できるだけごまかさないで考えてみる-try to think as accurately as possible

さまざまなことを「流さずに」考えてみよう。"slow-thinking"から"steady-thinking"へ

ペトロ三木をテレビ業界は今年売ろうとしているのか?

2005-01-01 21:26:32 | ほら穴
 毎年、「たけしのTVタックル 超常現象バトル」を見ている(今年一発目の記事がこれについてというのも何とも言えないが)。超常現象があるかないかというレベルではなく、某歌合戦や某格闘技(なんと2局も!)よりもはるかに面白いからである。大槻教授(今では名誉教授)もテレビでは色物扱いになっているが、大学生向けの物理の教科書も執筆されている、専門の物理でもなかなかしっかりした方だと感じているだけに、もう少しゆっくりと彼の考え方も聞いてみたい。10年くらい前は、テレ朝の深夜番組で持論のプラズマ理論を激しく語っておられたのだが、今ではテレビではそれほど人気がないのかも知れない(だから、彼がテレビに出るのもこの番組くらいになってしまったのでは?)。

 大槻教授が難しい話をしている途中、小倉優子が「もう少し簡単な言葉で~」とだだをこねたらビートたけしに「うるさい!わからないなら黙ってろ!」とたしなめられたのにも笑ったが(彼は小倉優子がよほど好きなのか嫌いなのか、番組最後にも小倉優子に「お前が一番不思議だろ!」と厳しいツッコミを入れていた)、気になったのは最近いくつかのテレビにちょこちょこ出ているペトロ三木(東大卒、自称作家)である。

 ペトロ三木ホームページ

 ジェネジャン(日テレ)でも、自分がAV(エロビデオ)を見ているにもかかわらず、AV業界に勤めている他人を、何がどういう意味で最低かを一切説明せずに「最低の仕事」と連発していたし、この番組でも、宇宙人がいるかいないかという立証責任を「いない側」に押しつけようとして松尾貴史に論破されていた。その一方で、超常現象について彼は何を擁護したいのか全くわからなかった。総じて、一体彼は何のためにこの番組に出ていたのか全くわからない状態であった。つたないながらも、自分の頭で一生懸命考えていた、ゲストの小倉優子や山口もえのほうがよほどそこにいる意味を感じた。ジェネジャンでも、いまいち議論の焦点から外れた発言ばかり続けている印象を受ける(12月のは見ていないが)。

 そんな彼も、自分のHPでは「バカ閲覧禁止」などと明記している。だったら自分が一番見られないだろうに…。

 今年テレビ業界は彼あたりをよく使ってくるかも知れないが、ギャラが出せないテレビ局が仕方なく使うランクの芸人なのだろう。そういう思いで見ている視聴者がいるということは、ここに明記しておく価値があるだろう。中途半端な言論人は、中途半端な芸人以上に使い捨ての扱いを受ける(室井佑月あたりが危ない)。

 肩書きにいちいち「東大卒」とつけているのも、東大卒でもこんなに頭が悪い人間がいるから、みんな安心して生きていってねというメッセージなんだろうな。

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5 コメント

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ペトロ三木氏の (Coold)
2005-01-07 10:44:37
この記事(と私の記事)がペトロ三木氏のウェブログ(http://blog.so-net.ne.jp/petrosmiki/)に紹介されてゐました。

迂闊に人の惡口は言へないものです。
ありがとうございます! (白河)
2005-01-07 15:30:11
情報ありがとうございます。

じっくり読ませて頂きます。

Unknown (ひこ蔵)
2006-02-26 06:56:23
はじめまして。ひこ蔵と申します。



1年以上前の記事へのコメントなので気づいていただけないかもしれませんが…

基本的に民放を見ないのでペトロ三木氏の存在をこのブログで初めて知りました。ブログ内のリンクから彼のウェブサイトも見たのですが、非常に不愉快に思えた点があります。それこそ重箱の隅をつつくようなことなのですが、



1.ペトロ氏は自らを「クリスチャン」と言っていますが、これはおかしなことです。カトリックの人間は自分を「カトリック」といいます。特に英語圏ではこの点にはかなりシビアです(私の経験する限りですが)日本ではよく混同されているのですが、自分の芸名?にするくらいなら、そして幼児洗礼を受けたカトリックならそれくらいの常識を働かせたらと思いました。しかも「言葉」を扱う仕事をしている人ならば。



2.信仰心のなさについても「神は許してくれる筈」とアッサリ書いていますが、これも勘違いです。「心の底から自分の罪(この場合は信仰心の欠如)を悔い、2度と繰り返さないと誓う」からこそ許されるということを無視しているのは、カトリックへの誤解を招くものです。



私自身、信仰心の篤い人間ではないのですが、

ああいう書き方には不快感しか覚えませんし、そういうことを書く本人が一番のバカではないかと思いました。そもそも本当に信仰心が薄いのなら、カトリックであることも公言する必要がないと思うのですが。



日本におけるカトリックの人間の肩身の狭さを更に狭めてくれそうなペトロ氏の文章にうんざりしてつい書き込んでしまいました。ずいぶん前の記事ですのに申し訳ありません。もし、何かの機会に読んでいただければ幸いです。
コメントありがとうございます (白河)
2006-02-26 18:56:19
はじめまして。ふむふむ。文面から察するに、幼児洗礼を受けるのはカトリックだけなのですね。



最近は、彼について考えるのは基本的には手間と時間の無駄だと思っています。言うことは一見一人前ですが、「作家」という経歴(?)からして、放送作家なのか何なのかはっきりしませんからね。



彼って、カトリックという側面から見ても、少なくとも言葉遣いは雑なんですね。
Unknown (ひこ蔵)
2006-02-27 06:05:07
白河さん、レスありがとうございます。



私の言葉の至らなさのため、誤解を与えてしまったみたいですので、訂正というか説明を少しだけ。「できるだけごまかさないで考えてみる」というブログタイトルに惹かれてきた私が雑な言葉遣いをするのもイカンと思いますし。



幼児洗礼はカトリックでもプロテスタントでもあります。私が「幼児洗礼を受けてるのなら」と書いたのは「幼児洗礼を受けているということは、カトリックの家庭(少なくとも片方の親は間違いなくカトリックでしょう)に生まれた=どこかのタイミングでカトリックについてのいろいろを学ぶことをしたはず」と推測したからです。これは堅信礼(という儀式。日本では15歳前後で受けます。一種の成人への通過儀礼とも思えます)のためにいろいろ勉強させられる筈だからで、堅信礼すら受けていない場合は「一人前の信者」というのもおかしな話なのです。



実は私はペトロ三木という人物の存在すら知りませんでした。BSとCSばかり見ていて、民放は滅多に見ないのです。それでも、こちらのブログを拝見して、いろいろ考えることができました。ペトロ三木氏のことはどうでもよくなってきているのですが、一大人として「ごまかさずに考える」ことをせずにいた自分を反省しています。長々と失礼いたしました。



これからも更新を楽しみにしています。



幼児洗礼の人の場合、本人の意思とは無関係にカトリック信者になるわけで、信仰心が薄く教理も理解していない場合も多々あるわけなのですが。

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