3月31日 最低気温4.0℃
今日は遂に3月最終日。
明日からは4月となり、新たなスタートを目前にした方々も多いかも?
というわけで、今日は長く引っ張っている卒業旅行の最終レポートです!!
まずは、「ヘナ」の写真から。
これがヘナの完成図。
(ヘナを塗った直後は卒業旅行vol.4参照。)
私のヘナはオレンジの発色が強いものだったようで、このような感じに。
日本に帰って、母がいった言葉。
「蛇みたい…」……。。。
2~3週間で消えるということで、今はすっかり跡形もありませんが、
卒業式はこの手で卒業証書を受け取りました
インド。
そう聞いて、皆さんが想像するのはどんな事でしょうか…?
彼らはベナレスを一人で散策したときに出会った子ども達です。
彼らが近づき、声をかけてきたとき、
私は町案内をしてくれた少年2人(上と同様、vol.4参照)
と5人で撮ろうと話を持ちかけました。
ところが…
町案内をしてくれた2人は一緒に写るのは嫌だと拒否。
カースト制が根強く残ると、貧富の差が激しいと、
そう聞いて知ってはいたものの、こういう形で実感するとは思いませんでした。
小さな頃から、はっきりと棲み分けがされているという事実を目の当たりにしたと思いました。
制度自体は廃止されたとはいえ、長年続いたその制度は、
親が子どもへ、子どもがさらにその子どもへ…代々引き継がれているのです。
そうすることで、それぞれの立場が保障されているのかもしれません。
けれど、そういった差別で苦しむ人々がいることも否定出来ません。
同じ国に、同じ場所に共に生きながら、
違った人として扱われることに私は疑問を抱かずにはいられませんでした…
そして、職のない人々が生活していくためにする「物乞い」。
私はそれに応じることは反対です。
その瞬間だけ物を受け取っても、その人達の今後に繋がるとは思えないから。
けれど、その瞬間だけでも出来ることがあるなら…
そういい、持っていたお菓子を差し出す友達もいました。
海外援助の際、物資を提供するのではなく、
農業や勉強といった技術を提供することで、その後の反映に繋げていく。
という考え方があるといいます。
きれいごとかもしれないけれど、
観光客に対するそういった物乞いに応じてしまうことは、
物資の提供に止まってしまうのではない、そう思うのです。
7人いれば、7人とも意見は違い、
色んな考え方があるということを改めて気付かされました。
こちらはインドの移動手段のひとつ、リクシャ。
自転車の仕組みで、後ろが2~4人が座れる椅子がついたものです。
そしてこちらがオートリクシャ。
この運転には免許が必要なもので、当然のことながらリクシャに比べ速いです。
けれど、値段が高く、見知らぬ場所へ運ばれ、途方に暮れる…
なんてこともあるので、信用できるという方のリクシャに乗ってください。
私はカメラを手にしたときから、人の表情を撮ることを夢見ています。
幸せな瞬間の笑顔、涙、命が誕生した瞬間…
喜怒哀楽全ての表情、その瞬間を残したい、そう思っています。
インドへ行き、私はたくさんの人に、
「写真を撮らせて欲しい」そうお願いし、たくさんの人を撮ることが出来ました。
そして感じたこと。
そこに何らかの関係が築かれていないと、ありのままの表情を残すのは難しい。
当然のことだと思います。
けれど、そのことを痛感しました。
いい顔してる!そう思った瞬間にカメラを向けても、
カメラを向けるだけで、警戒してしまうんですよね。
そして、もうひとつ。
写真を通し、言葉の壁を越えたコミュニケーションが
可能なのではないかということ。
町中を一人で散策した日、片言で写真を撮ることをお願いした後、
その写真を確認してもらい、多くの人が笑顔を見せてくれ、
あそこにきれいな花が咲いてるよとか、これ、食べてみる?etc...
たくさんの言葉をかけてくれたのです。
カメラを手にして半年ちょっとの私がこんな事を並べるのは少々ずれてる気もしますが…
色んな事を感じながら、たくさん撮った写真達。
その中の1枚をこの度、フォトコンテストに出してみることにしました。
そのコンテストがこちら→「PHOTO IS」10,000人の写真展
出そうと思っている写真は、町中の洗濯物屋で洗濯を教わったときに撮ったもの。
元気で、真っ直ぐな彼らの瞳がとても印象的で、思わずシャッターをきりました。
異国の地でシャッターをきりながら、
写真と出会えて良かった…
そう心から思いました。
これからもたくさんの写真を撮り続けたいと思います♪
おしまい
長い記事を最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました
今日は遂に3月最終日。
明日からは4月となり、新たなスタートを目前にした方々も多いかも?
というわけで、今日は長く引っ張っている卒業旅行の最終レポートです!!
まずは、「ヘナ」の写真から。
これがヘナの完成図。
(ヘナを塗った直後は卒業旅行vol.4参照。)
私のヘナはオレンジの発色が強いものだったようで、このような感じに。
日本に帰って、母がいった言葉。
「蛇みたい…」……。。。
2~3週間で消えるということで、今はすっかり跡形もありませんが、
卒業式はこの手で卒業証書を受け取りました
インド。
そう聞いて、皆さんが想像するのはどんな事でしょうか…?
彼らはベナレスを一人で散策したときに出会った子ども達です。
彼らが近づき、声をかけてきたとき、
私は町案内をしてくれた少年2人(上と同様、vol.4参照)
と5人で撮ろうと話を持ちかけました。
ところが…
町案内をしてくれた2人は一緒に写るのは嫌だと拒否。
カースト制が根強く残ると、貧富の差が激しいと、
そう聞いて知ってはいたものの、こういう形で実感するとは思いませんでした。
小さな頃から、はっきりと棲み分けがされているという事実を目の当たりにしたと思いました。
制度自体は廃止されたとはいえ、長年続いたその制度は、
親が子どもへ、子どもがさらにその子どもへ…代々引き継がれているのです。
そうすることで、それぞれの立場が保障されているのかもしれません。
けれど、そういった差別で苦しむ人々がいることも否定出来ません。
同じ国に、同じ場所に共に生きながら、
違った人として扱われることに私は疑問を抱かずにはいられませんでした…
そして、職のない人々が生活していくためにする「物乞い」。
私はそれに応じることは反対です。
その瞬間だけ物を受け取っても、その人達の今後に繋がるとは思えないから。
けれど、その瞬間だけでも出来ることがあるなら…
そういい、持っていたお菓子を差し出す友達もいました。
海外援助の際、物資を提供するのではなく、
農業や勉強といった技術を提供することで、その後の反映に繋げていく。
という考え方があるといいます。
きれいごとかもしれないけれど、
観光客に対するそういった物乞いに応じてしまうことは、
物資の提供に止まってしまうのではない、そう思うのです。
7人いれば、7人とも意見は違い、
色んな考え方があるということを改めて気付かされました。
こちらはインドの移動手段のひとつ、リクシャ。
自転車の仕組みで、後ろが2~4人が座れる椅子がついたものです。
そしてこちらがオートリクシャ。
この運転には免許が必要なもので、当然のことながらリクシャに比べ速いです。
けれど、値段が高く、見知らぬ場所へ運ばれ、途方に暮れる…
なんてこともあるので、信用できるという方のリクシャに乗ってください。
私はカメラを手にしたときから、人の表情を撮ることを夢見ています。
幸せな瞬間の笑顔、涙、命が誕生した瞬間…
喜怒哀楽全ての表情、その瞬間を残したい、そう思っています。
インドへ行き、私はたくさんの人に、
「写真を撮らせて欲しい」そうお願いし、たくさんの人を撮ることが出来ました。
そして感じたこと。
そこに何らかの関係が築かれていないと、ありのままの表情を残すのは難しい。
当然のことだと思います。
けれど、そのことを痛感しました。
いい顔してる!そう思った瞬間にカメラを向けても、
カメラを向けるだけで、警戒してしまうんですよね。
そして、もうひとつ。
写真を通し、言葉の壁を越えたコミュニケーションが
可能なのではないかということ。
町中を一人で散策した日、片言で写真を撮ることをお願いした後、
その写真を確認してもらい、多くの人が笑顔を見せてくれ、
あそこにきれいな花が咲いてるよとか、これ、食べてみる?etc...
たくさんの言葉をかけてくれたのです。
カメラを手にして半年ちょっとの私がこんな事を並べるのは少々ずれてる気もしますが…
色んな事を感じながら、たくさん撮った写真達。
その中の1枚をこの度、フォトコンテストに出してみることにしました。
そのコンテストがこちら→「PHOTO IS」10,000人の写真展
出そうと思っている写真は、町中の洗濯物屋で洗濯を教わったときに撮ったもの。
元気で、真っ直ぐな彼らの瞳がとても印象的で、思わずシャッターをきりました。
異国の地でシャッターをきりながら、
写真と出会えて良かった…
そう心から思いました。
これからもたくさんの写真を撮り続けたいと思います♪
おしまい
長い記事を最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました