平成21年1月30日
金沢文庫蔵理性院流宗命方聖教に関する暫定研究報告(その一)
(「金沢文庫蔵」とあるのは正確には「金沢文庫保管重文称名寺聖教」の事です)
三宝院流・金剛王院流と並んで醍醐三流の一つに数えられる理性院流は権僧正勝覚の付法弟子理性房法眼賢覚(1080―1156)を流祖と仰いでいますが、賢覚の潅頂弟子はおよそ三十人の多数にのぼりました。その中には高野に大伝法院を建立して鳥羽上皇の帰依を一身に集めた覚鑁上人も含まれますが、後世理性院流の名を高からしめたのは宝心・宗命という二人の写瓶(しゃびょう)弟子であったと云う事が出来ます。金沢文庫には第272函を中心にその宗命方の聖教群が収蔵されていますが従来あまり注目される事がありませんでした。この「研究報告」ではそれら宗命方聖教に関する内容の概略と奥書を報告し、後日ホームページ『
柴田賢龍密教文庫』に「研究報告」蘭を新設して話題性のある記事を抄出してより詳しく紹介します。
金沢文庫蔵理性院流宗命方聖教暫定目録:
1. 整理番号272.1〜6 これは大正新修大蔵経第78巻に収載する『小野六帖』と同本ですが理性房法眼賢覚之本を祖本としている点が異なります。もっとも更に遡れば鳥羽殿の経蔵の本を覚鑁上人が書写校合し、それを三宝院権僧正勝覚が写した本が元に成っている点では同じです。又大正蔵本の巻次は暫定的なものですが、金沢文庫本には元の巻次が記されていて貴重です。今此の文庫本『小野六帖』を元の巻次に従って紹介します。
2. 整理番号272.10『二条』 これは元来『小野六帖』九帖の中の一帖であったかと思われるものです。「二条」とは大師の『二十五箇条御遺告』の第24・25両条を言います。作者不明。
3. 整理番号272.12『ユキ惣記』 これは真寂法親王作『瑜祇惣行記』ですが、是も元は『小野六帖』九帖の中の一帖になっていたと考えられる書です。
4. 整理番号118.6『授与記』 賢覚口・宗命記の諸尊口決。
5. 整理番号272.2『肝心集』 賢覚口・宗命記の諸尊口決。
6. 整理番号272.3『キウ日記 三宝院/雨』 先に続群書類従第25輯下にも収載する『永久五年祈雨日記』を筆記し、後に「夢記」以下の七箇条があります。宗命記。
7. 整理番号272.4『祈雨抄』 賢覚記。請雨経法に関する仁海と勝覚の口伝を記したもの。
8. 整理番号272.5『軍荼』 宗命作の真言事相に関する雑記。
9. 整理番号272.6『雑記』 賢覚口・宗命記の諸尊法に関する雑記。
10. 整理番号272.8『対聞記』 賢覚口・宗命記の真言事相に関する雑記。
11. 整理番号272.9『太』 賢覚口・宗命記。太元帥法以下の諸尊法に関する口決を記したもの。
12. 整理番号272.11『別法』 賢覚口・宗命記の諸尊法口決集。
13. 整理番号272.7『十八道頚(くび)次第』 四度加行(しどけぎょう)に用いる十八道次第(如意輪法)のやや簡略なもの。
14. 整理番号18.1.1〜3『授心抄』上中下三帖 賢覚口・宗命記。『青表紙』と並んで宗命作の広範な諸尊法に関する口伝集として古来よく名の知られた書です。
平成21年2月2日
内容の一部訂正:
『小野六帖』の書写次第に関して上に、覚鑁上人の本を三宝院勝覚が写した旨を記しましたが、是は全くの間違いです。以下に紹介する奥書類に明らかなように上人が鳥羽殿に於いて『小野六帖』を書写校合したのは長承二年(1133)の事であり、それを勝覚(1057―1129)が写すことはあり得ません。訂正してお詫びします。勝覚の本は義範僧都乃至範俊僧正の本を書写したものと考えられます。詳しくはホームページの「研究報告」に記す予定をしています。
又大正大蔵経の『小野六帖』と金沢文庫本とは同本では無く、異本と云うべきです。重ねて訂正してお詫びします。
(平成21年2月9日)
1―1. 整理番号272.1.2『宿曜私記〔付古事要文、北斗事〕』
写真帳の最初に『小野六帖』の原包紙かと思われる写真があり、その紙の左下に「小野六帖〔九帖〕」と記されています。次の写真はその裏側らしく『小野六帖』九帖の題目が列記してあります。普通の六帖以外の三帖は、「ユキ惣記一帖/二条一帖/万廿糸大六人一帖」です。猶大正大蔵経の『小野六帖』には巻第七「伝法潅頂〔昼行式〕」が収載されていますが、この包紙裏書によって金沢文庫本には元来此の巻の無かった事が確認できます。
(奥書)
理性房法眼(賢覚)の本を以て書交し了んぬ。
其の後三密房(聖賢)并に三宝院(定海)の本を以て交し了んぬ。
理性院の本は権僧正御房(勝覚)の本を以て書かる〔云々〕。
(見せ消ち)「治承二年(1178)六月廿日申尅、白河房に於いて書写せる本。遍智院の二合篋の本なり。」
〔元暦元年(1184)、校し了んぬ。燕脂を以て之を点す。
本に云く、長承二年(1133)七月十七日、交点す云々。六并に九の内〕
覚バン(梵字)上人、鳥羽御蔵の本を申し出だして或いは書写し、或いは校合し了んぬ。件の本を隆アザリ(梵字)より借請す。而して校合し、而して燕脂を以て之を点す。
已上墨并に燕脂は写本に之を記す。
〔承元四年(1210)八月十二日云々。 行兼云々〕
第一帖〔宿曜 北斗 古事 要文〕
勝倶胝(しょうくてい)院僧都(実運)、外題を書かれ了んぬ。
一交し了んぬ。
(コメント):
此の帖は大正蔵本『小野六帖』では巻第六とされています。
やや煩雑な奥書です。理性房の本を書写し、その後三密房と三宝院の本を以て校合した人物が誰かは未詳です。次の「第二帖」のコメントを見て下さい。
又治承二年に遍智院の本を以て書写し、更に元暦元年に隆アザリから覚鑁上人の本を借り出して校合結果を臙脂で記した人物も亦未詳です。「隆アザリ」に付いては272.1.4『大師伝法潅頂私記』の奥書に出る「隆位阿闍梨」かと考えられます。参照して下さい。
承元四年に此の帖を書写したらしい行兼なる人物は、理性院宝心阿闍梨の孫弟子に当たる覚円房行兼らしく思われます。最初にも記しましたが宝心阿闍梨は宗命と共に賢覚法眼の写瓶弟子として当時高名を馳せた僧です。宗命は亦宝心の写瓶弟子でもありました。
1−2. 整理番号272.1.1『胎疏并儀軌等序要文千心』
(奥書)
(見せ消ち)「治承二年(1178)八月一日、白河房に於いて書校す。写本は遍智院の御本なり。」
(見せ消ち)「本□記」
遍智院の本は理性房法眼(賢覚)の本を以て書写せしめ御す。其の後三密房并に三宝院の本を以て交合せられ了んぬ。
理性院の本は権僧正(勝覚)の御本を以て注され書写せらる〔云々〕。
〔長承二年(1133)七月日、(鳥羽)槻御蔵の本を以て密厳院聖人(覚鑁)は之を校合す。其の後件の本を以て□□□年に校合し、燕脂を以て之を点す。〕
已上墨并に燕脂は写本の記なり。
(コメント):
写本の裏表紙の左肩に「第二帖」と記されています。
此の帖は大正蔵本『小野六帖』では巻第五としています。
「千心」とは『小野六帖』の編著者である小野僧正仁海(951―1046)を言います。
奥書中の「遍智院の本」の「遍智院」が誰を指しているかと云えば、恐らく遍智院律師林覚の弟子で同院を譲られた行朝法橋(―1115―72―)であろうと考えられます。行朝は亦三宝院定海と三密房聖賢の潅頂弟子であり、永治二年(1142)には大僧正定海の推薦によって白河尊勝寺の供僧に成っていますから(『醍醐雑事記』巻第七p.252)当然白河に住房を構えていた筈であり、奥書の記述に合致します。但し理性房賢覚と行朝の関係はよく分かりません。
「理性院の本」とは理性院に相伝する正本の意味で、即ち「理性房法眼の本」の事です。
1−3. 整理番号272.1.5『雑私記大師記〔不断修法結番作法〕』
(内題)大師御筆次第
(奥書)
(見せ消ち)「写本□云く」
天養元年(1144)十二月廿八日、理性房法眼(賢覚)の本を以て書写し校すること了んぬ。〔此の本は権僧正御房(勝覚)の本を以て書写せらる云々。〕
重ねて三密房(聖賢)の本を以て校し了んぬ。
其の後三宝院(定海)の本を以て見合わせ了んぬ。
(見せ消ち)「治承二年(1178)七月八日、白河房に於いて書写し校すること了んぬ。本は遍智院上綱の御所持なり。」
〔元暦元年(1184)九月廿三日、高野の本を以て安養山に於いて校合し了んぬ。燕脂を以て之を点す。件の本は鳥羽御蔵の本を以て長承二年(1133)七月十六日に交せしめ給い□なり。〕
已上墨并に朱は写本の記なり。
第三帖
一交了んぬ。
(コメント):
此の帖は大正蔵本『小野六帖』の巻第四に相当します。
「遍智院上綱」の上綱とは、この場合は院主のことを尊敬して言っているのでしょう。具体的には前項に述べた如く行朝法橋を指すと考えられます。
「高野の本」とは、高野大伝法院の覚鑁上人の本という意味です。
「安養山」に付いては未詳ですが次項の奥書を参照して下さい。
1−4. 整理番号272.1.4『大師伝法潅頂私記』
(奥書)
(見せ消ち)「治承二年(1178)八月廿九日、遍智院の御本を以て書写し畢んぬ。
本の日記」
遍智院の本は理性房法眼の本を以て書写せしめ御す。其の後三密房と三宝院の本を以て交され了んぬ。
理性房の本は権僧正の御本を以て書写せられ畢んぬ。
隆位阿闍梨の大神宮に詣でる時に
〔元暦元年(1184)九月廿三日、高野聖人(覚鑁)の本を以て安養山に於いて校し了んぬ。燕脂を以て之を点す。〕
校本の日記
〔本に云く、長承二年(1133)七月十九日、鳥羽殿に於いて四合の正本を以て校合し了んぬ。六并に九の内〕
已上黒并に燕脂は写本の記なり。
〔一交了んぬ。〕
第四帖〔金剛峯旧風〕
(コメント):
此の帖は大正大蔵経の『小野六帖』では巻第一とされています。
1−1第一帖の奥書にある「隆アザリ」に関する記事と合わせると、治承二年に遍智院本を書写した人物が六年後の元暦元年に当時伊勢大神宮に参詣に来ていた隆位阿闍梨から覚鑁上人の本を借りて校本とし、安養山に於いて臙脂を用いて校合結果を記した事が分かります。
此の隆位阿闍梨は、高野大伝法院の学頭であった隆海法印の潅頂弟子の大納言阿闍梨隆位(1147―1195)と考えられます。その法系は、覚鑁―兼海―隆海―隆位となります。
又「安養山」の寺院名は未詳です。
「四合」とは鳥羽殿の経蔵に収蔵されていた「小野聖教十二合」(普通は「四合・八合」と云う)の中の小野僧正仁海自筆の聖教四合分を言います。
1−5. 整理番号272.1.3『大潅頂作法次第』
(奥書)
(何故か一部同じ記文が二つあるので、その中の前の分を略します。)
本記に云く、
天養元年(1144)十二月廿九日、理性房法眼の本を以て書き畢んぬ。件の本は権僧正御房の御本を以て書写せらる者なり。
久安二年(1146)正月七日、三密房の本を以て重ねて校すること了んぬ。又三宝院の本を以て校し了んぬ。
治承二年(1178)九月四日、白河御房に於いて遍智院の御本を以て書写し校すること了んぬ。
〔元暦元―(1184)校し了んぬ。校本は高野密厳院の本なり。
本に云く、長承二年(1133)七月十八日、鳥羽殿に於いて本を写し了んぬ。
同じき本を以て点すること了んぬ。四合の内。
六帖の内。〕
已上、墨并に燕脂は写本の記なり。
建治元年(1275)六月廿五日、書写すること了んぬ。 道昭
〔一交し了んぬ。〕
第五帖
〔一交し了んぬ。〕
(コメント):
此の帖は大正蔵本『小野六帖』では巻第二とされています。
「密厳院」は密厳院聖人覚鑁を云う。大伝法院が伝法会を行う晴れの道場であったのに対し、密厳院は覚鑁の私的な修法道場であった。覚鑁上人に付いては正覚房・高野・伝法院・密厳院などがその通称として普通に用いられました。
「道昭」は報恩院憲深僧正の潅頂弟子の道昭上人(1235―)らしく思われます。道昭の書写奥書は此の帖にしか見られず、他の帖も道昭の筆写になるものか不明です。
1−6. 整理番号272.1.6『バザラダト(梵字)』
「バザラダト」は「金剛界」を意味します。
(奥書)
天養元年(1144)十二月廿八日、書き了んぬ。
本は理性房法眼賢覚の所持なり。
此の本は権僧正御房の御本を以て書写せらるなり。
久安二年(1146)正月六日、酉の尅許(ばかり)、聖賢阿闍梨(三密房)の本を以て重ねて交し了んぬ。
同じき夏、三宝院の本を以て見合わせ了んぬ。
〔治承二年(1178)九月十二日、白河の御房に於いて遍智院の御本を以て之を書く。〕
已上墨并に燕脂は写本の記なり。
第六帖〔印信〕
(コメント):
此の帖は大正蔵本『小野六帖』の巻第三「伝法潅頂千心(仁海)私記」に相当します。
以上1−1〜6の奥書を検討して明らかなように、此の金沢文庫本『小野六帖』の書写伝領経緯は理性院流宗命方とは直接の関係はありません。ただ理性房賢覚の本が祖本になっている為に、一群の宗命方聖教と一具にして此の第272箱に納められたのでしょう。
(平成21年2月17日)
2. 整理番号272.10『二条』
(奥書) (ナシ)
(コメント):
弘法大師空海作とされてきた『御遺告〔二十五箇条〕』の中、第二十四、二十五両条の頭句と空海識語を書き出し、その後で語義に関する雑記を加えた短篇です。『御遺告(ごゆいごう)』第二十四条は東寺座主(長者)が相伝の如意宝珠を護持すべき事を述べ、此の相伝の如意宝珠に関して種々の口伝書・口決類が製作された事は周知の通りです。又第二十五条は「奥砂子平法」なる秘法について述べていますが、是に関しても各流毎に口伝が伝承されました。
上の1−1『宿曜私記』の初めに記したように、此の『二条』なる書は極めて短篇ながらも『小野六帖』九帖の中の一帖と考えられます。
3. 整理番号272.12『ユキ(梵字)〔惣記〕』
(尾題)瑜祇惣行法私記
(奥書)
本の奥
長暦四年(1040)三月三日、小野御房に於いて最密を受け奉り了んぬ。密中の密なり。
本記に云く、長承二年(1133)九月十九日辰の尅、鳥羽殿に於いて書き了んぬ。九帖の内(なり)。
鳥羽殿の槻御蔵の本を以て密厳院上人(覚鑁)、長承の比(ころ)に之を書写す。件の本を以て元暦元年(1184)九月廿三、書写すること了んぬ。
已上、墨并に燕脂は写本の記なり。
承元四年(1210)八月十六日に書き了んぬ。
一交了んぬ。
(コメント):
上の1−1、4の奥書に照らして本書も元暦元年に伊勢参詣中の隆位阿闍梨から借り受けた本を以て安養山に於いて書写が行われたものであり、その後また承元四年に是を書写した人物は覚円房行兼であろうと考えられます。
上に記したように本書も『小野六帖』九帖の中の一帖です。又本書の内容については『密教大辞典』の「瑜祇惣行記」の項などを参照して下さい。
(平成21年2月21日)
4. 整理番号118.6『授与記』
外表紙の左下に梵字で「ケンア」と記されていて金沢称名寺二世の明忍房剣阿の所持本であった事がわかります。
(内容)
理性房法眼賢覚より受法した諸尊口決を宗命が記した伝受録です。文中に「(法)眼の授与し云わく」なる書き出しが三箇所にあって、『授与記』なる題名の由来を知ることが出来ます。以下、内容理解に役立つかと思える二、三の文を記します。
久安五年(1149)正月廿六日に習い奉り、聊か之を記す。」
久安六年七月三日より一院(鳥羽上皇)の御祈りに北斗法を勤修せしめ給える様を仰せられ云わく」
女御立后(にょうごりっこう)の祈祷の時に修すべき法の事
義範 勝覚 賢覚 宗命〔授与口伝〕」
(奥書)
本に云わく、
文永五年(1268)十月十六日、書写すること了んぬ。
兼観
永仁六年(1298)十一月廿日、書写すること了んぬ。
法印権大僧都経助之
(コメント)
現在此の写本は第118函にありますが、元来は第272函にある一群の宗命作の聖教と一具であったと考えられます。
書写奥書を記した兼観(1232―1274)は理性院観俊の潅頂弟子で小納言律師と称されました。又経助は理性院仙覚の潅頂弟子で後には僧正に成っています。仙覚は兼観の付法弟子でもあり、経助は兼観の孫弟子に当たります。
5. 整理番号272.2『肝心集』
外表紙の左下に梵字で「ケンア」と記す。
(内容)
三宝院勝覚が定賢法務より受法した諸尊法の肝要なる口決に関して、宗命が理性房賢覚より伝受した所を記したものらしく思われます。
本文の最初の一行に梵字で「バンvam ウu ムmu」、次の行に「水去第文力抄」と記されています。第二行の「水去」は「法」字を左右に分割したもの、「第/文力」は「務」字を左右に分割し更に右半分を上下に分けたもので、全体として「法務抄」の意であると考えられます。
以上を踏まえて初行について検討すれば、先ず梵字のvamは当時の悉曇(しったん)学で「バウ」と訓むことが出来ますから全体として「バウ ウ ム」>「バウム」>「ハウム」、即ち「法務」と解することが出来ます。「ハウ」に敢えてvam字を使用したのは此の字が金剛界大日如来の種子(しゅじ)だからでしょう。
(奥書)
久安四年(1148)二月廿九日、子の尅許(ばかり)に事了んぬ。
深く密語を仰ぎ鳥□の筆墨を染む。 生年三十
久法久為なり。後に見る人は必ず随喜すべきなり。 (梵字)「ナモアミタブ」
(一行アケ)
宮僧正御房〔覚源〕は花山院の第十一鳥〔云々〕。
故法務御房(定賢)、習い奉り給える諸法を移す事。
(一行アケ)
文永六年(1269)六月十七日、書写すること了んぬ。
同事多々□心得ざる分、正本の如くに書写し了んぬ。 宗遍
(一行アケ)
一校了んぬ。
(コメント)
最初の二行に「法務(の抄)」と記すが、始めに述べたように定賢法務の抄物そのものでは無い。
奥書の二行目に「生年三十」と云うから、久安四年から逆算して元永二年(1119)の生まれとなって宗命僧都の生年に合致します。
宗遍(1236―93)は光明峯寺北谷(毘沙門谷)の証聞院々主で理性院流宗命方の嫡系を相承していた人物です。その法流血脈(けちみゃく)の概要を示せば、
賢覚―宗命―宗厳―行厳―観俊―宗遍―観高―
と成ります。
6. 整理番号272.3『キウ〔日記 三宝院 雨〕』
「キウ」は梵字で「hi u」と書かれています。又表紙の左下に梵字で「ケンア」と記します。
(内容)
宗命が続群書類従第25輯下にも収載する『永久五年(1117)祈雨日記』を書写し、その後に「夢記」以下七条を記したものです。『永久五年祈雨日記』は三宝院勝覚の口述に基づいて源師頼が撰した書です。是の書写識語(奥書)に、
久安三年(1147)七月十六日。生年廿九。此の日記を賜り書き移せる間、書くに随い涙の筆端に落つ。効験の空しからざるを敬い仰ぐ〔云々〕。
と云い、次に、
嘉応元年(1169)七月十四日、夢想(以下略す)。
と記して後半部が始まります。
(奥書)
〔本に云わく〕
久安四年八月廿四日、灸治の為に灸治を請ぜる間に集注すなり。助君(すけのきみ)家にて灸治す。生年三十なり。
(行アケ)
文永五年(1268)十月十三日、書写すること了んぬ。
即ち交すること了んぬ。 兼観
永仁六年(1298)十二月三日 子の尅許に書写すること了んぬ。
法印権大僧都経助之
(行アケ)
一校し了んぬ。
(コメント)
識語中に記す久安三年、同四年の「生年」は共に元永二年(1119)の誕生である事を示して理性院宗命の生年に一致します。
本書の成立事情に付いては、「夢記」に云う嘉応元年と他の久安年間の年記との間に二十年もの隔たりがあって不審と云わざるを得ません。
奥書中の兼観と経助については4.『授与記』のコメントに述べた通りですが、兼観は証聞院宗遍と並んで理性院観俊法印の付法弟子中の英傑と評された学僧です。
(以下は字数制限の関係で新規投稿とします)