まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

ロボスキー(三共・ハネモノ)

2011-11-16 18:30:27 | ハネモノ
1987年(昭和62年)に三共から登場した旧要件ハネモノ「ロボスキー」。
 
 
昭和62年というと…ちょうど高校一年生の頃であった。
 
まだまだギャンブルなど知らぬ、勉学と部活に勤しんでいた勤勉な学生時期だ。
 
その反動で、大学に入ってからというものは、目一杯パチ&スロにハマってしまったが…。
 
高校生の当時、クラスに一人パチンコにハマっている「K」という友人がおり、そいつは良く授業をサボって、地元の新装開店などに出向いていた。
 
彼は、いつも学校にパチンコ雑誌を持ち込んでは、授業そっちのけで記事や写真を見ていた。薄っぺらい革カバンに、教科書も入れずに「パチンコマル秘情報」など忍ばせていたのだろう。
 
私も一度、通学途中のパチ屋で、新装開店の花輪&チンドン屋が店頭に出ているのを発見した事がある。それをKに報告したら大喜びで、翌日の放課後に私を連れて店へ直行した。それが、先日紹介した登戸のパチ屋「玉の家」(既に閉店)である。
(1990年代初頭の登戸駅前パチンコ店&設置機種リスト)
 
私は高校生の身分でパチ屋で打つ度胸はなかったので、一通り店内を見渡した後は、Kの学生服の上着を持って(詰め襟では流石にマズいのだろう)、店の外に出てボーッと立っていた。
 
そしたら、Kは10分もしないうちに外に出てきて、「釘が大したことないから帰るわ」とかいって、そのまま帰ってしまった。当時はよく分からなかったが、今思えば、奴は甘釘をしっかり読める「眼」を、高校生ながら持っていた訳だ。
 
Kとはすっかりご無沙汰だが、今でも元気にしているだろうか…。勉強一筋だった私が、パチパチの道に入り込んでしまったなど、夢にも思わないだろう。
 
 
おっと、全然ロボスキーに関係ない、昔の思い出に浸ってしまった。
 
でも、ひょっとすると、その新装にピカピカのロボスキーが新規導入されていたかもしれない。
 
この三共の名機「ロボスキー」は、私がパチを打ち始めた1990年には、既に古参機種の仲間入りをしていた。手元の資料では、90年12月の時点で東京・大塚駅近くの「ロビー」というパチ屋に設置されていた事が確認できる。(「ロビー」は現在閉店、跡地は「大塚北口診療所」になっている)
 
さて、本機の特徴といえば、中央ヤクモノで存在感タップリだった「スキーをする赤いロボット」であろう。
 
私には「がんばれロボコン」に見えて仕方ないのだが…、三共オリジナルのヤクモノである。
 
ロボスキータイプのヤクモノだと、自分の世代では「うちのポチ」「オロチョンパ」「影丸」辺りがドンピシャである。「元祖」ロボスキーには、これら後継機にはない独特の「威厳」が漂っていた。
 
旧要件機の魅力である「玉のランダムな動き」を楽しむという点でも、秀逸な出来であった。
 
玉が羽根に乗るタイミングや、ステージでのバウンド次第でV入賞が左右されたりするアナログさが良い味を出していた。
 
V継続率を高める為、羽根が4回開閉するまで打ち出しをストップする「止打ち打法」もあった。ただ、寄りの悪い台で無理に止打ちすると、却ってパンクの危険が高くなった。
 
大当り時&V継続時のBGMも非常に秀逸で、打ち手を興奮させるファンファーレだった。このファンファーレ音、1993年にテレビ東京系で放映されたパチンコ特番で「再利用」されている。
 
番組内のワンコーナーで「パチプロ・安田一彦氏に密着」というのがあった。安田氏が、東京・福生の「巨人ホール」というパチ屋(既に閉店)で、三洋の連チャン機「アメリカンドリーム」を打つという企画である。
そこで、安田プロが保留玉の4個目を開ける連チャンテクニックを紹介、見事にダブルを取るシーンが出て来る。で、アメドリのデジタルが揃った時の効果音(アフレコ)が、なぜかロボスキーのファンファーレだった。また、三共の「フィーバーフラッシュ1」の大当りBGMも使われており、当時発売された「ザ・パチンコ・ミュージック・フロム三共」というパチンコ音楽CDが、番組内で大活躍していた。