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アデレード生活

家のことや周りのことなど、生活の記録です。

National Wine Centre

2006年06月12日 | アデレード大学
2001年にオープンした国立ワインセンターはワイン樽をかたどったユニークなデザインの建物です。 広く長いコンコースを抜けると32000本のワインが並ぶセラーを始め、テイスティングの部屋、レストラン、展覧室、販売店などがあり、ワイン愛好家には楽しい建物でした。 が、残念ながら充分な訪問者を呼べなく閉館となりました。 現在はアデレード大学のワイン教育部が入館し、閲覧室などを管理しています。 場所は Botanic Road と Hackney Road の角。

Uni on Pulteney St

2006年06月05日 | アデレード大学
13階建てのビルでアデレード大学の様々な学科や大学関係の機関が入居しています。 大学のノン・ディグリー・プログラムである Centre for Professional and Continuing Education もここに入っています。 Information Technology の事務所があり、コンピュータのトレーニングもこのビルで行われます。 1階には喫茶コーナーがあり、お茶や軽食を取る人達でにぎわっています。

Thomas Elder

2006年05月29日 | アデレード大学
Sir Thomas Elder は、1881年に友人のDr Edward Stirling が人体解剖学と生態学の講座を持とうとしたときに2万ドルの寄付をし、医学部設立に貢献しました。 また、アデレード大学はオーストラリアで初めて音楽学部(1884年)を作りましたが、経営に行き詰まっていました。 1897年に逝去した Elder が遺言により4万ドルの寄贈を行い、国内初の大学内コンサーバトリアム(1897年)が設立され、音楽学部の活動を広げることができました。 この像は Elder Conservatorium の前に立っています。

Sir Walter Watson Hughes

2006年05月22日 | アデレード大学
Hughes(1803-1887)の名前無くしてアデレード大学の創立は語れません。 1803年にスコットランドで生まれ、1840年頃自分の船、The Hero でアデレードに着きました。 Macclesfield で羊牧場を経営し、義弟とヨーク半島にも牧場を持っていました。 Wallaroo と Moonta の所有地に銅が見つかり、莫大な財産を築きました。 アデレードの教育機関が資金不足のため、まだ大学の形を成していなかった1870年前後、当時としては破格の4万ドルを寄贈し、アデレード大学の人文学と医学部の設立を可能にしました。

図書館入り口

2006年05月15日 | アデレード大学
バー・スミス・ライブラリーへの入り口は丸い踊り場から渡しが張ってあります。 踊り場に備え付けてあるベンチは待ち合わせの場所でもあります。 踊り場から渡しへ行くには階段を数段下りなければなりませんが、車椅子用のなだらかなスロープもついています。 

The Fones

2006年05月08日 | アデレード大学
Barr Smith Lawn と呼ばれる学生の憩いの場に置かれている彫刻です。 アデレード大学基金の協力により、大学のユニオンが Jonnie Dady に製作を依頼し、1992年に除幕されました。

University Ovals

2006年05月01日 | アデレード大学
市(カウンシル)がリースし、大学が管理している広い土地です。 芝生が敷き詰められているので、芝の手入れや夏の水まきなど、維持にかなりの手がかけられています。 クリケットやフットボールを始め、様々な屋外球技に使われていて、運動に励む人達の姿が見られます。

Gate 9

2006年04月24日 | アデレード大学
Victoria Drive に面した、云わば大学の裏門です。 学生が利用するユニオン・ビル、クロイスター、図書館などが近いため人通りが多いところです。 トレンズ川にかかる歩道橋に直結していて、その先は大学の運動広場です。

George Murray Building

2006年04月17日 | アデレード大学
1936年に当時の総長であった Sir George Murray が寄付をし、男子学生のための建物ができました。 クロイスターをはさんで向かい側に立つ Lady Simon Building と同じデザインで建てられています。

Lady Simon Building

2006年04月10日 | アデレード大学
ユニオン・ビルディングの中で1番古い建物。 1926年に大戦記念クロイスター建設に伴って竣工されました。 女子学生のための設備を整えるための寄付をおこなった Sir Josiah Simon 夫人の名前をもらいました。