やパDon

あー、だ。こー、だ。のヒゴロ

フランス語用の特殊文字

2005年06月30日 20時35分34秒 | ふらフラ道
é (accent aigu = アクサン・テギュ)
à , è , ù (accent grave = アクサン・グラーブ)
â , ê , î , ô , û (accent circonflexe = アクサン・スィルコンフレックス)
ë , ï , ü (tréma = トレマ)
ç (cédille = セディーユ)
œ (oとeの合字)

壁(2)

2005年06月30日 05時32分09秒 | 横道
全国の高校がそうかは知りませんが、自分の通っていた高校は学園祭の時でも学校の敷地から出ることを禁じられていました。
んで、それをヤブって友達と外に出ようとしたんですが、先生に見つかってしまいスゴイ勢いで怒られたのを今でも覚えています。

その時間帯は体育館でのイベントで全校生徒が体育館にいたんですが、外をみると学校の周りは先生たちがものすごい厳しいオーラで監視していました。
その中を友達と抜け出そうとしたんですが、柵はバラセンがあって乗り越えられないし、外に出る入口という入口は先生が見張っているし、結局そうこうしているうちに見つかってしまいました。

その時にね、ふと、思ったんですよ。
なんか、自分たちはまるで牢獄にでも閉じ込められているんじゃないかと。
別にね、自分は飛べない鳥なんだ~、なんてロマンチックに思ったりはしてません。

ただ、学校の塀は表向きは侵入者から自分たちを守るためとか、子供たちが好き勝手に出て行かないためとか、etc。 
でもね、あたり前とか抽象的すぎるとか言われるかもしれませんが、
あれは、社会から自分たちを隔離している壁なんです。ちょっとクサク言うと、大人と子供の壁なんですよ。
動物は子供を外敵から守るために巣を作ったりしますが、私たちの外敵は、キツネですか?ワシですか?ライオンですか?それともクマですか?
自分は学校の先生です。  (もちろん、もの凄く尊敬する先生もいました。)
でも、現実は人です。

別に自分は学校の塀を取っ払えなんて言っているわけではありません。もちろん、そういった事件の抑止力になっていることは否めないと思います。 (塀があるから越えたくなるとかあったり。私はそこに塀があるから越え.....)
ただ、これを機にセキュリティーの為だからと言って、さらに学校を外と隔離するようになったり、ましてや学校に監視カメラまで設置されるようになったら、自分はその学校には行きたくないです。
だって、学校って社会に出るための勉強をするところではないんですか?
自分たちは大人になるまでに、いったい何人の大人と関わっているのでしょうか。

日本人の性質なのか、これらの事件に関しても問題の本質を捕らえてないように思えたので、思い切って書きました。

長々となりましたが、最後まで読んでくれた人がいたら本当にアリガトウございますm(_ _)m

壁(1)

2005年06月29日 23時38分00秒 | 横道
最近学校での事件がおきると、度々学校のセキュリティー体制が問題になっているようです。
やれ,校門が閉めていなかった、先生の管理体制が悪かった、などなど。
ですが、自分はそういった学校のセキュリティー体制を非難するのはハッキリ言ってナンセンスだと思います。

例えば、校門(校門というか学校の敷地に入るための入口)が開けっ放しを問題にしたケースについて考えてみます。
犯人が学校に入れないからといって、本当に子供を殺せないなんてありえるのでしょうか?
別に子供を殺そうと思ったら、学校でなくても他に場所はいくらでもあります。
池田小学校の場合で考えても、目的はその生徒(世間で言われている頭のイイ子)限定ということで起きたみたいですが、別に学校の敷地内でなくても学校の登下校の際に校門の前で銃とか爆弾とかしかければ、たぶん簡単です。  スイマセン言い過ぎました。
(そうそう池田小学校事件の宅間被告は死刑執行されていたこと知っていました? 関連記事

先生の管理体制についても、最近その学校のOBの子が先生を殺してしまった事件が起きてしまいましたので、結果的に管理体制についてとやかく言えなくなったようですね。

ただ、自分はこれらの事件だけで思ったわけではありませんが、思ったよりも『人を殺そうと思えば殺せる機会があったことを知れた』ということなのではないかと。。。