一年前の投稿を振り返ってみた。長崎でのOB会の次の日に長崎県諫早市を経由して福岡への帰路についたのだった。
2014.11.14(金) 諫早を経由して福岡に帰る昨日は長崎でOB会を楽しんで、今日は諫早を経由して福岡へ帰った。諫早の市街地へ入る本明川手前の交差点 右に本明川、正面向こうがJR諫早駅とバスターミナルあたり諫早...
一年前の投稿を振り返ってみた。長崎でのOB会の次の日に長崎県諫早市を経由して福岡への帰路についたのだった。
2014.11.14(金) 諫早を経由して福岡に帰る昨日は長崎でOB会を楽しんで、今日は諫早を経由して福岡へ帰った。諫早の市街地へ入る本明川手前の交差点 右に本明川、正面向こうがJR諫早駅とバスターミナルあたり諫早...
一年前の2014.11.12(水)は今日のように寒い日であった。定例の二水会の日で天神へ出たのであった。
2014.11.12(水) 二水会で天神へ出る二水会の定例会で天神へ出た今日は天気予報通りの寒い日だった。天神は福岡パルコ新館のプレオープンの日だということで、天神交差点に建つ福岡パルコ本館と新館がなんだか華やかな装いに見えた...
会社OB会で福岡市中央区大名二丁目へ出た。100名位の参加だったろうか。
OB会が開かれた西鉄グランドホテル 福岡市中央区大名二丁目
西鉄グランドホテルの玄関入口
西鉄グランドホテルのロビーから玄関を見る
OB会風景
OB会風景
お開き後のホールロビーにて
お開き後の西鉄グランドホテル前の風景
お開き後の西鉄グランドホテル前の風景
街にはクリスマスイルミネーションが輝いていた
卒業55周年同窓会で長崎へ行った。会は長崎市五島町のサンプリエールで100名近い同級生の参加で開かれた。皆が今日のように元気で、またの日の再開を誓ってお開きとした。
卒業55回同窓会開会の挨拶 長崎市五島町サンプリエール
初恋、川の流れのように、故郷などの歌曲で祝いを受ける
同窓会風景 窓の向こうは対岸の稲佐山の中腹の街灯りが見える この眺めも数年後には長崎県庁が新築移転されて見ることが出来なくなるとのことだ
今日は長崎で夕方から開かれる同窓会に出席するため長崎へ向かった。先ず長崎市の茂木へ立ち寄り魚料理の昼食をとった。
長崎市茂木町の「二見」から橘湾(天草洋 あまくさのなだ)越しに雲仙岳を望む
長崎市茂木町の「二見」から橘湾(天草洋 あまくさのなだ)越しに天草諸島を望む
泊天草洋 頼 山陽
雲耶山耶呉耶越 (くもかやまかごかえつか)
万里泊船天草洋 (ばんりふねをはくすあまくさのなだ)
瞥見大魚波間跳 (べっけんすたいぎょのはかんにおどるを)
水天髣髴青一髪 (すいてんほうふつせいいっぱつ)
煙横蓬窓日漸没 (けむりはほうそうによこたわってひようやくぼっす)
大白当船明似月 (たいはくふねにあたってめいつきににたり)
「二見」から茂木港を見る
浜焼き
二見にて
石蕗(つわ)の花が咲いている。長い葉柄は食用になるが、これが滅法美味い。
石蕗(つわ)の花 キク科の常緑多年草
咲くべくも思はであるを石蕗(つわ)の花 与謝蕪村
どこへでも行ける明るさ石蕗(つわ)の花 鎌倉佐弓
石蕗(つわ)の花
石蕗の黄に十一月はしづかな月 後藤比奈夫
花梨(カリン)が実り、アメジストセージともいわれるレウカンサの花が咲いている。
カリン 花梨(かりん) 榠樝(かりん)
一つ一つ榠樝(かりん)は癒(いや)すもののかたち 川崎展宏
カリン 花梨(かりん) 榠樝(かりん)
かりんの実しばらくかぎて手に返す 細見綾子
レウカンサ アメジストセージ サルビアの仲間でハーブでもある
今日は萩の宿を出て萩市の道の駅・萩往還にある松陰記念館に立ち寄り、山口市の常栄寺を訪ねた。この常栄寺はおよそ500年前、大内政弘が別邸として建てたもので、庭は雪舟に依頼して築庭させたものという。
萩市の道の駅・萩往還にある松陰記念館にて 再現された松下村塾で臨場感にあふれた松陰や塾生たちの活気ある議論の様子が自動音声で流れていた
常栄寺山門
常栄寺
常栄寺本堂南面にある重森三玲師作の昭和の新石庭・南溟庭
常栄寺・雪舟庭 15世紀末、大内政弘が京都金閣寺をまねて別邸をつくり、画僧・雪舟を招いて造園させたと伝えるので「雪舟寺」の名で知られている
常栄寺・雪舟庭
常栄寺・雪舟庭 三山五嶽を配し富士山を以て日本を表しているといわれ、その富士山は画面中央に雪をかぶって見える
常栄寺・雪舟庭にて
国宝 瑠璃光寺五重塔 山口市 55年前に訪ねた時には、この池は干上がっており、その周辺も地肌や雑草が目立っていた。だが五重塔と並び立つ木々の美しさは今も昔も変わらない。
毎週日曜日に放映されているNHK大河ドラマ・「花燃ゆ」のゆかりの地、山口県萩市を訪ねた。「花燃ゆ」は吉田松陰の妹・文(ふみ)を主人公に、文の生きた幕末から明治の時代を切り開いた青春群像を描いている。
城下町がそのまま残るような萩の重要伝統的建造物群保存地区を行く
史跡 松下村塾の案内板
史跡 松下村塾
史跡 松下村塾 吉田松陰の叔父・玉木文之進が天保13年(1842)に自宅で私塾を開いたのが始まりで、次いで久保五郎左衛門、そして28歳の松陰が継いだ。
史跡 松下村塾講義室
松下村塾内の松陰画像
松下村塾の講義室を見る
吉田松陰幽囚の旧宅の案内板
史跡 吉田松陰幽囚の旧宅
吉田松陰幽囚の旧宅の案内板
史跡 吉田松陰幽囚の旧宅 正面が東側で三畳半の幽囚室がある 吉田松陰は、吉田家の仮養子となるも当主が病死したため、実家杉家で育つ。杉家は松陰24歳の時に清水口から現在の松陰神社の地に転居。海外密航に失敗した際にここで幽閉生活を送り、松下村塾を主宰した。文と久坂玄瑞が新婚生活を送った家でもある。
松陰が幽閉生活を送った三畳半の幽囚室
吉田松陰の両親宛て辞世の歌の案内板
吉田松陰の両親宛て辞世の歌の歌碑
松陰神社御由緒書案内板
松陰神社境内
松陰神社
東光寺にて
毛利藩主の菩提寺 東光寺
女台場(菊が浜台場)付近を見る
そば屋で遅い昼食をとる
新そばを食す 盛られた器はどれも明治大正期の今では名品といわれる萩焼だとか
宿から左の方、菊が浜に萩城址が残る指月山を見る
左に指月山を見乍ら、菊が浜に日本海を見る
宿から右の方、菊が浜から日本最小の活火山といわれる笠山までを俯瞰する 笠山は標高112メートルで画面中央やや左に、女性が市女笠をかぶったように見えている
菊が浜に面した宿での夕食
2014.8.1(金)~8.2(土) ホテルの窓から横浜ベイブリッジを見る今日はJR横浜駅前のホテルに泊まった。横浜ベイシェラトンホテル&タワーの27Fである。JR横浜駅横浜駅とホテルを結ぶ空中通路から北の方を見る 右が駅、左がホテル...
2014.7.31(水) 鎌倉に行く用事があって鎌倉に行った。博多から新幹線で名古屋乗り換え小田原まで行き、そこから東海道線の特急に乗り大船で降りて、横須賀線で鎌倉までで、所用時間は6時間半であった。JR鎌倉...