うーん、「ローレライ」、どうだったんだろう。以下、見ていないと全然わからないだろうし、ネタバレ満載なのでご注意。
まずは妻夫木の役割あたりから。
「家族を全て失ったため、特攻で一矢報いることで自分の命を散らせようと、最初は特攻を希望していた妻夫木演じる兵士(折笠)が、ローレライの中枢を担う少女(パウラ、香椎由宇演じる)とのふれあいを通して人間らしい心を取り戻す」ってどっかで見たんだけど、妻夫木ははじめからナヨナヨした兵士が無理して特攻を希望しているように見えて説得力がなかった。顔はきれいだが普通のもやし系の少年が、最後は暖かい大人たちに切り離されて日本に戻るっていう、めちゃくちゃぬるい展開だった。
展開自体がぬるいと言いたいんじゃなくて、「ああ、だよね!」と思わせる説得力がなかったんだよね。役所広司さん率いる潜水艦の大人軍団に、説得力がいまいちなかったというのがその原因だったのかな。「大人軍団」がもう少し死力を尽くして戦っていれば、「死力を尽くした大人たちが、子供の世代に未来を託す」というプロット(流れ)が生きたからね。役所さん演じる潜水艦艦長(絹見)は、映画の始めの方で「ここでは誰も死なせん!」といいながら、佐藤隆太演じる妻夫木の友人兵士(清永)をあっさり見殺しにしたし、潜水艦の主電源が落ちたときも、艦長はただ悩むだけで、ギバちゃん演じる航海長(木崎)が身を犠牲にして電池室に入る提案を待つばかりだったし。ギバちゃんの死に方も、なぜあそこで娘からもらったあやとりの糸をくわえなければならなかったのか。あやとりの糸をくわえることで、「ああ、こんなに娘や家族が好きなんだな」と思わせてくれればよかったんだけど、「演出上やってま~す」という雰囲気に見えた。少なくとも私には。
どうも全体的に、戦争時のピリピリした感じがないんだよね。いかにも「現代人が、がんばって戦時中の人間やってま~す」みたいなぬるさを感じる。そうそう。艦長が清永を見殺しにした(手がはまりこんで抜けなかった)ところも、戦時中なら手首を切ったり、拳の骨を折ってでも引き抜いたと思うんだよな(それで命が助かるんだし)。手が抜けないから、その場所に残したまま注水するって…いかにも「ぬる~いヒューマンドラマ(お涙ちょうだい系)」に見えた。もっと言えば、いくら野球が好きだからって、いつも持ち歩いている野球のボールがおかしなところにはまりこんだら見捨てるって。しかも敵からの波状攻撃の真っ最中だったわけだし。野球のボールが当時貴重だったというのであれば、そもそも兵士としての任務を遂行中にボールなんかさわらないって。カバンの奥に入れておいて、ヒマなときにチラチラ見るくらいだろ。
石黒賢も悪い味出してたな…あの人は演技力あると思うんだけどなぁ~…どうも、せっかくのカッコいいシーンを自分で過剰演出する傾向があるようだ。「全てが終わり、全てが始まる!」のセリフも、「全てが始まる!」をあんなにムリしてかっこよく言おうとしなくていいよ~。南部戦線で絶望を知り日本に戻ってきたのであれば、もっと「全てをあきらめた絶望 + 朝倉大佐だけを信じている『ちょっとイっちゃった感』(うまく説明できない!)」を全体にまぶしたまま、おのおののセリフは淡々としゃべるという方が、よほどリアルでカッコいい、「石黒ぉおおおお!」と叫びたくなるようなオーラが出たと思う。今回の石黒賢は、要所要所で役者的にしゃしゃり出ようとして全て逆効果だったな。
かっこよかったのは、ローレライシステムの見せ方かな。砂鉄の粒が固まるように立体画面ができあがるのは、当時ならあり得るな~と思わせるのに十分だった。一方で、パウラの体に巻き付いた管がどういう働きをしているのかはさっぱりわからなかった。あそこに体液が流れているとすると、あのスーツを着るたびに結構太い管が体に入るということ?だったらマトリックスのプラグみたいな場所が、彼女の体のどこかにないとおかしいし…。
潜水艦軍団の演技がいまいちしらじらしかったのは、パンフにも書いてあったけど、潜水艦軍団の役者さんたちが、潜水艦の外観さえ知らされていなかった、という点が大きいと思う。セットは潜水艦の内側だけだから、海の中に潜るとか、全体でこのくらいの大きさしかないとか、そういう細かい点が頭の中に入っていないから、心理描写的な部分をいじりすぎたのではないかな。CG映画が主流になる中で、役者の想像力をサポートするという作業を軽く見てはいけないと思う。むしろ、CG映画であればこそ、役者の想像力をしっかり支えないとショボイ映画に向けて一直線に走っていくと思う。
でも、ピエール瀧(田口掌砲長)と香椎由宇(パウラ)は良かったな。ピエールは演技は下手だったけど、台本を読んで感じたことを素直にやっているのがよく伝わってきた。ああいう素直さを、フリだけでもいいので潜水艦軍団のみんながやってくれれば、「戦争中」の雰囲気はよく表れただろうにと思う。香椎も、ごくごく素直に、「ここで客の気持ちをわしづかみだ~」などというスケベ心もなしにそのまんまやったところがいい効果を出していると思う。これから演技の仕事が増えると、そういうスケベ心(美学ともいうが)との戦いになるんだよね。男優も女優も、演技そのものに集中してくると急に「まっすぐな美しさ」が出てくるんだよね。パンフに書いてあったピエールの「怖い棒、グルグルして!」には笑った。
陸上将校軍団(笑)も、ジジ臭いリアリズム的な批評で申し訳ないけど、あれだけの混乱だったら、日が経つにつれ「やつれ」くらい出るんでないの?親方日の丸海軍将校はおいといても、必死にあちこち動き回っている鶴見辰吾演じる大湊中佐は、家に帰るヒマなどないはずなのに、無精ヒゲも生えず、いつまで経っても真っ白な軍服がいつも真っ白~って、おっかしいなぁ~って思うんだよね。私だけ?
そんなわけで、戦時中だからといってああいう展開が悪いと言いたいんじゃなくて、ああいう展開で観客に見せるのであれば、そう納得させるだけの材料をそろえないと、ものすごくチープなものにみえるんだよね。言うなれば、ドヘタなのに反戦だの隣人愛だの、テーマだけは一人前な中学生演劇みたいになるわけだよ。その極みがキャシャーンだったわけだが、キャシャーンよりかは全体の質も高く、観客を説得しようとする姿勢も感じられたんだけど、まだまだイマイチだなあと思う。
以上、グネグネと考えてみたが、結局、全体に漂うぬるい空気のせいで、やや平和ボケした人々が潜水艦に乗ってピクニックに行ったらけっこう人が死んだ、というイメージになるんだよな…。前の記事で「ピクニック系」という言葉を使ったのはそういうこと。
もしや、「踊る大捜査線2」で味を占めた亀山千宏フジテレビ映画事業局長(今回の製作担当)が、「日本人ならこの程度で十分満足するよ」などと思ってこういう作り方にしたのであろうか。そうでなければいいのだが、ワンポイントで、あまりにも多くの大御所を使いすぎるところを見ると、怪しい気もしてくる。國村準さんや小野武彦さん、橋爪功さんや伊武雅刀さんをああいう使い方するのもいやだったな。國村さんや小野さんは、重要な役どころなのにセリフが軽すぎる。軍医長は勘が鋭すぎるし、機関長は八百屋のオヤジにしか見えない。彼らの入っているシーンに、もう少し間を持たせるだけでかなり違うと思うのだが…。
最後に。上川隆也さんって、あの腕時計しているところを見ると、折笠&パウラの孫なの?謎のままにしておくにはあの腕時計って…ねえ。
まずは妻夫木の役割あたりから。
「家族を全て失ったため、特攻で一矢報いることで自分の命を散らせようと、最初は特攻を希望していた妻夫木演じる兵士(折笠)が、ローレライの中枢を担う少女(パウラ、香椎由宇演じる)とのふれあいを通して人間らしい心を取り戻す」ってどっかで見たんだけど、妻夫木ははじめからナヨナヨした兵士が無理して特攻を希望しているように見えて説得力がなかった。顔はきれいだが普通のもやし系の少年が、最後は暖かい大人たちに切り離されて日本に戻るっていう、めちゃくちゃぬるい展開だった。
展開自体がぬるいと言いたいんじゃなくて、「ああ、だよね!」と思わせる説得力がなかったんだよね。役所広司さん率いる潜水艦の大人軍団に、説得力がいまいちなかったというのがその原因だったのかな。「大人軍団」がもう少し死力を尽くして戦っていれば、「死力を尽くした大人たちが、子供の世代に未来を託す」というプロット(流れ)が生きたからね。役所さん演じる潜水艦艦長(絹見)は、映画の始めの方で「ここでは誰も死なせん!」といいながら、佐藤隆太演じる妻夫木の友人兵士(清永)をあっさり見殺しにしたし、潜水艦の主電源が落ちたときも、艦長はただ悩むだけで、ギバちゃん演じる航海長(木崎)が身を犠牲にして電池室に入る提案を待つばかりだったし。ギバちゃんの死に方も、なぜあそこで娘からもらったあやとりの糸をくわえなければならなかったのか。あやとりの糸をくわえることで、「ああ、こんなに娘や家族が好きなんだな」と思わせてくれればよかったんだけど、「演出上やってま~す」という雰囲気に見えた。少なくとも私には。
どうも全体的に、戦争時のピリピリした感じがないんだよね。いかにも「現代人が、がんばって戦時中の人間やってま~す」みたいなぬるさを感じる。そうそう。艦長が清永を見殺しにした(手がはまりこんで抜けなかった)ところも、戦時中なら手首を切ったり、拳の骨を折ってでも引き抜いたと思うんだよな(それで命が助かるんだし)。手が抜けないから、その場所に残したまま注水するって…いかにも「ぬる~いヒューマンドラマ(お涙ちょうだい系)」に見えた。もっと言えば、いくら野球が好きだからって、いつも持ち歩いている野球のボールがおかしなところにはまりこんだら見捨てるって。しかも敵からの波状攻撃の真っ最中だったわけだし。野球のボールが当時貴重だったというのであれば、そもそも兵士としての任務を遂行中にボールなんかさわらないって。カバンの奥に入れておいて、ヒマなときにチラチラ見るくらいだろ。
石黒賢も悪い味出してたな…あの人は演技力あると思うんだけどなぁ~…どうも、せっかくのカッコいいシーンを自分で過剰演出する傾向があるようだ。「全てが終わり、全てが始まる!」のセリフも、「全てが始まる!」をあんなにムリしてかっこよく言おうとしなくていいよ~。南部戦線で絶望を知り日本に戻ってきたのであれば、もっと「全てをあきらめた絶望 + 朝倉大佐だけを信じている『ちょっとイっちゃった感』(うまく説明できない!)」を全体にまぶしたまま、おのおののセリフは淡々としゃべるという方が、よほどリアルでカッコいい、「石黒ぉおおおお!」と叫びたくなるようなオーラが出たと思う。今回の石黒賢は、要所要所で役者的にしゃしゃり出ようとして全て逆効果だったな。
かっこよかったのは、ローレライシステムの見せ方かな。砂鉄の粒が固まるように立体画面ができあがるのは、当時ならあり得るな~と思わせるのに十分だった。一方で、パウラの体に巻き付いた管がどういう働きをしているのかはさっぱりわからなかった。あそこに体液が流れているとすると、あのスーツを着るたびに結構太い管が体に入るということ?だったらマトリックスのプラグみたいな場所が、彼女の体のどこかにないとおかしいし…。
潜水艦軍団の演技がいまいちしらじらしかったのは、パンフにも書いてあったけど、潜水艦軍団の役者さんたちが、潜水艦の外観さえ知らされていなかった、という点が大きいと思う。セットは潜水艦の内側だけだから、海の中に潜るとか、全体でこのくらいの大きさしかないとか、そういう細かい点が頭の中に入っていないから、心理描写的な部分をいじりすぎたのではないかな。CG映画が主流になる中で、役者の想像力をサポートするという作業を軽く見てはいけないと思う。むしろ、CG映画であればこそ、役者の想像力をしっかり支えないとショボイ映画に向けて一直線に走っていくと思う。
でも、ピエール瀧(田口掌砲長)と香椎由宇(パウラ)は良かったな。ピエールは演技は下手だったけど、台本を読んで感じたことを素直にやっているのがよく伝わってきた。ああいう素直さを、フリだけでもいいので潜水艦軍団のみんながやってくれれば、「戦争中」の雰囲気はよく表れただろうにと思う。香椎も、ごくごく素直に、「ここで客の気持ちをわしづかみだ~」などというスケベ心もなしにそのまんまやったところがいい効果を出していると思う。これから演技の仕事が増えると、そういうスケベ心(美学ともいうが)との戦いになるんだよね。男優も女優も、演技そのものに集中してくると急に「まっすぐな美しさ」が出てくるんだよね。パンフに書いてあったピエールの「怖い棒、グルグルして!」には笑った。
陸上将校軍団(笑)も、ジジ臭いリアリズム的な批評で申し訳ないけど、あれだけの混乱だったら、日が経つにつれ「やつれ」くらい出るんでないの?親方日の丸海軍将校はおいといても、必死にあちこち動き回っている鶴見辰吾演じる大湊中佐は、家に帰るヒマなどないはずなのに、無精ヒゲも生えず、いつまで経っても真っ白な軍服がいつも真っ白~って、おっかしいなぁ~って思うんだよね。私だけ?
そんなわけで、戦時中だからといってああいう展開が悪いと言いたいんじゃなくて、ああいう展開で観客に見せるのであれば、そう納得させるだけの材料をそろえないと、ものすごくチープなものにみえるんだよね。言うなれば、ドヘタなのに反戦だの隣人愛だの、テーマだけは一人前な中学生演劇みたいになるわけだよ。その極みがキャシャーンだったわけだが、キャシャーンよりかは全体の質も高く、観客を説得しようとする姿勢も感じられたんだけど、まだまだイマイチだなあと思う。
以上、グネグネと考えてみたが、結局、全体に漂うぬるい空気のせいで、やや平和ボケした人々が潜水艦に乗ってピクニックに行ったらけっこう人が死んだ、というイメージになるんだよな…。前の記事で「ピクニック系」という言葉を使ったのはそういうこと。
もしや、「踊る大捜査線2」で味を占めた亀山千宏フジテレビ映画事業局長(今回の製作担当)が、「日本人ならこの程度で十分満足するよ」などと思ってこういう作り方にしたのであろうか。そうでなければいいのだが、ワンポイントで、あまりにも多くの大御所を使いすぎるところを見ると、怪しい気もしてくる。國村準さんや小野武彦さん、橋爪功さんや伊武雅刀さんをああいう使い方するのもいやだったな。國村さんや小野さんは、重要な役どころなのにセリフが軽すぎる。軍医長は勘が鋭すぎるし、機関長は八百屋のオヤジにしか見えない。彼らの入っているシーンに、もう少し間を持たせるだけでかなり違うと思うのだが…。
最後に。上川隆也さんって、あの腕時計しているところを見ると、折笠&パウラの孫なの?謎のままにしておくにはあの腕時計って…ねえ。
「アニメ系」だ!もっと言えば「ピクニック系」
宣伝の仕方がまずいのかなとも思います。
でもパウラのプラグイン!?スーツは結構気に入ってます。
わたしは みていないから 比べることはできないけど・・・・。
これ読んだら 見たくなったわ。
実は 戦争物は キライなの。
映画は 非日常的なホラーか すっきりするアクション系が 好き。
ダンナが ウィンドトーカーズが好きで DVDまで買ってきて
何度も見てるけど やっぱり 悲しい。
夫のお父さんは シベリア抑留されて 凍傷で足の指をなくしてる。
隣で寝てた兵士が翌朝には 死んでいた・・・。
そんなたくさんの犠牲が 歴史の影にあったことが
現実なんだなあと思うと 安易に戦争物を見ることが できないの。
宣伝の仕方は、あれ確信犯だと思いますよ。先週1週間使って深夜にフジテレビで番宣やってたけど、いかにも正統派戦争モノのような宣伝をやっていたような気がしますから。
ykimataさんのご感想なんかも聞かせて頂けるとありがたいです(そちらのブログではお控えになってましたよね)。コメントありがとうございました。
ハードな戦争モノじゃないので、見るといいと思うなあ。話題作りとして見る価値はある。
私はプライベートライアンを見て戦争観が変わったな。あれも作り物だけど、あれほどストレートに戦争を生々しく描写してもらったおかげで、戦争を知らない世代が戦争を想像しやすくなったと思う。ローレライは…しつこいけど、戦争モノには見えなかったな…そういう意味では悲しくはない映画だと思う。
こんなにダラダラ書いた映画評を読んでくれてありがとう(笑)。
言えてますよね。
「長々と」白河さんの言葉を読めば読むほど、うれしくなってしまいました。
個人的には、「キャシャーン」のほうが、はっきりマンガチックでよかったかも。
TBさせていただきます。よろしく。
キャシャーンはレポート用紙をこっそり取り出して、ツッコミを箇条書きにしながら観てましたよ。それほどひどかったです。ちなみにそのレポート用紙は3枚にもなり・・・。
踊る2も途中で出ようかと思いました。混んでたんで抜けられなかった・・・。
そういうのと比べると、ローレライはそんなに頭に来たわけでもないんですよね・・・なぜだろう。意外とスタッフも投げてて、そのあきらめ感みたいなものが出ていたのでしょうかね?
折笠のヘチョさ、清永の死に方、絹見艦長の「だれも死なせない」という無責任としか思えない発言、木崎が電池室でマスクを取ってまであや取りを口にくわえた事などはコメント通り、納得のいかない点ではあります。
しかし、私にっとっては役者や映像表現がどうかという観点から出た違和感ではありませんでした。
原作の小説を読んでから見てしまったからいけないのかもしれませんが、上記の場面は人間描写の薄さが出たシーンのような気がするのです。生温さというのもこういったところから出ているというのも納得です。
ただ、だからこの映画がダメとも言いません。
これも原作を先に読んでしまった者の意見になりますが、根底に流れる”太平洋戦争と日本人のあり方(よい表現ではありませんが)”というところを壊していないからです(ただ、かなり分かりにくくなってはいますが)。
もし、もっと現実的な「ローレライ」を見たいのなら「終戦のローレライ」を読むことをお勧めします。
これを読んでから見た私としては、原作に忠実に作られてたら映像と内容の生々しさで見ていられなかったと思います。誤解を恐れずに言うなら気持ち悪いローレライになっていたのではないでしょうか?
そういう観点から見るに2時間という短い時間で、かっこよさと原作の冷酷さをやるという点でよくやった映画だと評価します。
長々とすみませんでした。場違いな意見であることをお許しください。
>これも原作を先に読んでしまった者の意見になりますが、根底に流れる”太平洋戦争と日本人のあり方(よい表現ではありませんが)”というところを壊していないからです(ただ、かなり分かりにくくなってはいますが)。
私の判断基準としては、原作があろうとなかろうと、映画という形で観客に見せているのだから、映画そのものだけで映画の判断はしようと思っています。予告編や宣伝などで「必ず原作を読んでから見てね!」などの指示があれば別ですが。
ですから、この映画だけを見て、「太平洋戦争と日本人のあり方」について、映画として感動できる点が見えれば、たむさんのご主張にも噛み合った議論ができるのだろう、と思います。
ただ、元記事も書いたように、「演技や映像など、作品としての質はウンコでも、主張だけは明確にしていた」という類の作品は、私は評価しません。主張だけしたいのであれば、映画という形にする必要はないわけですから。この点も含めてこの映画を振り返ってみても、元記事に書いた、「これでもかこれでもか」というくらいの「へなちょこポイント」の連続で、アニメ作品と思わなければ見ていられないものに私には感じられました。
>これを読んでから見た私としては、原作に忠実に作られてたら映像と内容の生々しさで見ていられなかったと思います。誤解を恐れずに言うなら気持ち悪いローレライになっていたのではないでしょうか?
うーん。私の知る限り、この原作と映画は並行して作られたとのことですから、この仮定はあり得る仮定なのか?と思ってしまいます。しかし、原作も持っていますので、これから読んでいきたいと思っています。それでまた新たな感想が出てきたら、このブログにも書きたいと思っています。
>そういう観点から見るに2時間という短い時間で、かっこよさと原作の冷酷さをやるという点でよくやった映画だと評価します。
もう少し長くてもいいのにな、とは思いました。3時間くらいまでは許容範囲だと思いました(by私基準)。
>長々とすみませんでした。場違いな意見であることをお許しください。
いえいえ。勇気も必要だったと思います。貴重なご意見ありがとうございました。私の方が長いですね(苦笑)。