「朝日新聞社の病巣はイデオロギーではなく、官僚的な企業構造にこそ隠されている」とする朝日新聞記者有志による朝日新聞論(2015年)。
新聞記者の場合、ある記者が書いたあの記事によってこれだけ売り上げが伸びた、といった客観的な人事評価基準は設定しにくい。その結果、他の企業と同じく、人事は直属の上司との相性、好き嫌いの話に行き着いてしまう。朝日新聞の記者の人材配置は「ドラフト」と呼ばれるシステムで決まることが多い。各部の部長クラス以上が「Aは出来るやつだから手元においておきたい」「Bは気に入らないからよそに出す」「Cは本当は優秀なのに、よその部で腐っているからウチに呼ぶか」といった具合に希望を出し、そのサークル内の評価だけで配置が決まっていく。いくらさぼっていても上司の受けが良ければ評価は上がるし、いくら特ダネを量産しても上司に直言するようなタイプの記者の評価は低くなる。
このような人事評価体系の中で、致命傷となってしまうマイナスが誤報の訂正だ。訂正は記者自身の失点になるだけでなく、記事のチェック役であるデスクのキャリアにも傷を負わせる。訂正を出す際には、記者とデスクの連名で始末書を提出しなければならない。さらには校閲部が出している「訂正週報」に載るという不名誉もある。取材先や第三者から記事の誤りを指摘された場合、記者はまず、菓子折りを持って先方を訪ね、頭を下げながら、何とか訂正を出さずに済ませられないか、穏便な対応を求めることになる。
人名や年齢の間違いなどの単純ミスではなく、慰安婦報道のように記事の内容自体が誤っている場合、訂正はいよいよ関係者の人事評価に致命的な傷を付けることになる。「慰安婦を強制連行した」との吉田証言の誤報を長年訂正しなかったのも、誤報を認めれば記事を書いた記者だけでなく、その記事の関係者である幹部にまでその影響が及ぶからだ。
それでは、朝日新聞記者が誤報と訂正のリスクを回避して高い人事評価を受け、昇進を果たすにはどうすればよいか。
一つの方法は、役所の記者クラブや警察の発表をそのまま記事にすることだ。面倒な仕事に手を出さず、記者クラブや警察の発表だけを報じていればミスや摩擦は減り、出世の妨げとなるようなキャリアの傷はつきにくい。だが、この減点を避ける消極的な方法では、ミスをした者が淘汰されるだけで、他の記者よりも高い人事評価を得て昇進する決め手は得られない。また、この方法を取っていると紙面はどうでもいい役所発表だけで埋め尽くされ、朝日新聞の購読者は減っていくことだろう。
朝日新聞記者にはもっと良い伝統的な方法があった。それは、何を書いても誤報の誹りを受けず、反論してこないターゲットを大所高所から批判することだ。朝日新聞は戦前の日本軍を叩き続けたが、それはいくら叩いても反論を受けることのない安全な対象であり、誤報と訂正のリスクを取らずに人事上の実績を挙げることができたからだ。歴史認識が政治問題化するまでは、第二次大戦に関するいわゆる平和報道の際、研究者や平和運動活動家から提供される資料を裏取りせずに記事にすることは自然に行われていた。東京大空襲や広島・長崎など、日本人の被害に関する記事では、体験者の証言をそのまま掲載しても、その正確性を問われることはまずなかった。
国際面でも同じ手法が使われた。中国を批判すれば中国政府と対立し、取材が難しくなるだけでなく、記者が追放される危険性もあった。ソ連についても同じだった。これに対し、自由な報道を認めるアメリカはいかに批判しようとも問題が起きることはなかった。中国・韓国における日本軍の加害責任の報道についても、両国がそれを外交カードとして使うようになるまでは、記者たちの認識は被害報道の延長線上にある感覚でしかなかった。
国全体を兵営化しようとした日本軍に対する怒りと憎しみは戦後長年にわたって国民のコンセンサスとして存在していた。だが、日本軍の暴虐を直接知る世代が減少するにつれ、朝日新聞の日本軍叩きは日本叩き、反日記事とみなされるようになった。中国や韓国との外交上の対立関係が激化すると、中国や韓国の視点から日本を批判する方法も支持を受けなくなった。そもそも戦争が遠い記憶となってしまい、反軍の記事を打ち出しても読者の強い支持は得られない状況となった。
本書にて朝日新聞記者有志が主張するように、朝日新聞の病巣は左翼イデオロギーではなかった。
自分自身と自社のリスク無く高踏的な主張を掲げるための叩きやすい対象が戦前日本とアメリカであったに過ぎなかった。
朝日新聞は、ともすれば仲間内の独善的な論理で動きがちな自民党政治と官庁に対する批判勢力として、日本の社会に不可欠な存在である。
戦前日本を叩くこともアメリカを叩くことも読者からの支持を受けなくなった現在、朝日新聞の価値観とリスクを取る姿勢が試されている。
朝日新聞が批判精神を失って政治や官庁と癒着する方向に進むとすれば、日本の将来にとって大きな損失となるだろう。