Second Effort

撚れたり挫折したり。上手く行かない方が多い。それでも、次の努力、チャレンジを忘れずにいたい。

ソウギョを採る

2007-09-01 03:05:31 | 仕事

2ヶ月も経つと世間はかなり変わる。
前記事は田植えのシーズンまっ最中だったが、その稲がもう穂を出している。

最近ソウギョを狙っている。
近くのクリークにかなりの数のソウギョがいる。

これまで10尾以上のソウギョを釣ったり、採ったりしたが、筑後川で釣った小さいものしか生かしておけなかった。
体長90cm、体重12kgがこの辺りのソウギョの平均だ。取り込み時の暴れようが尋常ではなく魚体が傷むのだ。
やりようによっては三分の一はハンドランディングできるがその後の搬送が上手くは行かない。
30cm程度のソウギョは、池で15年程飼育してようやく1m程になったが昨年、池が増水した時に浅場にジャンプして傷つき死んだ。

狙って結果を出すのは思惑外に難しい。
草を流すなどして食い気を煽ることは出来ても、ソウギョは撒き餌などで寄せて釣ることができない。
ポイントを絞り回遊をひたすら待つしかない。しかし猛暑だ。
そこで、岸辺のアシを水面に垂れるように折り、葉に針を縫込み、置き針で狙った。
仕掛けを地面に突き刺した竹竿などに括り付け、朝夕見回るという小学生の頃にやったアレだ。

結果は惨敗。8号4mが見事に3回も切られた。
普通なら、磯竿の4号、ライン6号で充分なのだが。


釣り師の矜持をひとまず凍結して投網を持ち出した。
猛暑のある日、ストーキングの果て、岸辺で草を食んでいるヤツを発見。網を打った。
3畳程に広がった網の中で白い巨体が数回翻った。
してやったりと手綱を張る。しかし、1mにもなる巨体は投網のタナに落ちることはない。
網の裾、下の部分をジワジワとまとめ、網全体を袋状にして引き上げるしかないのだ。

判断は正しかった。

判断を実行に移すほんの一時が無かった。いやそう思う。
間合いを詰めたその刹那、盛大な水しぶきと音を立ててヤツがダッシュした。
網は破られた。

その後の試行錯誤、結果は次回にしたい。
他意は無くても、数ヶ月を経て会った彼女の前で多弁は面映いではないか。

スッポンを捕る

2007-06-29 08:44:43 | 生き物
田植えをしていてスッポンを捕った。
トロトロと機械を進めて田植えをしていると、何かが突然波を立て左手後方へ走った。
水深は3cm程度、波のたち具合から魚類、ウシガエル等ではない。先日近くの小川で見かけたスッポンだと直感。カメはこれほど早くは動けない。

機械を止めて、そいつが潜りこんだ辺りの泥中を探ってみると、少し柔らかいものに触れた。大きさを確かめるため甲羅をなぞると、結構でかい。頭がどの方向を向いているかが判らない。皮手袋をしているとはいえ、噛まれてはシャレにならない。ポリバケツで泥ごと掬い取った。先日見かけたものより大きい、甲羅の大きさが25cm程あるスッポンだ。

この辺りは、治水の神様と称される成冨兵庫が城下を氾濫から守るために行った築堤の外側にあたる。平地ダム内の低平地と言って良い。圃場整備がなされておらず、小川は今も変わらず板と土で護岸されている。低平地であるが故に相対的に水位が高く、川を堰止めれば田に水を引き入れることができる。その際、ハヤやナマズ、コイなど川の生き物が入って来る。生命の行き来が可能なのだ。

この小川でスッポンが見られるようになったのはここ数年である。水質、水底の土壌に変化があるのだろうか。或いは、彼等がエサとするものが増え、個体数が多くなったスッポンがこの辺りにまで進出してきたのだろうか。増加したエサとして考えられるのはジャンボタニシである。
白石では、稲苗を食害するジャンボタニシを駆除するためにスッポンを放していると言う。しかし困ったことに、スッポンを捕る人が出て来たとも聞く。これも食物連鎖の図式ではあろう。
昨今の報道を見聞する度に暗澹たる気分に陥る。駆除されるべきは人の傲慢ではないか。糾弾されるべきは驕慢ではないか。ヒエラルキーのトップに在りながら恥はおろか足るを知らない。

青いアメリカザリガニ

2007-06-29 01:30:09 | 道具
池の傍にある小川の水草除去をした。にわかリバーキパーである。
コカナダモに混じってザリガニが採れた。我が家の周辺では今でもザリガニは珍しくないのだが、このザリガニ、青いのだ。それ以外は~?
何処をどう見ても、子どもの頃慣れ親しんだアメリカザリガニだ。
 
Webで調べた。
「アメリカザリガニの体色の色素の原料は植物に含まれている色素であることが知られています。アメリカザリガニは雑食性なので水中の植物や水中に入り込んだ樹木の落ち葉、枯れ草やそれらの腐植物なども食べます。これらの食物に含まれている色素がアメリカザリガニの体色のもとになっています。
 アメリカザリガニの食物に植物の色素が十分含まれていないと、体色のもとになる色素を完全につくることができなく青色を帯びてきます。
 成体のアメリカザリガニの色素には、白色素、黒色素、紅い色素などがあります。これらの色素をつくる材料が不足すると黒色素や紅い色素を完全につくることができなく、こ
れらの中間産物がつくられ青(紫)色を帯びてきます。この様な原因で青くなったザリガニは、完全に青い場合は少なく、本来の色もまだらに多少は残っています。このザリガニは、植物色素を十分含む餌で飼育すると正常な色になります。しかし、色素に関する栄養素が十分でない状態で飼育していると、脱皮毎にますます(紫を帯びた)青くなります。

 突然変異で青い場合は、本来の色がまだらに残ることはなく、眼以外のからだ全体が青くなるでしょう。黒色素や紅い色素をつくる遺伝子に欠陥があるので、それらの中間産物しかつくられなく、青色になります。この様なザリガニは、餌を工夫しても本来の体色にはなりません。」

参考資料1.参考資料2

二週間後、水槽のアメリカザリガニは見事に紅くなり、好奇心を満たして小川に返って行った。

小学生のころ(昭和3~40年代)川も今のようにコンクリートで護岸されておらず岸辺にはピンポン玉大の穴が沢山開いていた。
水中もしくは水位の少し上にある穴はアメリカザリガニの隠れ家と思って間違いなかった。その中でも、穴の周囲に柔らかい泥が掻き出された痕があれば、その穴は利用中であると確信できた。
ヒエの穂先をすごき取り、カエルをそこに結びつけて穴の中に差し込み、チョンチョンと動かして誘うと、モゾモゾとした手応えがくる。慌てて引っ張ってはいけなかった。彼の食い気を窺がいながらそ~っと抜き上げれるのがコツだ。
そうすれば、彼はハサミで捉えたカエルを放さず釣り上げられた。
水深のある川ならば、杭のある所がポイントだ。杭をなぞるようにエサを送りこむのだ。
エサはヌマガエルが最適だ。同じ位の大きさのツチガエルもいたが、体表が硬いこと、分泌物が放つ独特の臭いが手に残ることから敬遠された。
トノサマガエルは素手で捕えるのが難しく、大きすぎることから論外であった。

佐賀のアーチザン 出でよ

2007-06-02 07:01:57 | Weblog
今年の佐賀城下ひな祭りの際、「山の困った物だ」を代表する孟宗竹(モウソウダケ)をを材料にしたオブジェを数箇所に展示した。

作者は、自称竹仙人こと田邊Y。田邊は、国内に現存する孔子廟では足利学校(栃木県)、閑谷学校(岡山県)についで古く、なかでも最も壮麗と言われる多久聖廟の近くにアトリエを構えている。
コラボレーションの依頼以降数回会っただけだが、年齢、妻帯の有無を問うたことはない。
容貌は、仙人と自称するだけありエキセントリックである。かと言って、挙動・言動に怪しさはない。ただ、問いかけに対してかなり間を置く独自性がある。

田邊は平成15年、佐賀県美術展入選以後、新聞・TVで紹介され、地元佐賀で数回、今年一月には福岡のシーホークで個展を開いている。作品は高さ60cmから2m位のものまである。
加熱して広げたり、ひねったりした形も様々だが、いたってノーマル。辛口な表現をすれば、日本人が持つ竹のイメージの埒から出てはいない。
しかし、丁寧に皮を剥ぎ、ウレタンコーティングが施された色合いはエキセントリックの面目躍如たるものがある。深みあり、透明感あり。田邊の深層心理が滲出したかのようである。

仙人であるからして、妙な押し出しに勝算を感じさせるが、商才には恵まれていないようだ。
今のところ、甘口に言えば「作品を世に問う」段階なのだろうが、個展を開くあたりを考えると、矢張り、雲を食っているのだ。
作品の値付けは2~6万円。特段人を食った設定ではない。価値とは、それを見出す者のみが決めるのであり、時代の風次第でもある。「自価」であり「時価」でもある。

田邊にTPOの「P」と「O」、具体的には、店舗の装飾にあたる作品を作らないかと話したことがある。先のブログに書いた「ペルソナ」である。田邊の返事は「・・・・・・・・・。」

アーチストとアーチザンの違いは何か。無知蒙昧を曝し、或る一面だけを根拠に言えば、高邁が見過ごせない物を紡ぎだす者、そうでない者が気になる物を造り出す者ではないかと思う。驚愕と感動で心中をざわつかせ、人を日常から刹那切り離すのがアーチストの作品なら、我々の日常を満たすものは、アーチザン、職人と言って良い彼らが日々造りだす物ではないかと思う。

鉄・土・木・竹・ガラス等を操れる野のアーチザンが結集すれば・・・。
彼等の腕・技と英知を集積しプロデュースするのが、仕事の一端なのだが。

田邊は7月中旬、NHK佐賀放送局のラウンジで作品の展示を行う予定。

彼のEメール
e-mail: shochikuyumekobo@minos.ocn.ne.jp

佐賀のイノシシと

2007-05-31 06:05:55 | Weblog
「米南部アラバマ州の11歳の少年が今月3日、体長約2.8メートル、体重約470キロもある巨大なイノシシを銃で仕留めたとして話題になっている。」
http://www.sankei.co.jp/shakai/wadai/070526/wdi070526003.htm

中山間地環境の荒廃の指標として、竹林・獣害の拡大に関心を持ってきた。
この二者を何とか活用できないかと、佐賀市内のイベントに際して、富士大和森林組合の協力の下、竹灯篭の作製配布・竹炭化、竹製のオブジェを作っている作家とコラボし作品の展示などを行った。

佐賀県には未だシカの侵入は確認されておらず、獣害はイノシシ・サルによるものとして良いだろう。
佐賀県の資料によると、H6年の捕獲頭数1740頭・被害額2億3840万円
H16年は14165頭・3億5970万円となっている。殆どが焼却・地中投棄される。

17年度は捕獲頭数・被害額とも若干減少してはいるものの、18年度の捕獲頭数は16000頭になるのではとの予測がある。狩猟者の話によれば、大和町の石井樋(いしいび)で大きい奴に出くわしたばかりか、昨年、有明海をま近にした佐賀市下水浄化センター北側にある、幅10m・長さ2km弱の竹やぶで30kgのイノシシが射獲された。
林業者には、2年後には長崎・福岡両県からシカが侵入して来るのではとの危惧もある。

イノシシは「山鯨」とも呼ばれていた。シカの刺身も旨い。
食材として活かせないものかと下記三者の意見を求めたが、他県での取り組み同様、解体・加工・販売ルートの開拓など問題が多い。
関心の或る方は、佐賀県生産者支援課を訪ねられるのが良い。

協力頂いた皆様

富士大和森林組合 
組合長=流石東京農大 参事=チェンソウアート・七面鳥を飼っている愉快な人 皆さん=樹の温もりを感じます
http://www.fujiyamato-mori.or.jp/

福岡精肉 
社長=肉の切り分けは○ 問題の切り分けは▼ 夫人=食育の講師も○
http://www.saga1129.co.jp/

そよかぜ館 
代表=率先垂範 地産地消 オートキャンプ施設あり
http://www.soyokazekan.com/

撚れてしまった。
巨大なイノシシを11歳の少年が(日本語のくくりでは「児童」だ)退治した。これに驚いてはいけない。
この子が銃を持てること、この子は5歳から狩猟を始めたベテランだとする記事もある。写真を詳しく見ればこの子が手にしてしるのはハンドガン、拳銃だ。
傍らで高性能ライフルを構え見守っていた父親について、ヤクザで・ボウリョクダン関係者とする記述はない。さすれば、ごくフツーの親子だ。

知り得る範囲では、拳銃は「ハンティングレボルバー」50口径。S&W製。
狩猟用にチューニング・カスタマイズされた、1インチ×1000分の50。直径約1.3cmの弾丸を発射できる銃だ。
ダーティハリーが使用したモノは44口径。メーカーは同一。構造も形も類似している。
因みに日本の公安関係者が所持しているのは22口径・38口径かと思う。
現地でも、「オーバーパワー」「オーバーキル」と称される武器を、ごくフツーの市民が、善良な市民の権利として、くどいが、ごくフツーに所持できるのだ。

銃の規制に関して、民主党が積極的で共和党が消極的と見られているが、全米ライフル協会などの利益団体と世論を無視できずにいるというのだ。アメリカ合衆国憲法修正第2条
「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、市民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない。」とある。

「銃は人を殺さない。人が人を殺す」という常套句がある。
銃を「イコライザー」と呼ぶこともあるようだ。イコライズ(平等化)する器具だと言うのだろう。
か細い淑女もこれを所持すれば、巨大な悪漢と対峙できる。
ならず者国家と指名された国は核兵器を「イコライザー」と思っているはず。
「サタデーナイトスペシャル」は土曜夜のイザコザ回避器具か。

http://mgdb.himitsukichi.com/pukiwiki/?%A5%B5%A5%BF%A5%C7%A1%BC%A5%CA%A5%A4%A5%C8%A5%B9%A5%DA%A5%B7%A5%E3%A5%EB

ニューヨークに一週間ほど滞在したことがある。許された場所で喫煙していると。14.・5歳の少年がよって来た。コインを差し出しながら、「タバコをくれ」と言う。「age?」と訊くと、その少年は精一杯気張って17歳と応えた。自動販売機など何処にもないのだ。
何故か笑って2本そっと渡した。

夜半、発砲音を聞いた。翌朝フロントで、殺人事件が有ったと聞いた。
現場は投宿した安ホテルから100mも離れていなかった。

地下鉄の駅で見た「ホールドアップ」。
ブルックリンですれ違ったの黒い肌の男の瞳は、何も映してはいなかった。

共存する意識など無きがごとく、唯ひとつ空いていたテーブルに同席を求めた東洋人に、白人女性はきっぱり「No」を言った。
ツインタワーはアメリカの力を誇示していた。ビル風が強く吹いていた。


ペルソナ2

2007-05-20 09:14:22 | Weblog
ペルソナの特徴を「者」ありき、類似の手法は日常生活でも見受けられると書いたが、者に「地」を含めて機敏の対応するのがコンビニだ。
肉体労働者が多く立ち寄る店舗の弁当の味付けは塩味、学校の近くの店舗は文房具の品揃えが充実しているだろう。彼らの生命線は消費者ニーズへのアジャストともいえる。

私が住む佐賀市にも昨年9月ローソンプラスが開店した(正確には改装開店)。全国で12番目、九州初の地域密着型の新しいビジネスモデル、実験店舗の意味合いもあるかも知れない。
その際、株式会社ローソンと佐賀県は、24時間営業や多様な機能をもつコンビニエンスストアの特性を生かした、地域協働事業などのへの取組みを含めた包括的協定を締結している。
内容はwebでも閲覧できる。概要は「県産農産物、地元県産品販売コーナーの設置」「バリアフリーの店舗作り」「ユニバーサルデザインに配慮した設備(トイレ)」「県政広報ステーションの設置」。ローソン店舗で県産品にこだわった常設の売り場が設置されるのは初めてだという。
順次実施するものとして「災害時の帰宅困難者支援」。今後の検討課題として「子育て」「交流拠点作り」「市民活動PRへの協力」「県産木材を利用した店舗作り」「AEDの設置」などが上げられている。
AED(自動体外式除細動器)とは、心臓がけいれんし血液を流すポンプ機能を失った状態(心室細動)になった時、心臓に対して、電気ショックを与え、正常なリズムに戻すための医療機器だ。

カートの使用を可能にする広い通路、高齢者や子供連れに配慮した大きめのポップ。数十種類の総菜、焼酎の量り売り、青果物・花コーナーの新設、授産品の充実が目立つ。
若年層への対応の影響か雑誌コーナーには絞込み不足が感じられた。
入り口左に設けられた一息つける場所(イートインコーナー)にはポットが用意され、4基のテーブルが設置されている。高齢者・子ども連れは勿論、これまで駐車場の車止めに座り込んで食事をしていた人たちには嬉しい配慮だ。協定にある「青少年健全育成への協力」の一環であろうか。
ローソンは佐賀店の実績を踏まえて九州では、福岡、大分に同様の店舗をオープンした。

コンビニはこれまで統一の企画の基で消費のトレンドを演出し、そこに商品を当てはめてきた。
消費者もまた、それに乗っかり、何処でも同じ品質を手にする安心感を享受してきた。
人口87万の佐賀県にも約200のコンビニがある(上位3社)。コンビに戦国時代が言われる、淘汰の時代を迎えローソンは地域密着・地産地消を掲げ生き残りを図った。もう一方の雄の戦略は?

「適者の生存」はよく聞かれる言葉だ。「適」とは、適う(かなう)であり適える(かなえる)でもある。適える者だけが生存を許される。

人口約20万、8万所帯。佐賀市の中心商店街は、半径5km以内にある店舗面積1万㎡超の郊外大型4店に客を吸い上げられ、疲弊しきっている。「コンパクトシティ」を標榜する行政も地元商店街も様々な策を講じてはいるようだが、沈滞を打破するには至ってはいない。
多くの商店主は「困った」を口にする。困っているのは彼等だけだろうか。

近隣の自治会の人の話を聞くことができた。「この辺も高齢化が進む一方です。家内が買い物に出かける時は、私が車に乗せて行くのですが、ちょっと買い物に行くにもこれですよ。郊外の大型店は若い人にはいいのでしょうが。私たちが買い物をするお店が近くにないのです。困ったものです。」と70代と想われる男性は傍らの婦人を見やりながら洩らした。

消費者のニーズに応えて、ローソンプラスは実績を遺した。ニーズどころかこの辺りの消費者は「困った」と言っている。前門の虎 後門の狼。郊外店は弱者たる消費者を産み出しコミュニティの崩壊ももたらした。
弱者の声に耳を傾ければ生き残るチャンスは有るのだ。四面楚歌ではない。何処で誰を相手に商いを行うのか明確なビジョンが有れば。
セブンイレブンが宅配をやる時代だ。細い路地まで彼等の巨大がやがて浸透するだろう。

「ペルソナ」「適者の生存」を想う。

前のブログ「ペルソナ」に貼り付けた写真は、マツダが1988年に発売したペルソナだ。
イングリットバーグマンをイメージして開発された大きさ・出力など、従来の車格に囚われない中型車だ。総革張りのシート、灰皿のキャンセル、ボンネットのエンブレムに七宝焼きを用いるなどかなり個性が垣間見れた。
しかし開発陣の想いは届かず、競合するカリーナEDの後塵を拝する形で生産を終えた。

初期CMは当時スーパーモデルとして活躍した、リチャードギアの前夫人、シンディークロフォードを起用。後に奥田瑛ニに代わる。この頃よりイメージ戦略にブレが感じられた。
同時期にホンダは、英車バンデンプラを髣髴させる瀟洒な中型車「コンチェルト」を発売。
乗る人のインテリジェンスを語る“モノの魅力”を醸し出す車だったが、ペルソナ同様一時代を築くことは出来なかった。

20年後の現在、プリウスが時代の風を満帆に受けている。いや
乗る者に、時代を読んだ満足感を与えながら、風を捉えているのだ。


アオウオが佐賀にいるかも

2007-05-18 16:38:56 | 生き物
 中国四大家魚と呼ばれる魚たちがいる。淡水魚釣りに詳しい方はご存知だろう。ソウギョ・ハクレン・コクレン・アオウオだ。

Web「青魚倶楽部」の資料によると、明治期から昭和初頭まで農林水産局により食料増産を目的にソウギョを主に中国から移入される。輸出地での選抜的な採捕、幼魚期の選別が困難だった為ハクレン10%、コクレン・アオウオが1%以下の割合で混じったと思われ、繁殖が確認されている利根川水系における現生息数比に繋がっているのではないかとされている。

4種とも大きく育ち1mを超えるものも珍しくないといわれるが、30cm位から飼育を始めたソウギョはコイ主体の混養の為か1mになるのに15年程かかった。

その後も全国各地で、水草の繁茂抑制・除去を目的として放流は続けられているようだが、佐賀・福岡の筑後川水系でソウギョ以外を目にしたことはない。他種の放流数が少ないのが主な要因だろう。
久留米市の北、筑後川に架かる両筑橋で「イルカほどの魚がジャンプするのを見た。」という話を聞いた。
後日、「地元の名人がその巨魚に挑み、針がかりはさせたものの、その走りを止められなかった。」との記事も雑誌で目にした。

淡水大型魚のジャンプといえばハクレンを想像するが、この辺りでは、霞ヶ浦などで見られるヘラブナ釣りをパワーアップしたような浮子釣りをあまり見たことがない。そのような釣りをしているベテラン釣り師の話を聞く機会が一度あったが、彼はレンギョを知らなかった。大方の釣りが専らブッコミ釣りであることを考慮に入れるとハクレンと特定するのは難しく、泳層・食性を変えて棲み分けをしているとされるコクレンかどうかの特定はより困難だ。
しかし四大家魚のうち表層にいるとされるソウギョが、岸辺に浮かせたヨシの葉、底を1m切った胴突き仕掛け、底に落としたイモにもヒットするのも事実だ。

佐賀新聞社刊「佐賀の淡水魚」がハクレンを「1978年に筑後川で記録あり」、コクレンを「1982年 有明海」と写真付で紹介している。1985年7月26日朝刊記事として写真で紹介しているのはアオウオだろう。記事引用の経緯もあってか、「ソウギョ 全長1.48m、胴回り85cm、重さ55kg 筑後川」と記しているが、体長と重量の関係、何よりソウギョよりもザラツキが目立つ鱗、頭部の形状及び目の位置などから判断している。

環境に変化を及ぼす要因となる筑後大堰は1985年4月に稼動を開始している。
果たして現在もハクレン・コクレン・アオウオがこの流域に生息しているかは判らないが、繁殖が確認されていないソウギョが、数を減じた印象を与えることなく見受けられるのは、継続的な放流によるものだろう。
そこに3種が混入する可能性はとても低いが。
この流域での大型魚釣りは、ルアーによるスズキを例外に殆どコイが対象で、イモがエサとして用いられている。
ヘラブナに似た食性を持つレンギョ、甲殻類を主食とするアオウオなどは外道として釣り上げられる可能性が低いのではないか。
この辺りを拠り所に彼等の存在を想う。

中国の国鳥がタンチョウヅルに?

2007-05-16 23:13:54 | 生き物

一週間位前の新聞だったかWebだったか詳細に憶えてはいないが、“国鳥を制定していない中国で、国鳥に相応しいのは何か調査した結果、タンチョウヅルが一番多くの人に支持された。”という記事を読んだ。

中国に国鳥がなかった事に少し驚いたが、その記事の下りには驚いた、感心した。
飽くまでも国鳥制定を想起しての事だろうが、“タンチョウヅルの学名に日本を意味する文字が含まれるのは好ましくない、学名を変えるべきだ~。“とあったからだ。
学名はラテン語で記される。属名と種小名の二名法である。
タンチョウヅルの学名は Grus japonensis。Grusはツル属を表す。その後のjaponensisに拘ったのだ。

ラテン語は既に進化?今日化を停止しており、学名他一部でしか使用されていない言語だろう。
進化・変化をしないことで、事象を誤謬・曲解なく説明できるのかも知れない。種小名は制定に際して持ち込まれたサンプルの採集地などの補足ではないかと思う。
日本に於いて既に絶滅したトキはNiponia nippon。10回繰り返せばバレーボールの応援だ。

分類学の父と言われるリンネに始まったとされるこの分類法も、システムは兎も角、オペレートを誤れば悪弊をもたらす例に漏れない。
コマドリをご存知だろうか?姉妹でなくてもいいのだが~。
鳴き声が「ヒンヒンカラカラ」と馬のいななきに似てるからとされる彼の学名は Erithacus akahige。
ラテン語は大方ローマ字発音と同様だろうと思っている。種小名は「アカヒゲ」だ。
精力剤をアピールする九州の某薬局を思い出してしまうが~。
同属の近縁種にアカヒゲがいる。未だ実物を見たことがないが、彼の学名はErithacus komadori。
種小名は「コマドリ」。登録時に両者を取り違えたのだ。流石に英名は正しいが変えようがないらしい。

学名の変更を望む声に、一部賛同しても良いと最近思っている。如何に由緒正しき分類による学名とは言え、始まりがリンネだからだ。
リンネは18世紀の人。彼は三角貿易、人身売買を肯定するかの如くアフリカ大陸に住む人種を「ホモ モンストロスス」と規定している。
モンストロススとはモンスターの語源であろう。アフリカ(黒の意)に住む者は怪しく、非文明的な生き物だから捕縛・飼育し、我々が指導・活用しなければならないとする当時のヨーロッパの傲慢・驕慢・無知をリンネはそのまま引き写したのだ。
これが一部賛同の理由だ。
学名も中国の人々がそう言うのなら変わるかも知れない。
混迷と頑迷を背景に、多数決・資本主義、ここにビジネス特許を練り込めば。現在想定し得る最強の三位一体の出来上がりではないか。何事かならざらん。

学名以下、英名・標準和名がある。この三者を見比べると、その言語を用いる人がどのようにモノを見ているかが判る。上記したコマドリは鳴き声により、アカヒゲはその容姿により夫々を日本人は認識して来たのだろう。
何時だったかこれも忘れたが、同じテキストなのにどうして、さつまいもとサツマイモが出てくるのか教職の者に尋いたことがあった。国語科は「柔らかい中身が伝わらないから平仮名がいい。」理科は「理科ではカタカナで表記する決まりです。」双方一理ある?二桁の掛け算をマスターするのが先か?

しかし、その先は一体どうなるのだ。さつまいもは柔らかいだけでなく、サツマイモは理科に縛られてはいない。
区別を覚えて人はどうなった。彼は彼である。見る者の数だけ姿・形・触感・食感など様々な光を彼は放っている。
せめて漢字表記にできないか。薩摩芋はどう?硬口鰯、胡麻鯖はどうだ!
レブンアツモリソウ→礼文敦盛草。礼文島にある敦盛草と類推できないか?
それならば、クマガイソウ→熊谷草。何か感じられないか?平敦盛も熊谷直美も実在した人物ではないか。
それが何故植物に冠されている?名前は未知の扉を開くキー。

人が手前の都合で勝手に貼り付ける名前。せめて、実態の一部分を知る喜びも与えてくれる、手がかりとなるものにできないか。名付け親の光栄に与った人に望む。今日あるのは、茫漠の中一筋の道に導かれたからではないか。名前とは、英知を次代に託す指標でもあろう。

リンネは許せないが。タンチョウは変えてほしくない。自国名で満足して貰えないだろうか。


 魂入れず

2007-05-16 16:17:51 | Weblog
 魂入れず

適齢期を10年程やり過ごした頃からだ。
どうして結婚しないのか尋かれるようになった。
「望みが高すぎなんじゃない?」
かなりやり過ごした頃から訊かれるようになった。
「どっか体が悪いんじゃない?」
尋にも訊にもうんざりし始めた頃応えていた。
「性格が悪いんです!」

きいてくる人を看る余裕と、異性に対する執着やら渇望から漸く望むべく解き放たれた頃
覗きこまれるようになった。
「アッチの方はどうしてるの?」
「自分でできる事は自分でやりなさい。と教わりませんでしたか!」と応えるようになった。

故あって妻帯していない。断っておくが、当方の一方的な故在りての事である。

当方の事由とは全く関係ないが。一方的~。これは犯罪行為に等しいかも知れない。
そのような行為には釈明が必要である。そうするのが、大人の姿勢である。
軽重・長短・浅深の度合いに由って異なるだろうが。
或る犯罪の場合は、長短に関らず、深ならば、こう釈明するが賢明ではないか。
「○○入れて 魂入れず。」

どのような文字を用いるのが相応しいかは夫々で考えて貰いたい。
「おっと、おっと」と読むことはないと思うが~。
適当な文字を充てはめることができたら、慌てず・急かず・うろたえず・戦く顔面の筋肉を叱り・宥め、機を逸せずおもむろに言葉を走らせるべきである。
適当は「テキトー」ではない。数学用語の「適当」 just fit である。

くれぐれも文字にしないように注意されよ。この手法は相方がかなり理知的で前向きで、清濁併せ呑む器量を保持するなど、貴方の楽観の全てが満たされる場合にのみ有効であり、かの者の「アキレタ~。」に期待をつなぐ卑小・卑劣を顧ない保身の術だ。適当が、家内安全等を主目的とする崇高且つ歴史的な一句をなし、今後のお家の危機存亡を左右するかも知れぬからだ。

カタカナ意に変換するなど論外。
更に油を注ぐ事態を招くは必至。ファイアーストームで言う「第二次注油」である。
今後貴方は戯け者と呼ばれよ。

幸か不幸かハズレの人、「ワカンナーイ」の人は、丁々発止と阿鼻キョータンを愉しむ重と鈍を身につけられよ。万が一、重鍋に軽蓋の事例にアタルかも知れぬ。
健闘を祈る。賢愚を問わず、「仏つくって 魂込れず」を承知あれ。

家あれど 当方未だ妻なし子なし より来る尋訊漸くかすか かつてなれにし愁波ともども

最近、独りと寂寥を手なずけた。


ペルソナ

2007-05-13 07:25:38 | Weblog
最近物づくりの初期の段階でペルソナという手法が用いられるのを知った。
ターゲット層の嗜好・所得・家族構成・生活様式・行動パターン等をインプットした仮想体 ― ペルソナモデルを作成し、彼が好むと想われる線に沿った商品・サービスを創出しようとするものだ。
先ず「物」有りきで試作品を作り、モニタリングによる改良を繰り返してユーザビリティを向上させる手法と異なり、先ず「者」有りきのアプローチだ。

何やら、目新しくもアリガタイ手法のように思えるが、よくよく考えてみると、特段新しいものでは無いことに気がつく。我々の生活の周りにもこの手法によるサービスは幾らでもあるし、そればかりか個人のレベルでも年齢・性別に関係なく多くの人が、この手法を用いたことがあり、又は実践最中だ。
意中の者を射止めたい、恋愛である。
「恋愛は暇人の遊戯である。」と喝破した人がいるが果たしてそうか?
いやいや、暇が無くなる程不安と恐れが充満するんである。

脱線した。

プレゼントを用意する時、相手の好みが「あの人は~だから。」「あの人は~を喜んでくれるだろう。」等と、きっと想いを巡らせた。万端な人はパッケージにも凝った。周到な人はそのシチュエーションにも拘った。徹頭徹尾の人はリハーサルも一人でやった。
それでも自信が持てなくて、泣き落としも少しは考えたに違いない。

常軌を逸した。

ペルソナとは恐らく、こうした行為に似た手法である。しかし恋愛との相違はある。
人は必ずしも「あなた好みの~♪。」に成れない。
英語の“パーソナル”の語源であろうと思しきこの言葉は“社会的に認識された人格”、実態との乖離ゆえに“仮面”とも訳される。路線が怪しくなるが、加齢・立場に因って心身ともに硬化して尚燃え上がった感情は、ストーカー行為、パワーハラスメントへと加速する惧れがある。
「ウッソー、あの人が、シンジラレナァーイ。」。
ペルソナのみしか知りえない子羊は,歯牙にかからなかったことに安堵してか喧しい。
万端な人にはセンスが、周到な人には周辺リサーチが、徹頭徹尾な人は覚悟が必要だ。
不足に対処し自分を変えようとする切羽詰った用意がある人は、自分の弾性限界を確かめるべきだ。

今度は転覆か。

復旧作業が必要。運行の目途が立ち次第再開します。