私たちはどの瞬間も感じ、知り
いつしか知ったものであろうとし、知ったようにあろうとする
記憶はいつも今に付随し、追いつこうとし続けるが
いつしか追い越してしまったことには気付かない
私たちは今を掴もうとしなくても
掴んでしまう
知ってしまう
感じてしまう
心動いてしまう
出来ることは
出来上がった自己を破壊すること
掴んだものを手放すこと
そうでなくては新しい瞬間を掴むことは出来ない
ヒンドゥー教では破壊神は即創造神であると聞く
キリスト教でも神は創造し、世界を滅ぼすという
臨済は言った
「仏に逢うては仏を殺し。祖に逢うては祖を殺し。羅漢に逢うては羅漢を殺し。
父母に逢うては父母を殺し。親眷に逢うては親眷を殺し。始めて解脱を得ん。」
捨てる運動
破壊すること
これは連続する必要がある
次の瞬間は今と連続しているが
そこは今と地続きではない
次の瞬間は
そこに行く事無しには
そこに何があるか実は全く分からないのだ
ただそこに行け
ただ生きよ
鹿苑の鹿
いつしか知ったものであろうとし、知ったようにあろうとする
記憶はいつも今に付随し、追いつこうとし続けるが
いつしか追い越してしまったことには気付かない
私たちは今を掴もうとしなくても
掴んでしまう
知ってしまう
感じてしまう
心動いてしまう
出来ることは
出来上がった自己を破壊すること
掴んだものを手放すこと
そうでなくては新しい瞬間を掴むことは出来ない
ヒンドゥー教では破壊神は即創造神であると聞く
キリスト教でも神は創造し、世界を滅ぼすという
臨済は言った
「仏に逢うては仏を殺し。祖に逢うては祖を殺し。羅漢に逢うては羅漢を殺し。
父母に逢うては父母を殺し。親眷に逢うては親眷を殺し。始めて解脱を得ん。」
捨てる運動
破壊すること
これは連続する必要がある
次の瞬間は今と連続しているが
そこは今と地続きではない
次の瞬間は
そこに行く事無しには
そこに何があるか実は全く分からないのだ
ただそこに行け
ただ生きよ
鹿苑の鹿