歩きだすとき、右脚からでようか、左にしょうかとたとえ一瞬でも考える人はいないだろう。 ところがそうでもない。 歩みを観察したことのある人は最初の一歩に迷いと悩みが未決のまま歩き廻わっているのに気づく。 日常人は、いやもっと広げて動物は、と言ってもいい。 一定点から所定コースを辿り目的点に到着、再び逆行して元の所へ戻る。 魚や鹿を観察してもそうだ。 家で飼っている鶏も例外ではない。 チャボの雄、これの雌が鼬にやられ消沈しているので名古屋コーチンの雌をあてがってやると蚤の夫婦よろしく毎日庭を散歩し、高い庭石の上に坐って庭を眺めている。 朝食がすみ、地虫や梔子についた揚羽の幼虫を啄み退屈するとやって来る。 硝子戸越しに見ていると雄は自分より一回わり大きい雌の羽の中へ頭をつっこんでいる。 雌は薄いピンクの瞼をとじている。 そのうち、どーれ出かけるとするかとばかり腰を上げる。 この興味深い行動が実に規則正しいのだ。 トンボ・チョウチョも鳥のうちなんて軽蔑した口はきくまいぞ。 池の鮒も遊戯し休息もする。 人間だけが何か特別上等な考えと行動律を持っていると思うのは愚かなこと。 たいした目的でもないのにさも重要なターゲットででもあるかのようにせかせか走りまわるのをやめ、腰を落ちつけ、自分の目の前で右往左往している事象人事のウォッチングをやってみよう。 自分もいっしょになって埃を巻き上げかけづり廻わっていたとき見えなかったものが突然燦然と姿を現わす。 こちらが停止することで逆に動きがヴィジュアルなものになる。