まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

ドリームセブン(高砂・3-1号機)

2011-11-15 18:38:25 | パチスロ3号機
1990年(平成2年)6月に高砂電器から登場した3-1号機「ドリームセブン」
 
「最初の3号機」として有名な本機。パチスロが2号機から3号機になって変更された主な点といえば、①フルーツゲームが廃止された②ウェイトが4秒から4.1秒になった、の2つが挙げられる。いずれも、当局主導の無意味な規制に過ぎず、結果としてゲーム性が画一化された3号機には、連チャン主体の裏モノが増加する事になった。
高砂は一番乗りが好きだったのか、2号機を最初に出したのも同社(2-1号機「ウィンクル」)であった。ハテナマークのシングルボーナスが懐かしい…
 
 
 
当時、馴染みの店でドリームセブンを入れていたのは、東京・下北沢の「下北レジャー」(現・カレイド)の地下フロアと、新宿西口の「マーブル」(閉店)だった。ホールが乱立する新宿界隈で一店舗のみの設置というのも、本機のマイナーぶりを表していた。
 
 
さて、ネット情報を調べてみると、ドリームセブンの「両ボーナス確率表」を載せたサイトが、意外にも少ない事に気づく。
いくら「レトロ台」とはいえ、スペック情報がこれ程少ない機種も珍しい。
 
せっかくなので、ここで初代ドリセブのスペック表を紹介させて貰う。
 
        BIG     REG
設定1   1/291   1/158 
設定2   1/266   1/257
設定3   1/248   1/175
設定4   1/230   1/175
設定5   1/230   1/142
設定6   1/230   1/123
 
※その後、「HAZUSE」サイトにもドリームセブンの確率表が掲載された。当ブログのデータを使って頂いた事に感謝したい(笑) 
 
 
設定4以上はビッグ確率が全て同じで、バケ確率のみに差が付いている。また、設定1でもビッグが1/300を切っており、ベースは比較的甘めといえよう。また、設定2のみバケ確率が低いのも特徴だった。
 
変則的なスペックではあるが、これも設定1でストレートの大ハマリを喰らわぬよう、メーカーが配慮した証拠ではないだろうか。
 
ただ、「バケが多いから」とむやみに追いかけると、危険な目に遭う事になる。ビッグとバケの双方で設定を読む必要があった。
 
とはいっても、今のような便利なボーナスカウンターなど存在しない時代に、設定看破は容易ではなかったのだが…。
 
 
さて、「初モノ」好きな高砂という事で、本機で採用したビッグ絵柄も「パチスロ史上初」の青7であった。
 
この青7、個人的には3号機の中で1,2を争う美麗さだったと思う。中央に描かれた「SEVEN」の英文字は、先輩機種「スーパーウィンクル」譲りの洗練されたデザインである。
 
余談だが、かの4号機「クランキーコンドル」も、青7を採用した事で知られる。では、コンドルの青7のモデルとなったのは、ドリームセブンより遥か昔の機械だったことを、ご存知だろうか?
 
コンドルの青7の原型となった機種…それは、1985年(昭和60年)に米国・ラスベガスで大ヒットした、ユニバーサル社製のスロットマシーン「マグニフィセントセブン」である。パチ検の1級にも出ないようなマイナー情報だろう。
 
 
さて、ドリームセブンといえば多彩なリーチ目も特徴であった。
 
ボーナスフラグが立つと、基本的には「ボーナス絵柄を優先的にテンパイさせる制御」が働く為、ボーナス絵柄のスベリテンパイでフラグを察知できる。
 
しかし、それ以外にも「ベルで挟まれたブドウ(オレンジ)」など、一見して「おっ、入ったな?」と思わせる、インパクトの強いリーチ目が幾つも存在した。
 
左リール「ベル・オレンジ・7」からの下段7テンパイや、右上がりの7テンパイ…通常時に突然これらのテンパイ目が出ると、思わずドキッとしたものだ。
 
また、「中段チェリー+リンゴのテンパイハズレ」は、左上段が7付きならば鉄板目となった。
 
逆に、「BAR付きの中段チェリー」は、ブドウが複合で揃うと入り目だったり…何とも奥深いリール制御だったと思う。
 
中リールが大きくスベッて小役がテンパイせず…なんてのもアツい瞬間だった。
 
なお、ボーナス成立後は、特定小役の発生確率が、ビッグとバケで異なる。
 
ビッグ成立後は、「ブドウ」の確率が大きく上がるのに対し、バケ成立後は「ベル」と「リンゴ」の確率がアップする。どの小役が頻繁に揃うかで、ビッグ・バケが推測できる…こんな所にも、本機の「ゲーム性の妙」があった訳だ。
 
このように、従来の高砂の特徴であった「リールのスベリ」に加え、多彩なリーチ目でフラグ成立を見抜けるという醍醐味が、打ち手を魅了した…かどうかは判らない。
 
 
当時、大勝ちは体験できなかったが、低投資でまったりと勝負をするのには最適だった。コンチ・スーバニなどの荒波機全盛期にあっても、比較的安心して遊べる「財布に優しい機械」として重宝した。「出ては飲まれ」を繰り返し、最終的には全ノマレで終了する事も多かったが…。