ときどりの鳴く 喫茶店

時や地を巡っての感想を、ひねもす庄次郎は考えつぶやく。歴史や車が好きで、古跡を尋ね、うつつを抜かす。茶店の店主は庄次郎。

久伊豆神社  ・・獅子頭について

2014-08-24 03:32:31 | 歴史

久伊豆神社  ・・獅子頭について


承前 玉敷神社

元荒川沿いの久伊豆神社の分布の領域には、獅子頭の伝承が数多く残っています。獅子頭の伝承自体は、珍しいものでは無く、全国各地に残っていて、さらに江戸時代からは、その発展形の”獅子舞”が、正月の風物詩として発展したようです。しかし、この元荒川地区に残る”獅子頭”の伝承は、地域集中して異常な多さで、伝承を継続させています。

獅子頭は古くから「厄(悪いもの)を食べ、幸せを招く」という言い伝えです。

獅子頭

騎西町・玉敷神社
ご神宝の獅子頭を貸し出して地域の厄を祓う「お獅子様」の行事は有名である。
春・夏を中心に「お獅子さま〔おしっさま〕」という祓えの行事がある。これは玉敷神社の神宝である獅子頭をそれぞれの地区に迎え、五穀豊穣・家内安全を祈るというもので、その範囲は南・北埼玉郡・北葛飾郡・大里郡・北足立郡から群馬・茨城の一部に及ぶという。
 ・・・宮代町の場合 ・・・春から夏にかけて行われている厄除け・疫病除け・悪魔除けとして、悪例を病気の災いを追い払う呪力があると信じられている獅子頭を捧持し、村落内の各家や村境を廻り災いを取り除く行事があります。これは一般的に「オシシサマ」「シシマツリ」などと呼ばれ、各地域によって様々な名称があります。昔は町内の十数ケ所でこの行事が行われていましたが、現在はお獅子様の村廻りは五ケ所の地区で行われ、各地区ごとにそれぞれ特色のある行事となっています。
 ・・・ 各地区のお獅子様
獅子頭はどこにあるの?
獅子頭は各地域で所有している場合と、特定の有名な神社から借用する場合があります。個人又は、各地域で管理しているのは、宿、西原、松の木島は集会所、東は個人宅、前原は宝生院でそれぞれ保管しています。


神社から借りてくるのは、姫宮神社から逆井、山崎、姫宮の各地域です。八河内は騎西町の玉敷神社から借りています。
 ・・・ 行事は、獅子頭と天狗面を騎西町玉敷神社から行事の当日に借りてきて稲荷神社のとなりの集会所から出発し家々を廻ります。各家の縁側から上がり、玄関から出ます。獅子は実際には木の箱に入っており目にすることはできませんが、この獅子を家主の頭の上で揺すりカラカラと音を立てます。そしてこの時、各家ではお札をいただきお賽銭を納めます。最後に、備中岐橋の上で天狗面をかぶっている人を胴揚げして厄を祓います。
・・・行事は、宝生院釈迦堂からムラ持ちの獅子を集会所に運ぶことから始まります。集会所でお祓いした後、子供獅子が出発し、次に大人獅子が出ます。10数年前までは宝生院釈迦堂から直接出発していました。
 ・・・ 獅子は玄関から入り、待っている家の主人をお祓いした後、主人は獅子頭を持って各部屋を廻りました。かつては家々で団子や赤飯や小麦饅頭をふるまったことから「ダンゴジシ」とも呼ばれています。この時出される団子を食べると流行病にかからないと言われています。又、太鼓を叩く音が「ダンゴ、ダンゴ」ときこえるところから、「ダンゴジシ」と呼ばれたとも伝えられています。
 ・・・ 最後に、この行事の大きな特徴でもある祓いの儀礼として村境である隼人堀川の猫島橋に集まり、天狗の持っていた御幣を投げ入れ全員で大声で叫びながら獅子頭の口が川面につくまで下ろし、厄を川に流します。そして獅子を引き上げ、手締めをして行事は終わります。 ・・・

獅子頭の行事は、「お獅子様」と呼ばれ、”おしっさま”、”おししさま”、”ししまつり”などの俗称が着いていたようです。
獅子頭の保管は、有名な神社や寺であったようで、大切に保管された様子です。
「お獅子様」の行事は、基本は”厄払い”で、あと五穀豊穣と家内安全の祈願が付与されていた模様が覗えます。
「お獅子様」の”厄払い”は、獅子が厄を食らうという行為でなされ、最後に厄を川へ流すことで浄化・終了となるようです。
従って、お獅子様の行事は、五穀豊穣の祈願の最も適時の、種植えと収穫の前と言うことになります。あと雨乞いも当然入っています。
獅子舞の時期は、ほぼ4月中頃か7月(8月)中頃に集中しています。

獅子のこと ・・・
獅子は本来的には中国で成立した破邪の霊獣で,その起源が,より西方の猛獣であることはいうまでもない。獅子はやがて社殿を守護する獅子狛犬(狛犬)の彫刻ともなり,一方で楽舞用の伎頭となったのである。伎頭としての師子は多く木製で,現存最古例は正倉院の伎楽面中に見ることができる。眼をいからし,耳を立て,鼻孔を開いたすさまじい表情で,一材の頭部に別製の下顎と舌,耳を取り付け,それぞれが動くように工夫されている


 ・・・世界大百科事典 第2版の解説

  

霊獣                               獏

*獅子は厄を食らい、獏は夢を食らう、といわれています。

 ・・・ 「日本獅子舞之由来」と題する巻物によると、・・・


 1245年3月節句の夜、宮中で御宴が催されたおり、一天にわかにかき曇って雷鳴とどろき、天地震動したかと思うと、ものすごい光り物が飛んで来て紫宸殿の庭へ落下した。参列していた客は大いに驚き恐れたが、よくよく見ると三つの動物の頭らしき物であった。  しかし、誰一人としてこれが何物であるか判らず、「かような物が宮中へ飛来するのは天下騒乱の前兆であろう。ただちに海へ捨ててしまえ」ということになったが、天皇の命令で石清水八幡に占ってもらったところ、「これぞ南天竺の洞ヶ岳に棲む獅子という動物の頭で、この獅子の頭が我が国へ飛来したことは希有の吉兆である。この三つの頭をかぶり舞うときは、日本国は永久に天下泰平であろう」とのことであった。
 そこで、下総国の角兵衛という舞の上手な者が弟の角内・角助と共に宮中に招かれ、獅子頭をかぶって勇ましい舞を演じた。というようなことが書かれており、全国的にも同様な説話となっている。

・・・「高水山獅子舞の解説」より抜粋

次ぎに、元荒川沿いに残る”獅子頭の伝承”を拾ってみます。

○行田市・久伊豆神社
昔,洪水の時獅子頭が漂着し,獅子舞が始まった。
○行田市・御嶽神社
星川本流が大洪水の際,獅子頭三頭が御嶽神社に漂着し,獅子舞が始められた。
○行田市・治子神社,興徳寺
利根川の洪水があり,獅子頭が漂着,これを神前に奉納し,獅子舞を奏したのが始まり。
○加須市・大桑・雷電神社
旧家の門井家が雷電社に獅子舞を寄進したのが始まり。
○羽生市・桑崎・桑崎三神社
利根川決壌のとき,獅子頭一頭が流れ着いたのが始まり。
○越谷市・下間久里・下間久里香取神社
悪疫退散,五穀豊穣のため京都から伝わる。千葉県野田市清水では下間久里の獅子舞が元禄六年(1693)に伝わったことが記録されている。また,春日部市銚子口,赤沼,庄和町中野にも伝来を伝える文書が残っている。
○久喜市・除堀・久伊豆神社,諏訪神社,七社神社,不動寺
江川浮会地に男獅子が浮かび上がり,村人が医王院に奉安し,雨乞いの祈願に舞ったのが始まり。
○久喜市・古久喜・太田神社
大水で獅子が青毛堀に流れ着いたのを拾い上げてはじめられた。
○三郷市・幸房,岩野木・幸房富足神社,福富神社
大水害の時に獅子頭三個と猿の面一個が流れ着いたのがきっかけ。
○三郷市・戸ヶ崎・浅間神社,戸ヶ崎鳥取神社
角兵衛の末孫を召して獅子舞を奉納したところ凶事が去りそれ以降村人が獅子舞を奉納するようになった。
○宮代町・東粂原・鷲宮神社
利根川が氾濫し,作物がとれず疫病が流行したときに杉戸から伝習して奉納したのが始まり。
○菖蒲町・小林・小林神社
出水の折り,獅子頭が三つ流れ着き土地のものが拾い上げて,はじめた。
○菖蒲町・三箇上辻・三箇神社
出水の折り,獅子頭が流れ着き土地のものが拾い上げて,金山神社にまつった。
○松伏町・松伏・松伏神社
疫病悪魔除けに舞ったのが始まり。
○庄和町・中野・中野香取神社
神社に神木の夜な夜な怪物が飛来したため,危難消除の獅子舞を奉納した。
○庄和町・西金野井馬場・香取神社
神前に三体の竜神の面が降りたのが起源とも,江戸川に流れ着いた面を用いて早魃の時に舞ったら雨に恵まれたのが始まりとも伝えられる。

まだ、他にもあるとは思いますが、かなり似通った伝承です。川は、元荒川に限らず、古利根川流域(今の中川)にも広がっています。
神社は、久伊豆神社だけではなく、様々です。
面白いのは、文化の伝承や同質性は、距離ではなく、”川の流域”で均質性が保持されていると言うことです。本当に流れてきたのかどうかは、定かではありませんが、荒川の上流は秩父であり、獅子頭のモチーフの霊獣が、中国や中近東の産物であり、獅子舞がインドに源流が見えることから、渡来人の文化が秩父から流れてきたのかも知れません。しかし秩父には仏閣神社は多いが、荒川の川沿いにはほとんどありません。荒川の支流だとすれば、むしろ修験者・山伏のほうが可能性はあります。

”獅子頭”の伝承に、野与党や私市党が関わっている痕跡は見つけられませんでした。ですが、野与党の祖先が出雲族であり、朝鮮半島からの渡来人であるのなら、この”霊獣"のことは知っていたのかも知れません。

獅子舞

正月の獅子舞の流行
 ・・・ 獅子頭を頭にかぶって舞う伝統芸能・獅子舞は、日本各地の正月行事や晴れの日に舞われ、幸せを招くと共に厄病退治や悪魔払いとして伝えられてます。
獅子に頭をかまれると、その年は無病息災で元気で過ごせるという言い伝えがあります。
獅子舞は大自然の霊力を我々に授けてくれる不思議な芸能です。
モチーフといわれているライオンは日本列島には生息しておらず、アフリカ大陸やインド、紀元前にはヨーロッパにもいたようです。その中でもインドが獅子舞の起源といわれていますが、もしかするとエジプトやペルシャ文明まで遡れるかもしれません。
日本列島に生きる民たちは、縄文の猪送り、アイヌの熊送り、東北の鹿踊り等のように、動物を大自然の神として敬う精神文化を既に持ち、さらにお祓いの人生観とも結びついて、外来の獅子舞を日本独特なスタイルに熟成させました。
インドから東南アジア~沖縄と海を渡って伝えられた獅子舞もあり、日本各地に多種多様な獅子舞が見られるのはそのためです。 
江戸時代には伊勢地方の獅子舞が発展し、遠方の村々を回るようになり、次第に芸能的要素が加わりました。 ・・・



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