醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  659号  夏来てもただひとつ葉の一葉かな(芭蕉)  白井一道

2018-03-02 12:19:41 | 日記


 夏来てもただひとつ葉の一葉かな  芭蕉


句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「夏来てもただひとつ葉の一葉かな」。芭蕉45歳の時の句。『笈日記』にある。(曠野)に載せてある句には「山路にて」と前詞が付いている。
華女 「一葉」とは、花なの、草なの、木なの。
句郎 花の咲かない植物のようだ。
華女 松浦寿輝氏が芭蕉100句にこの句を選んでいるのよ。「ただ」という言葉が効いている。そこがいいというようなことを述べているのよ。
句郎 一葉とは、里山に生える野草の一つのようだよ。
華女 私、芭蕉のこの句を読んで初めて一葉という植物を知ったわ。
句郎 里山を歩き、普段目にすることがあっても気に留めることのない草なんだろうな。
華女 雑草の一つとして見捨ててしまう草なのかもしれないわ。
句郎 芭蕉の句を読むことによって身の回りの草や出来事の来歴のようなものを知る機会があるね。
華女 芭蕉は我々が雑草としてひとくくりにしてしまうような草の特徴を観察し、句に詠んでいるのよね。
句郎 芭蕉は野山の雑草を観察し、植物の名前を知り、その草の特徴を発見する。その発見が芭蕉の感動となり、句になっているのかもしれないな。
華女 私たちの身の回りの人や草、道具、家、家族の在り方などに自分と違っていることに気付き、時には感動することがあったのよね。そのことを句にしていたのよね。
句郎 里山の草は夏になると葉をたくさん付け、伸びて来るのが、普通の草なのに一葉は春に芽吹き、夏になっても葉は一つ、その一枚の葉が大きくなるだけだ。そのことを芭蕉は発見し、感動したんだろうな。その感動を句にしたのが、「夏来てもただひとつ葉の一葉かな」だったということなんじゃないのかな。
華女 今、気付いたんだけれど、「一葉かな」は「ひとつばかな」じゃ、六音になるわね。この句、破調なのかしら。
句郎 「一葉かな」は「ひとはかな」と読めば五音になる。
華女 なるほど、「ひとはかな」ね。
句郎 芭蕉は一葉を見て、自分の人生を思ったのかもね。自分は生涯、もう妻を娶ることはないだろうな。夏になっても、冬になっても、春が来ても自分は独り者、独り者の人生なんだという感慨を夏の一葉を見て覚えたのかもしれないな。
華女 アレゴリーね。アレゴリカルな句は読者にいろいろなことを想像させるのよね。
句郎 山本健吉は俳句は象徴詩ではなく寓意詩だということを「純粋俳句」という評論文で述べているからね。
華女 寓意性のある句が読者をひきつける魅力なんじゃないかしら。
句郎 そうなのかもしれない。松浦寿輝氏が言うように「夏来てもただひとつ葉の一葉かな」の「ただ」という言葉が読者の想像力を喚起する力を発揮しているのかもしれないな。
華女 きっと、そうなのよ。私もだんだんこの句が名句なのかもしれないなと思い始めたわ。
句郎 華女さんの想像力を刺激する力がこの句にあるのかもしれないな。きっとそうなんだろう。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿