醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  491号  白井一道

2017-08-21 12:54:32 | 日記

  「猫の妻へついの崩れより通ひけり」。延宝5年、芭蕉34歳

侘輔 「猫の妻へついの崩れより通ひけり」。延宝5年、芭蕉34歳。芭蕉にこんな句がある。
呑助 この句に季語は入っているんでしようか?
侘助 「猫の妻」が季語になっているみたい。
呑助 「犬の妻」じゃ、季語にならないんですよね。
侘助 「猫の妻」だから、季語になるんだね。なぜかというと、「猫の妻」すなわち雌猫にさかりが付くと何しろ凄い。鳴き声がけたたましい。二月から三月にかけて、恋に狂った鳴き声が凄い。恋の本質が性欲にあることをあからさまに行動で表しているのが「猫の恋」なんじゃないか。
呑助 「猫の妻」は春の季語になりますか。
侘助 理性を失わせるものが恋というものでしょ。だから春なんでしょうね。
呑助 「へつい」と言うのは竈のことでいいんですよね。僕の家にもありましたよ。土で固めてあったように思いますね。
侘助 昔、農家では薪でご飯を炊いていたからね。
呑助 今は使われなくなった竈が崩れ、その崩れた竈から猫の妻が通ってくるのを芭蕉は見たんでしようね。
侘助 その雌猫を見た芭蕉は『伊勢物語』5段を思い出していた。
呑助 伊勢物語にはどんなことが書いてあったんですか。
侘助 むかし、男ありけり。東の京の五条あたりの屋敷に人目を忍んで通った。人目を忍ぶ場所なので、門から入ることもできず、子供らの踏み開けた土塀の穴から通っていた。人目が多いわけではないが、度重なったので、主人が聞きつけて、その通い路に、夜毎に人を置いて、見守りをさせたので、行けなくなってしまった。。そこで嘆きの歌を詠む。
「人知れぬわが通ひ路の関守はよひよひごどにうちも寝なゝむ」。人に知られぬようこっそり通っていくわが通い路の関守たちには、夜毎にぐっすり眠って欲しいと、このように詠んだ。心を痛めた娘を見て主人も会うことを許したそうだ。平安時代は妻問婚だったから、男が気にいった女の家に通う婚姻形態だったから。
呑助 同居する婚姻じゃなかったんですね。だからその伝統が夜這いのようなものとして残ったんですかね。
侘助 もしかしたら、そうなのかもしれないな。
呑助 何人もの男が通ってくる女もいれば、全然男が通ってこない女もいたんじゃないですかね。
侘助 若い女がいるという話を聞くと男たちは夜になると密かに女の家に忍び込むというような風習があったから、多分若手女性であれば、男が通ってくるようになったんじゃないのかなぁー。
呑助 それは平安時代の話ですよね。芭蕉の生きた十七世紀の後半には一夫一婦制の同居家族が成立していたわけですよね。
侘助 そうなんだ。だから芭蕉の句は不倫の雰囲気が醸しだされているように感じるんだ。恋猫になった女が裏門から密かに男の部屋に通う姿を芭蕉は見て、詠んだ句が「猫の妻へついの崩れより通ひけり」だったんじゃないかなと思ったりするんだけどね。
呑助 きっとそうなんじゃないですかね。今も昔も芭蕉が生きた時代にも不倫する女性や人妻はいたんでしようね。芭蕉さんにもこんな句があるんですね。

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