醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  742号  『おくのほそ道』から「呉天に白髪の恨を重る」  白井一道

2018-05-26 12:43:26 | 日記


 「呉天に白髪の恨を重る」『おくのほそ道』から  


 「呉天に白髪の恨(うらみ)を重(かさ)ぬ」。このような文章が『おくのほそ道』、千住を旅立った後、このような言葉を芭蕉は書いている。芭蕉は何を言おうとしているのか、全然わからない。
「呉天に」という言葉だけで、「辺境をさすらって」という意味だということがわからなければ、意味が通じない。「白髪の恨を重ぬ」と言う言葉が「白髪になってしまうことを度々残念に思う」ということにならなければ意味が通じない。このように解釈するには「恨(うらみ)」という言葉の意味が今とは違っているということに気がつかなければならない。
 「うらむ」という言葉は大和言葉である。奈良時代からある「うらむ」という大和言葉に漢語の「恨」という漢字を充て、「ウラむ」と訓じた。「うらむ」という日本語の意味と中国語の「恨」という意味は共通するところがあるから「うらむ」という大和言葉に「恨」という漢字を充てた。「うらむ」という言葉を表現するには「恨」という漢字だけでは不十分であった。そのため「怨」の字も用いて「怨(うら)む」と訓じた。
 「恨」と「怨」では意味の違いがある。水俣病の患者たちは黒い幟旗に白抜きの「怨」の字を染め抜きチッソ本社へとデモ行進した。チッソ本社へ「怨」の字を持って憤りをぶつけた。これに対して「恨」は自分の心に向かって悔やむ。残念に思う。自分をなさけなく思う。このような違いが「恨」と「怨」にはある。この二つの大きな意味が「うらむ」という日本語の言葉にはある。
 「白髪の恨(うらみ)」を「怨」の意味にとると文章の意味が
通じなくなる。こんなところに古文を楽しむ難しさがある。
 更に「呉天に」という言葉から芭蕉は中国、唐時代の詩人、杜甫に私淑していたことに思いをいたさなければならない。唐王朝に仕えていた杜甫は藩(はん)鎮(ちん)、安禄山・史思明の反乱に巻き込まれ、黄河中流域、渭(い)水(すい)の畔にある都・長安から逃れ長江流域、呉の国を放浪し、そこで死を迎えた。その杜甫の悔恨は反乱軍に一時、
寝返ったことによるものである。そのため反乱軍が鎮圧されると杜甫は都に呼び戻されることはなかった。白髪になるまで放浪の旅をせざるを得なかった。このことを杜甫は悔やんでも悔やみきれなかったにちがいない。その気持ちを芭蕉は思いはかったのかもしれない。
 ちょっとした行きがかりで陸奥(みちのく)への旅を思い立ち、歩き始めてみたものの、止めておけばよかったという悔やみが、悔恨があった。その言葉が「呉天に白髪の恨を重ぬ」という文章なのだろう。生きて帰れるものなら帰りたい。そんな願いを神に祈っていると、ようやく草加の宿に着いた。
巻頭、芭蕉はたいそうなことを書いているが、実際は物の弾みで陸奥への旅は始まったのではないか。私はそう思う。
この部分を初めて読んだとき、芭蕉は草加で一泊したものとずっと勘違いしたままだった。
その後、曽良旅日記を読み、千住を出発し、粕壁で第一泊目を迎えたことを知った。悔恨の一泊目だったのかもしれない。

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