Bread of Life

ディボーションタイムを助ける聖書講解

「愛の自由」ガラ5:1-15  0911第②週

2009-11-07 11:17:29 | Weblog
●キリスト・イエスにあっては、割礼があってもなくても、問題ではない。
尊いのは、愛によって働く信仰だけである。ガラ5:1

1.自由の愛
①愛の行為を示す時、報いを期待するのが普通ですが、同時にその報の善し悪しに心がしばられてしまいます。愛の行為が自分を苦しめるとは何とも割の合わない生き方なのですが、愛と憎しみは表裏一体という呪わしい世界に巻き込まれていくのです。
もし、報いを期待しないで、ただ与える事に喜びを覚えて与える心境になれたなら、どれほど自由でしょうか。ここに福音がもたらす奇跡の一つがあります。 この、自由の愛は神がまず示してくださいました。それ故、私達もそれに倣うことができます。
②毎年ペンテコステ教役者親交会という全国レベルの集まりが二月になされて今年は、45回を迎えます。ある時、アメリカからジョンソンという講師が来られて、「種まきの信仰」をチャレンジされました。わたしはその時最前列に座っていましたので、相当な迫力でそのメッセージが迫って来ました。講師はトウモロコシを取り出し、一粒は何粒に成るか数えていかれました。500倍以上です。神に期待するなら、神に思い切って撒きなさいとチャレンジされたのです。そのとき、教会では会堂増築に1000万の必要、ラジオ伝道のために毎月15万円の必要を前にして、心砕いていました。 この集会の献金は大会の経費に充当される献金ですから、思い切って献げてもそれは、自分の教会への見返りは期待できません。でもそれ故に見返りを期待しないでただ、神を愛する故の献げものなのだと分かりました。
献金の祈りの時そっと財布を開きました、そこに、数枚の諭吉がおりました。えい、ままよ、とその全部をつかんで、献金袋に投じた時、目からどっと涙が吹き出しました。それは、諭吉達との惜別の涙か、聖霊の感動の涙か、それらが、入り交じった涙であったと思います。その瞬間、心の中に、「天に届いた、何かが起こる」という不思議な爽やかさがとどいてきました。大会終了後、教会に帰ると、なすべき大きな課題が壁のように立ちはだかっている現実がありました。  

2.自由の愛の報い
①神の追い風はまず、ラジオ伝道の予約献金の時に吹きました。ラジオ伝道で救われ結核から立ち直り文書伝道にいそしんでおられた方が、特別に教会を訪問して証をされたのです。後にも先にもその方の礼拝参加はその一度だけでした。大いに燃やされ、遂にラジオ伝道が始まったのです。そして、同時に会堂増築もこの年完成しました。文字通り、何百倍の刈り取りを神はさせてくださいました。 報いを期待しない、愛によって働く信仰は何と、喜ばしいことか、この御言葉を見るたびに味わい知らされます。
②毎日の生活で、全く報いを期待しないでなす行為に、なかなか、なりきれないのが現実です。でも、主に心が向くとき、聖霊がそれを成し遂げてくださいます。そして、愛によって働く信仰が息づき始め、愛によって働く心の自由を経験させてくださるのです。

●自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。
だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。ガラ5:1

3 コメント

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Unknown (ハレルヤ)
2009-11-09 12:10:17
種撒きの信仰の証しと報いを期待しない愛。もう一度胸が熱くなりました。自分の中に薄れていた信仰のある一部に気ずきが与えられました。熱く祈っていきます。
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Unknown (MA)
2009-11-11 06:27:52
神様から来る本当の愛には自由がある!と教えていただき ただ神様に期待して心を正して歩んで行きたいと思います!ありがとうございます。
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Unknown (Unknown)
2009-11-11 15:17:27
与える事、ささげる事に消極的になっていましたが、メッセージを通して「与えたい。」という思いに変えられました。感謝します。
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