2001年にオープンした国立ワインセンターはワイン樽をかたどったユニークなデザインの建物です。 広く長いコンコースを抜けると32000本のワインが並ぶセラーを始め、テイスティングの部屋、レストラン、展覧室、販売店などがあり、ワイン愛好家には楽しい建物でした。 が、残念ながら充分な訪問者を呼べなく閉館となりました。 現在はアデレード大学のワイン教育部が入館し、閲覧室などを管理しています。 場所は Botanic Road と Hackney Road の角。
13階建てのビルでアデレード大学の様々な学科や大学関係の機関が入居しています。 大学のノン・ディグリー・プログラムである Centre for Professional and Continuing Education もここに入っています。 Information Technology の事務所があり、コンピュータのトレーニングもこのビルで行われます。 1階には喫茶コーナーがあり、お茶や軽食を取る人達でにぎわっています。
Sir Thomas Elder は、1881年に友人のDr Edward Stirling が人体解剖学と生態学の講座を持とうとしたときに2万ドルの寄付をし、医学部設立に貢献しました。 また、アデレード大学はオーストラリアで初めて音楽学部(1884年)を作りましたが、経営に行き詰まっていました。 1897年に逝去した Elder が遺言により4万ドルの寄贈を行い、国内初の大学内コンサーバトリアム(1897年)が設立され、音楽学部の活動を広げることができました。 この像は Elder Conservatorium の前に立っています。
Hughes(1803-1887)の名前無くしてアデレード大学の創立は語れません。 1803年にスコットランドで生まれ、1840年頃自分の船、The Hero でアデレードに着きました。 Macclesfield で羊牧場を経営し、義弟とヨーク半島にも牧場を持っていました。 Wallaroo と Moonta の所有地に銅が見つかり、莫大な財産を築きました。 アデレードの教育機関が資金不足のため、まだ大学の形を成していなかった1870年前後、当時としては破格の4万ドルを寄贈し、アデレード大学の人文学と医学部の設立を可能にしました。
バー・スミス・ライブラリーへの入り口は丸い踊り場から渡しが張ってあります。 踊り場に備え付けてあるベンチは待ち合わせの場所でもあります。 踊り場から渡しへ行くには階段を数段下りなければなりませんが、車椅子用のなだらかなスロープもついています。
Barr Smith Lawn と呼ばれる学生の憩いの場に置かれている彫刻です。 アデレード大学基金の協力により、大学のユニオンが Jonnie Dady に製作を依頼し、1992年に除幕されました。
市(カウンシル)がリースし、大学が管理している広い土地です。 芝生が敷き詰められているので、芝の手入れや夏の水まきなど、維持にかなりの手がかけられています。 クリケットやフットボールを始め、様々な屋外球技に使われていて、運動に励む人達の姿が見られます。
Victoria Drive に面した、云わば大学の裏門です。 学生が利用するユニオン・ビル、クロイスター、図書館などが近いため人通りが多いところです。 トレンズ川にかかる歩道橋に直結していて、その先は大学の運動広場です。
1936年に当時の総長であった Sir George Murray が寄付をし、男子学生のための建物ができました。 クロイスターをはさんで向かい側に立つ Lady Simon Building と同じデザインで建てられています。
ユニオン・ビルディングの中で1番古い建物。 1926年に大戦記念クロイスター建設に伴って竣工されました。 女子学生のための設備を整えるための寄付をおこなった Sir Josiah Simon 夫人の名前をもらいました。