテロップありませんでした。」と書きましたが、でてました。すみません。

でも3人いっぺんであんな短時間では見逃すよ~~~。
オープニングを確認して見るか見ないか決めるのなら、眼を皿のようにして見てないと駄目ですね。

また幕末戦国をやるのなら、今まで取り上げられなかった人物というだけでなく、立場の違うところから~と思うのです。
むか~し、春日局の時、小早川陣営からの関ヶ原が描かれて話題になってた覚えがあるんですが、そんな感じで。

>これ本当に復興支援なんだろうか
ですねぇ。それこそ保科の方が良かったんじゃないかな~と思います。
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>ジゴロウさん (ヒジハラ)
2013-07-13 20:47:01
西南雄藩との違いは海外との接触の有無(多寡?)じゃないでしょうか。
海に面する藩が多い上長崎も近く(長崎警備を割り当てられる)、薩長は特に戦争で敗れていますし。
会津はセンスを磨く場も、時間もなかったのだろうと思います。
幕末の会津には日本の良さと悪さの凝縮を見るような気がします。
特に容保さんが動乱期の政治向きではなく、何度か抜けられる機会があったのに人が良すぎる…と(涙

松平恒雄がそうですね。正にザ・会津ですね。

プロイセン関係は海外でしか史料が出てきていないというのがネックなのかなと。
庄内の方からは出てきてないんでしょうか?^^;
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>MVさん (ヒジハラ)
2013-07-13 20:48:27
そうでしたか。
私も片手間で見ているのでスルーしたんですね、きっと^^;

>立場の違うところから~と思うのです。

あ、それはそうですね。
同じ話を同じ角度で、これってもしかせんでも歴女意識してる?というパターンが多すぎて余計に嫌なのかも。
いずれにせよ、もう少し根本的な所の視点を変えて欲しいなーと思います…
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Unknown (ジゴロウ)
2013-07-13 23:20:42
そうなんですよね。
會津も開国派ではありましたが、幕府の中枢のお仕事のが忙しかったり、藩士が西洋のことを学んでも、藩がなかなか本腰いれなかったり、結局、武器ひとつにしても、思い知ったのは會津戦争という…

ドイツ関連、本当に動きないですね。
次に會津と交流するのも、飯盛山の石碑で、メッケル呼ぶときとか、政府でその話は出なかったんですかね。
庄内も、あれ以来触れられてないようです。
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>ジゴロウさん (ヒジハラ)
2013-07-16 06:08:31
京や江戸にいる藩士の認識が変わっても、それを支えている国元の認識が変わらなければ中々難しいものがあったのかもしれませんねえ…
それが会津戦争でという一事に出ている気がします。

幕末の会津からばかりでなくて、違う視点から見れば何かの手がかり位出てきそうな気もするのですが難しいのでしょうか。特に庄内…
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