醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  白井一道  524号 

2017-09-25 13:05:08 | 日記

 わが宿は四角な影を窓の月  芭蕉


侘輔 「わが宿は四角な影を窓の月」。この句を岩波文庫『芭蕉俳句集』では貞享元年、芭蕉41歳の時の句として掲載している。
呑助 この句の「わが宿」とは、深川芭蕉庵のことですか。
侘助 そうなんじゃないかな。
呑助 暑さが去り、寒くない。そんな青白い月影が芭蕉庵の四角の窓から入っている。この月の明かりの中で一人、芭蕉は月を愛でている。それだけの句ですか。
侘助 月の光を一人愛でている時間を楽しんでいる芭蕉を想像するんだ。
呑助 月見ですか。
侘助 そう月見の句だと思う。ドビッシーに「月の光」というピアノ曲があるでしよう。芭蕉の心には「月の光」のようなメロディーが流れていたんじゃないかと想像するんだけれど。
呑助 なんと贅沢な時間だったんでしよう。
侘助 芭蕉の一生はいつも感動に満ちていた。見るもの、聞くものすべてが芭蕉を嬉しがらせるもので満ちていた。身の回りのすべてのものが芭蕉に喜びを与えた。青白い月明りが楽しくてならない。
呑助 詩人というのは、そうでなくては詩は書けないんでしよう。
侘助 月明りには静かさがあるでしよう。この静かさに感動している自分に芭蕉は気づている。
呑助 確かにショパンのピアノ曲にあるような寂しさはありませんね、
侘助 ショパンじゃないよ。ドビッシーだよ。
呑助 ドビッシーには明るさがありますね。
侘助 芭蕉のこの句には透徹し研ぎ澄まされた心が表現されているわけではないから秀句だということは難しいかもしれないが、詩人の心は表現されているんじゃないかと考えているんだけど。
呑助 でも芭蕉が唱えたといわれる俳諧理念の「寂び」ですか。それを窺わせるものがあるように私も思います。
侘助 「寂び」だよね。「寂び」とは淋しいということなんじゃないよね。
呑助 淋しいというのでは、詩にならないんじゃないでしようかね。
侘助 淋しいというのでは、力がでないよ。一人草庵で月影に感動するというのが「寂び」だよね。
呑助 そうなんでしようね。孤独だと感じることでもありませんよ。
侘助 そうなんだよね。草庵に一人いることは確かに孤独ではあるけれども月影と共にあることに感動しているので孤独じゃないんだよね。
呑助 「寂び」とは、孤独なんだけども孤独じゃないということなんですか。
侘助 そうなんだ。孤独なんだけれども孤独じゃないから他人から見れば、淋しそうに見えても、本人は少しも淋しくないから、孤独じゃない。そのような精神を表現したものが俳諧理念としての「寂び」なんじゃないかと考えているんだ。
呑助 そうすると「わが宿は四角な影を窓の月」という句はやはり俳諧理念としての「寂び」を表現している句として読むことができるということですか。
侘助 私はそのように考えているんだけど。我が草庵の茣蓙の上に四角な月影があることに贅沢さを味わっている。そのような気持ちを表現した句なんじゃないかとね。

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