定年後は旅に出よう/シルクロード雑学大学(シルクロードを楽しむ会)長澤法隆

定年後もライフワークのある人生を楽しみたい。シルクロード等の「歴史の道」を調べて学び、旅して記録する楽しみ方を伝えます。

スペイン「巡礼の道」サイクリング その10

2017-06-29 12:06:45 | 2017スペイン『巡礼の道』サイクリング


6月11日 アストルガからビジャフランカまでの75キロ

宿のカギは、ガウディ―のGをデザインした飾りがついていた。木でできていて大きい。

今日は1505メートルの地点まで上る予定だ。そこで、cグループは、てっぺんまでクルマで行こうと考えていた。ガイドの木下さんに「それはダメです。一番苦しいところは歩いてください.そうでないと、巡礼の道で一番高いところへ行く意味がありません」といわれた。みんなそこをめざすらしい。ここで、スタート地点で拾った石を置いてくる。困難を乗り越えられたことを神に感謝する意味があるのだろうか。

そこで、巡礼宿のある村でお車から降ろされた。村の名前は知らない。聞いておけばよかった。



アストルガの街の城壁の外へ車で行った。買い物でもしたのだろうか。忘れてしまった。



歩き始めるスタート地点は、山の中の小さな村だった。だが教会は大きい。



巡礼者向けの宿なのか。このよう置物はいくつもあった。



歩いていても早い組と遅い組にわかれた。



上りはきついけれども登山程ではない。ハイキングのレベルだ。



とはいえ、この道を大きな荷物を背負って歩くのは、若い時にしかできないように思った。



ここが頂上かと思ってのんびりしていると、道の真ん中で自転車にまたがっている人がいた。ポーランドから来ていて、フランスから自転車に乗ってきたのだという。十字架の前で彼のカメラで写真を撮ってあげたらとてもよろこんでいた。一人旅で、自分のカメラで写真を撮るのは、どうしても決まった構図になっていたのだろう。ただ、この人、光線にも細かいことを言っていた。自分の顔がはっきり写るようにしたかったのだろう。すぐにfacebookなどにアップする風だった。ポーランドのライターなのだろうかと。親近感を覚えた。



だが、ここからが長かった。この村で観光バスを降りて、歩いててっぺんまで行く人が20名ほどいた。見晴らしがよく先が見えるので、安心感がある。



道路脇の「巡礼の道」は歩道のようなところもあった。てっぺんでは、十字架の前で写真を撮る人が多かった。オーストリアから来たという歩いて巡礼している人にも、自分のカメラで写真を撮ってほしいと頼まれた。この人も太陽と雲の動きを気にして、写真を撮るタイミングを指示してきた。次々と観光客が記念写真を撮る場なので、雲が動くまでは十字架から離れてもらった。また、十字架の脇に立つのではなく、手前に立ってほしいと伝えて撮った。写真を見て、彼はよろこんでいた。基本的なことだが、人物が大きく映るのだ。



てっぺんにある十字架の周囲では、記念写真の順番を待つ巡礼の人がたくさんいた。邪魔にならないように写真を撮ったらすぐに交代した。残念ながら、自分のカメラで撮った写真は、太陽が雲に隠れて色が沈んでいた。



MOLINASECAからビジャフランカまでサイクリングとしたと思う。舗装道路で始まったが、すぐに「巡礼の道」のマークがあった。だが、舗装道路、上り坂なので、前を走る人はどんどん行ってしまった。もうダートに懲り懲りかと思って、一人で巡礼の道を進んだ。この時は3人で走っていた。1キロほど進むと、舗装道路にでた。脇に教会があった。ここで、先頭を走っていたメンバーとあった。真ん中を走っていた人がいない。


たった3人だがはぐれてしまったのだ。先頭を走っていたメンバーには、その場を動かないように伝え、3人で走っていたことを覚えている最後の地点まで凸凹道を慌てて下った。すぐに見つかった。最後に見かけたところから、巡礼宿を示す矢印を、ルートを示すものと勘違いして下ってしまったことが分かった。声が届かないからと言って一人で「巡礼の道」を進んだ私にも原因があるだろう。声をかけても先を走っているメンバーには聞こえなかった。こんな時はどうしたらいいのか。以前に、犬対策で買ったホイッスルを持ち歩こうか。ともかく、再び3人で走ることが出来たのでよかった。



「巡礼の道」を通っていると、ホタテ貝やヒョウタン、杖をデザインした鉄格子や置物など様々なものを見かける。

また、畑でサクランボを食べたり自然のありがたさを実感もした。村でサンチャゴへの道を聞くと、サンチャゴに行ったことのないような10歳くらいの子供まで道を教えてくれる。異文化の交流ということで考えれば、こんな触れ合いも「巡礼の道」の意味するところなのだろう。



街の入り口でホテルを調べて居ると、スタッフの一人が迎えに来てくれた。これで休めると思った。だが大間違い。



わたしたちがホテルに到着したのは15時30分。舗装道路を走っているメンバーが通り過ぎないようにホテルの前のベンチで待っていた。彼らが到着したのは、18時50分だった。暑いので15時過ぎには走らないようにと考えていた。だが、かなり予定を過ぎている。彼らもかなり疲れた事だろう。

今日、私たちが自転車で走ったのは8キロ。となると走り始めたのはCACABELOSだったのだろうか。もっと走ったように思う。