醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  571号  白井一道

2017-11-15 12:12:45 | 日記

 きみ火をたけよき物見せん雪丸げ  芭蕉


句郎 「きみ火をたけよき物見せん雪丸げ」。「曾良何某は、このあたりに近く、仮に居をしめて、朝な夕なに訪ひつ訪はる。我がくひ物いとなむ時は、柴折りくぶる助けとなり、茶を煮る夜は、来たりて軒をたたく。性隠閑を好む人にて、交り金を断つ。ある夜、雪を訪はれて、」と前詞を付しこの句を詠んでいる。貞享3年、芭蕉43歳の時の句。
華女 「雪丸げ」とは、何かしら。
句郎 雪だるまのことなんじゃないのかな。
華女 あっ、そう。「よき物みせん」とは、芭蕉は曾良に何を見せたのかしら。
句郎 当時、本は貴重品だったから、北村季吟が刊行した季寄せ『山之井』でも見せてあげようとしたのかもしれない。
華女 日本でも元禄時代になると出版事業が始まっていたのね。
句郎 板に字を掘って拓本のように字を掘った板に墨を塗り、その上に紙を乗せ印刷したんだ。
華女 あらー、日本でも17世紀には出版事業が始まっていたのね。グーテンベルクの活版印刷術というのはいつのことだったの。
句郎 グーテンベルクは、15世紀の人だから日本と比べたら200年ぐらい前になるかな。
華女 印刷術はやはりヨーロッパの方が早かったのね。
句郎 中国や日本では、木版印刷術が8世紀にはすでにはじまっていたからね。法隆寺には日本最古の木版のお経が残っているらしいよ。
華女 あらー、そうなんだ。聖書とお経の印刷、東アジアとヨーロッパの文化に何か共通するものを感じるわ。
句郎 そうだね。今までラテン語でしか読めなかった聖書をドイツ語で読めるよう翻訳したのがマルチン・ルターだった。ドイツ語聖書を大量印刷したのが、グーテンベルクの活版印刷術だったんだからね。
華女 奈良天平時代に仏教が普及した背景には木版印刷術の普及があったのね。印刷術というのは凄いわ。俳諧文芸の普及の陰には木版印刷術普及、出版事業の成立があったということなのね。
句郎 「よき物みせん」というから「浮世絵」それも「枕絵」かと、思ったの?
華女 中年、いや当時にあっては初老の男が「よき物みせん」というんだから、今ならさしずめアダルト系のものじゃないかと思ってしまうわ。
句郎 俳句と浮世絵、同じようなものだと思う。
華女 雪が降ったと子供たちが喜ぶように男二人が喜び勇んで火を焚き、部屋を暖め、良きものを見ようよと、言っているんでしょ。
句郎 19世紀のバレリーナたちは、今の日本で言うなら風俗の女性となんら変わることない人たちだったようだから。
華女 そうなの。女の哀しみの歴史は深いわ。浮世絵の女たちだってその哀しみの深さは19世紀フランスのバレリーナと変わらないと思うわ。
侘助 童心に帰った芭蕉と曾良が楽しみにして胸躍らせて見たものは浮世絵だったのか、それとも俳諧『季寄せ』だったのか、それとも共通の知人からの手紙だったのか、分からないけれども、胸ときめかして何かを見たことには違いない、