醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  654号  五月雨に隠れぬものや瀬田の橋(芭蕉)  白井一道

2018-02-25 13:18:39 | 日記

 
  五月雨に隠れぬものや瀬田の橋  芭蕉


句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「五月雨に隠れぬものや瀬田の橋」。芭蕉45歳の時の句。
華女 「瀬田の橋」とは、どこにある橋なのかしら。
句郎 東海道・中山道方面から京都へ向かうには、琵琶湖を渡る、もしくは南北いずれかに迂回しないかぎり、琵琶湖から流れ出る瀬田川を渡る必要がある。1889年(明治22年)まで瀬田川にかかる唯一の橋であった瀬田の唐橋は、交通の要衝であり、京都防衛上の重要な土地であったことから、古来より「唐橋を制する者は天下を制す」と言われた。唐橋を舞台として繰り広げられた、壬申の乱、寿永の乱、承久の乱、建武の乱など、昔から様々な戦乱に巡り合ってきた歴史上有名な大津にある橋をいうようだ。。
華女 瀬田の橋には今まで歴史上有名な人物の思いが詰まっているということなのね。
句郎 芭蕉は琵琶湖畔の大津という地域が好きだったんじゃないのかな。
華女 芭蕉の墓のある義仲寺は琵琶湖畔にある膳所にあるのよね。
句郎 五月雨に煙る琵琶湖畔はすべて靄のなかにある。その中にあって大きな大きな瀬田の唐橋の姿がぼんやり薄墨色に見えているということなんだろう。
華女 五月雨の中、芭蕉は瀬田の橋への思いに浸っているということなのよね。芭蕉は五月雨が好きだったんじゃないのかしら。五月雨を詠んだ名句があるような気がするわ。
句郎 最も有名な句は「五月雨を集めて早し最上川」かな。
華女 「五月雨の降り残してや光堂」。平泉、中尊寺で詠んだ句ね。高校生のころ、『おくのほそ道』の授業で教わった句だわ。
句郎 「五月雨の空吹き落せ大井川」。この句も芭蕉名句の一つとしてあげている人が多いようだ。
華女 「五月雨に鳰(にお)の浮巣を見にゆかん」。この句も五月雨と琵琶湖を詠んだ広く知られている句のようよ。
句郎 「五月雨や桶の輪切るる夜の声」。五月雨の情緒が表現されている句だと思うな。
華女 「五月雨や色紙へぎたる壁の跡」。若い頃、一人住いをしたアパートの一室を思い出す句だわ。五月雨に閉じ込められ、アパートの部屋の壁を眺めていた陰鬱な日々が思い出される句ね。
句郎 芭蕉の若かった頃の句に「五月雨に御物遠や月の顔」なんていう句があるよ。毎日、五月雨でお月さんにご無沙汰しているというような句を芭蕉は詠んでいる。
華女 「五月雨に鶴の足短くなれり」。こんな句も芭蕉は詠んでいる。理屈の句ね。
句郎 その句は笑いを取ろうとした句なんじゃないの。
華女 「五月雨は滝降り埋むみかさ哉」。「みかさ」とは、水嵩のことのようね。川の増水のため滝が埋めらけてしまったわ、ということよ。
句郎 「五月雨も瀬踏み尋ねぬ見馴河(みなれがわ)」五月雨も川に尋ね、尋ね降っているようだ。
華女 五月雨は芭蕉によってすべて詠まれてしまったような感じね。もう五月雨の詠みようがないというところまで詠んでしまっているような感じね。
句郎 だから季語は増殖し続けていくのかもしれないな。

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