醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  493号  白井一道

2017-08-23 15:41:33 | 日記

雨の日や世間の秋を堺町(さかいちょう)」。延宝6年、芭蕉35歳。

侘輔 「雨の日や世間の秋を堺町(さかいちょう)」。延宝6年、芭蕉35歳。神田上水浚渫作業関係の仕事を辞め、俳諧宗匠として生きていこうと決意したのがこの年のようだ。
呑助 句の上手さだけでなく、その他にも何か、人を引き付ける魅力のようなものを兼ね備えた人が俳諧宗匠としての生活が成り立った人なんでしょうかねぇー。
侘助 十七世紀の後半の江戸庶民にとって、「堺町」と云えば、そこがどなところか分ったんじゃないのかな。
呑助 「堺町」とは、どんな場所だったんですか。
侘助 今なら、さしずめ新宿歌舞伎町と言ったらいいのかな。
呑助 歓楽街、江戸時代の色町ですか。
侘助 日本橋に「堺町」という色町があったようだ。
呑助 芭蕉は伊賀上野から江戸日本橋小田原町にやって来たんでしたよね。
侘助 芭蕉にとって「堺町」は馴染みの町だったのかもしれないな。今の三十代とは違っていただろうけれど、たまには「堺町」のお世話になっていたんだろうね。
呑助 十七世紀の後半になっても江戸の町では、女性より男の方が多かったんでしよう。出稼ぎにきた男たちが大勢いたから。
侘助 江戸城の建設やら町づくり、武家屋敷、道路作りなど土木建設工事の仕事があったから、出稼ぎ作業員が周辺地域から仕事を求めて集まってきたんだろうね。
呑助 女を求める男たちがいたから、その需要にこたえる業者が生まれたということですか。
侘助 秋雨の降る日、芭蕉は堺町に行った。雨だというのに男たちが大勢集まっていた。雨が降っては仕事にならない独り者の男たちが行くところと言えば、今も昔も同じ色町だったのかもしれない。
呑助 赤提灯とお色気を求めて誘蛾灯に集まる虫のように男たちが集まってきたんでしよう。
侘助 誘蛾灯に吸い寄せられた男の一人として芭蕉は遊郭に上がったのかもしれないな。
呑助 そこで芭蕉は句を詠んだんでしようか。中七の「世間の秋」とは、何を意味しているんでしようね。
侘助 秋は、収穫の秋だよ。冬を迎える準備で忙しくなっていく頃だよ。人は皆忙しく立ち働く季節が秋なんじゃないのかな。
呑助 堺町では世間の秋のように大勢の男たちが行き来していたということですか。
侘助 雨の日にもかかわらずに賑やかだったということなんじゃないのかな。
呑助 雨の日だよ、それにもかかわらず、堺町には大勢の男たちが女と酒を求めて集まっていたよと、いうことですか。
侘助 そのようなことを詠んでいるんじゃないかと思っているんだけどね。
呑助 たいした意味のない句ですね。こんな句を詠んで、芭蕉は俳諧宗匠になろうとしていたんですかね。
侘助 そう、誰にでもすぐ分かってもらえるような句を詠んで俳諧を楽しみましょうという気持ちで芭蕉は句を詠んでいたんじゃないのかな。
呑助 芭蕉には商売人としての資質があったんですかね。
侘助 孤高の俳人ではなかった。俗世間に生き、その世界の真実を求めた俳人だったのでは、とね。

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