関トット一生懸命

自分のホームページ「好きです 金沢」で、コラムの他、
ブログによる報告も掲載していきます。

今年度の留学生は「張 真」さんです。

2008-10-20 19:34:24 | Weblog
 九月末に、里子のカシャさん(ポーランド)とベックさん(オーストラリア)が帰国しましたが、10月から日本語・日本文化研修プログラム第14期として8名の留学生が金大で、一年間勉強することになり、平成十年に結成しました「田上の会」が中心となって、8組の里親と対面式を行いました。
 我が家は、今回、中国・四川大学生の『張 真』さんをお世話することになり、18日の土曜日、我が家で一泊していきました。張さんは21歳、向上心も高く日本語もとても上手で安心、これからの一年間、お互いに連絡を取りながら普段着のお付き合いをしていくことを約束いたしました。
 写真の右側が張さんで、真ん中のインドからの留学生・ネハさんも一緒に泊まり記念写真をパチリ・・・

辰巳用水探訪パートⅢ・塩硝蔵跡・・・

2008-10-17 19:14:44 | Weblog
 三段石垣の次は、土清水塩硝蔵跡の見学です。辰巳用水が涌波・大桑町地内の高台を流れている散策路沿いに蔵跡があり、塩硝坂があります。
 ここは、加賀藩の黒色火薬製造工場があった場所で、万治元年(1658)に建設され幕末まで操業された工場跡が、現在、発掘が進められ、土蔵(塩硝を保管していた施設)と堀(塩硝蔵等を区画する堀)など明らかになってきています。塩硝は、越中五箇山で培養法という独自の方法により生産され、また、硫黄は越中立山の地獄谷で採集されたもので、それぞれ、「塩硝の道」を経由し塩硝坂を通って工場に運ばれ、辰巳用水の水流を利用した水車などにより、黒色火薬の加工・製造まで行われたといわれています。

辰巳用水探訪会パートⅡ

2008-10-15 18:53:15 | Weblog
 辰巳用水隧道の次は、三段石垣の見学です。
 この石垣は、「文化六年辰巳用水絵図」(1809年)に描写されており、辰巳用水の築造や維持管理に関わる遺構と考えられています。この周辺は、用水の沿線でも地盤が特に弱い場所となっており、辰巳用水の流れる斜面裾を犀川の水流による侵食から守ることが主目的であったと考えられます。また、現在、三段石垣上面の平地を流れている用水の開水路を構築するための平坦地形を造成するために石垣が築かれたとする説もあるそうです。いずれにしても、三段石垣は、辰巳用水と密接な関係がある構築物として位置づけられことができ、江戸時代の石垣としては、金沢城外では市内で最大規模(全長約260m)のものです。

金沢手をつなぐ親の会「ふれあい登山」をサポート!!!

2008-10-13 18:17:42 | Weblog
  体育の日(何故10日を変えたのか・・・)の13日、秋晴れの絶好の山登りとなりました。この登山は、予てから連携をとってきました金沢手をつなぐ親の会の「ふれあい登山」に、金沢山岳協会として会長・宮保理事長夫妻・能村事務局長夫妻が案内と指導を引き受けることになり、キゴ山の山頂をめざして、子供さんと親子さん約50名のグループが、林道と登山道で快い汗をかきながら楽しい山登りを行いました。
 また、登山を終えた昼食では、事務局とボランティアによる「めった汁」がふるまわれ子供達と楽しい食事を体験することができました。元気な子供達に感謝の一日となりました。

辰巳用水探訪会に参加!!

2008-10-12 19:38:24 | Weblog
 10月11日(土)、金沢歴史遺産探訪月間事業の一つである「辰巳用水探訪会」に、初めて参加することができました。
 辰巳用水については、それなりに知っているつもりですが、江戸時代に掘削された隧道内は見たこともなく、素晴らしい体験をすることができました。特に、人力しかない江戸時代、岩盤をノミで削り取った跡に触れることもでき、また、採光と換気などの他、工期の短縮や方向の誤差解消など多様な役割を果たした「横穴」と、掘削時の明かりを確保するための「火」を設置するために作られた『タンコロ穴』など、人間の知恵と技・歴史の力を実感できた素晴らしい体験をすることができました。
 隧道視察後は、三段石垣や土清水塩硝蔵跡、用水遊歩道散策なども行いましたが、次に報告したいと思っています・・・

石川二区・田中美絵子さんを推薦!!!

2008-10-06 08:34:35 | Weblog
 総選挙が近づいてきました。今度こそは政権を交代して新しい政治と社会、まじめに生きる者が報われる世の中を創っていかなければ、我が国のみらいはりません。これだけ弱い人たちが苛められ格差が拡大しているのに、行動を!投票を!行わない国民は、世界にいません。
 そんな中、石川二区に果敢に挑戦を決意した「田中 美絵子」さんを、石川県退職者連合は、力強く推薦を決定し現退一致して勝利を期していくことを誓い合いました。田中美絵子さんは、大変勇気のある方で、美しさと優しさの中に勇気と力強さを持った人で、感動もいたしました。
 すでに、一区・奥田 建氏、三区・近藤 和也氏に併せ、二区の田中美絵子さんと三候補が揃ったけで、後は、行動で勝利するのみです。

百万歩の会が講演・・・

2008-10-05 08:47:34 | Weblog
 10月2日、「加賀百万石・百万歩の会」が、石川県連続講座「いしかわ"いきいき"講座Aコース」で、著名な講師人の中に混じって「参勤交代の道をたどって」と題した講座を受け持ち、いつもお世話を頂いています前田さんと西川さんが講師となって、手作りのパワーポイントを駆使して講演を行いました。
 すでに、何回かの写真と資料による記録展を開催してきましたが、今回は、これまで歩いてきました加賀藩参勤交代の道「北国街道下街道・上街道・脇往還から中山道、東海道」の四街道をまとめたものですが、その中で、東海道については、本年中に完走する計画にしています。
 四街道制覇のあかつきには、加賀藩・前田家ゆかりの地めぐりと併せ、記録集をまとめてみたいと思っています。

大分国体シリーズⅡ・豊後高田昭和の町へ

2008-10-04 17:12:48 | Weblog
 国体の応援も試合に負けてしまい、楽しみは温泉と昭和の町巡りです。国東半島北西端の豊後高田昭和の町は、商店街を昭和の町通りとして整備したもので、昭和ブームのさきがけとして成功した町づくりのひとつです。商店街は、まさに昭和30年代を彷彿させるような町並みと商店が続き、観光客も懐かしそうに見て回っていました。
 我が娘夫婦も、良き昭和の時代を知らないものですが、なんとなく落ち着き楽しむことができる町だと感激?していたようです。町のシンボルは、昭和初期の米蔵を改装した「昭和の夢町三丁目館・駄菓子屋の夢博物館・昭和の絵本美術館」の昭和ロマン蔵ですが、金沢在住の人が収集したお宝を展示した「おもちゃ博物館」の方が、収集物の価値的には高いように思われます。和倉に移ってしまい残念です。

大分・宇佐神社で祈願!!

2008-10-02 13:53:29 | Weblog
 大分国体でのソフトボール応援(残念ながら高知県チームに敗北)の帰り、国東半島の入り口にある宇佐市の宇佐神宮を参拝してきました。
 宇佐神宮は、全国にある四万社あまりの八幡宮の総本営であり、若松八幡宮の氏子としては欠くことのできないお宮さんです。
 国宝の神殿は三つあり、一之御殿には、応神天皇の御神霊が初めて八幡大神として御鎮座、二之御殿には、比売大神(ひめおおかみ)が、三之御殿には、神託により神功皇后が鎮座していました。
 なお、お参りは、「二礼・四拍手・一礼」で行ない、下宮も参拝しなければ片詣りとなるなど、珍しい体験もしてきました。