山茶花談

さざんかだん

自然

2017-05-04 | ペン画

卯月

暦はもう皐月、新緑がとてもきれいですね。
家の周りでハハコグサがたくさん咲いて
小さな玉のような黄色の花が輝いています。
ぐんぐん丈をのばして小さな青い花が咲いているキュウリグサや
すこしずつ花を開き始めた黄色やピンクのカタバミ、
白と紫のニワゼキショウ、
地面に葉っぱを徐々に広げつつあるドクダミ、
あっという間にもう大きく茂っている山椒、
春は植物も、見ているほうも、生き生きして気持ち良いですね。

すこし前に、自宅の広い敷地で20年
川口由一さんの自然農をされている女性に出会いました。
地面を手の平ですくって種をまき
使う道具は鎌一本だけ、高くのびた草の上だけ刈って地面に撒いて
土を耕さない、夏でも水をあげない、そんなお話をお聞きしました。

わたしは植物を見たり描いたりするだけで
野菜や花を育てるのはもっぱら下手なのですが
小さなころ、鈴鹿の畑や草の中を走り回っていたので
草花や虫や雑多とした緑の中にいるとほっとします。

今、カエデの葉にびっしりアブラムシと小さなアリが集まって
窓の下のカラスノエンドウの葉まで黒い点に。
垣根の葉っぱは白い斑点が生え始め
毎年の一過性なんですけど
以前は、うちはほんとうに虫がつきやすいねぇ・・という言葉が出ましたが
この場所で必要があって起こっているのかなと思えてきます。

昔、庭の土の上にしゃがんでいて
ふと、自分の足元の土には、亡くなった祖父母や父がある・・という気持ちがわき起こり
しばらく時間が止まってしまったことがありました。
本州と遠い海を隔てた北海道、離れていても
わたしたちの亡骸は分解されて
虫が運んだり、空気中に含まれて、大気は風にのって
自分の体の中にも入って、故人や世界は含み含まれ混ざっていると感じました。

そのときの体験が、川口さんの 
”わたしたちの生命活動は、耕してない足元の亡骸の歴史の層の上でしている” に重なり
”任せておいたらおのずから豊かな大地になっていく
生命は生命自ずから生命にとっていい方を求めてる”・・というのも
人を含めて自然に手を加えない・・につながって
それでは手を加えない、自然の自分は?
・・と、ゆるやかに思い巡らしています。





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もぐら

2017-04-17 | 色鉛筆画


先日、家の西側のコンクリートの上で
この春いちばんに見た、カナヘビが
あたたかそうに日向ぼっこをしていました。

横の竹箒を取りたいんだけど、動かない
そっと指で尻尾の先を押してみる、動かない・・
よかったね、うちの子供達が大きくて。



三月の、まだ朝晩は冬の寒さが残るころ
家の西にある小さな祠の前に
もぐらが横たわって死んでいました。

やわらかな茶色の毛、大きな手、
もぐらは好きなモティーフで
よく図鑑で見ているのに
どうしよう・・実際に目の前にいると触れない・・
しばらく悩んで、箒で塵取りに載せました。
ごろん・・



昔、会社の先輩が、会社帰りに
道で死んでいた鳥を拾って家に持ち帰りました。

画家の彼は、日頃
こよなく愛していた野鳥への探求心から
家の冷<明>所で、鳥を一時保管してから
鳥の横に粘土を置き、解剖してレプリカを作りました。

後日、家に遊びに行った女性の先輩が
窓から、瓦の上に乗っていた鳥のミイラを見て驚いた、という
なかなか盛り上がったエピソードでした。

ターシャ・デューダーも、家の地下室が
生き物たちの保管室だそうですね。
必要なときに取り出して、絵を描くそうで

その気持ちと行動、よくわかるな・・と思っていましたが
体の反応は反比例だったようです。




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朝の歌

2017-03-31 | 中原中也

中原中也 「朝の歌」より ”うしなひし さまざまのゆめ”     monoprint/pen


樹脂の香に 朝は悩まし
         うしなひし さまざまのゆめ、
森竝は 風に鳴るかな

ひろごりて たひらかの空、
         土手づたひ きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢




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君の名は

2017-03-13 | 日誌


先日は、子供の卒業式でした。
体育館で待っている間に優しく流れていたのは
「千と千尋の神隠し」の歌。
その後、音楽の先生が電子ピアノ(?)で
「君の名は」の「前前前世」を演奏されながら、卒業生入場。
優しい春らしい雰囲気で、素敵な曲の選択でした。

子供の友達の答辞は、大きな体をビシッと曲げた礼で始まって
答辞の後半、大声で
「なかなか言えなかったけど、
お父さん、お母さん、今まで育ててくれて、ありがとう!!!」
と、ふりしぼった叫び声が、体育館中響き渡りました。
もうすぐ家を出て、他県に行ってしまう友達。
素直でまっすぐな、すばらしい答辞に感動しました。

子供が学校からいただいたCDは
「君の名は」などの曲が流れる中で
三年間の思い出がたくさん映っていました。

ちょうど出張から帰った夫が、ある国で買ってきたお土産も
「君の名は」のDVDで、なんと¥100だったそうです。
同級生の子たちとみんなで見ていましたが
画面に一部漢字がずっと映っていましたけど
とても楽しんでいたようです。



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サフラン

2017-02-28 | ペン画


Ground   (版画のためのペン)


本を探していて、出版社のHPで詩人の伊藤比呂美さんの文を見つけました。
その中で森鴎外の 「サフラン」 が引用されていました。
伊藤比呂美さんといえば、子供が小さなころ
伊藤さんの育児本を読んだ思い出があります。

「サフラン」は、鴎外が花屋で買ったサフランの球根の鉢を
不精して水をやらず枯らしてしまいそうになりながら
自然葉が土から生えてきたという話です。

”物の生ずる力は驚くべきものである。
あらゆる抗抵に打ち勝って生じ、伸びる。”

小さなサフランが埋められたひとつの鉢をめぐって
鴎外の思考が広がります。

”これはサフランと云う草と私との歴史である”という鴎外の言葉が
伊藤比呂美さんとも重なって
子育ての世界のように感じられてきました。

小さな子供を育てている間は
そのときどきこうしたら良い、ああしたら良いと思いながら
感情が大きく思考を左右しがちだったようで

時が過ぎると、子供にこうしてあげればよかった、申し訳なかった・・という思いが
何年たっても心から消えることが無くて
ゆらゆらゆれながら、現実も過去も存在するようです。

子育てもまた、子供と親の歴史で

”しかしどれ程疎遠な物にもたまたま行摩(ゆきずり)の袖が触れるように、
サフランと私との間にも接触点がないことはない。”

といいながら、次に
”物語のモラルは只それだけだ” と続く言葉は、より現実的に聞こえます。

親が子育てを後々後悔しても
”サフランはサフランの生存をして行くであろう。私は私の生存をして行くであろう”
・・という言葉のように
子供は確かにたくましく自力で育っているように時折実感するのも、物の生ずる驚くべき力のようで
わたしの心を少しだけほっとさせてくれます。








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