柴田賢龍密教文庫「研究報告」

ホームページ「柴田賢龍密教文庫」に掲載する「研究報告」の速報版です。

金沢文庫の実賢記『秘法記録』

2009-08-17 21:09:36 | Weblog
平成21年8月17日
金沢文庫の実賢記『秘法記録』
(「金沢文庫」とあるのは金沢文庫保管重文称名寺聖教のことです)

最近『称名寺の新発見資料』なる小冊子を見ていて「28 秘法記録 写本 一巻 鎌倉時代」が金沢文庫の整理番号328.132『秘法記録』と同本である事に気づき、改めて本文を読み直してみました。是は金剛王院大僧正として知られる実賢(1176―1249)が宿願の如意宝珠造顕を果たした事を記した興味ある日記であり、短篇の記録でもあるので、とりあえずここに全文を国訳で紹介し、後日ホームページの「研究報告」欄で現代語訳と解説或いはコメントを掲載します。

秘法記録
寛元四年〔歳次丙午〕閏四月廿五日癸丑〔婁宿、日曜〕。今日より三七箇日を限り加行を始む。金・銀・香木等を加持する作法〔別に在り〕。同五月十二日〔己巳〕、賀茂社〔上宮〕に参籠す。社頭に於いて此の事を遂ぐべきに依ってなり。且つうは神眷を仰がんが為に兼ねて潰肉を去らんが為なり。須らく七ケ日参籠すべしと雖も、去る比の内相府の御祈の事、禅定大閤の別なる教命あるに依って固辞に処無し。憖(なまじい)に延ばして今日に及び畢んぬ。十四日辛未、太相国より御消息あり。御夢相の事なり〔云々〕。十六日癸酉〔斗宿、土曜〕、亥の刻、無為に大事を果遂し了んぬ。其の間の作法・支度等〔別に在り〕は細記に及ばず。高祖遺告の旨を守り、先師勝賢の跡を討ね、管見に任せ、口伝に就きて行を果たせる所なり。倩ら事の情を案ずるに斯の法は密蔵の肝心、門徒の最秘なり。而るに世の澆季に及び、法の襄末に至って、謬って愚昧の質を以って輙く此の大事を果たす事、冥に付き顕に付き、恐るべし、憚るべし。此の事は東大寺の治承回録の時、先師僧正深く之を悲歎し、静賢法印に示し合わせ、重源〔南無阿弥陀仏〕・蓮阿上人等を相勧めて造営の功を励まさしめんと擬す。而るに世襄(みだ)れ、民薄くして莫大の功を成し難ければ、此の宝体を造顕して廬遮那仏の御身に籠め奉るべき由、密かに之を相議し、遂に造立し畢んぬ。其の後、両国〔周防・備前〕を寄付せられ、万人の知識は奉加す。又思いの如くに成就すれば、時に法験なるかと称す。彼の造立時の作法は一向に南無阿弥陀仏の沙汰なり。彼の時の口伝日記を南無阿弥陀仏は蓮阿上人に授け、蓮阿上人は愚老に授く。今粗(あらあ)ら此の儀に付きて造立せしむべきなり。愚老は往年より今に至るまで此の法を修すること、長日の勤めと為て随分の薫修を積む。又造立の大願を発してより多年の淳懊を送る。今機熟して時至り、不慮に果遂し了んぬ。懇念の至誠を思う。若しは宿執の然らしむるか。之に依って世の為に若しは一分の益あるべき者なり。身の為には更に万端の訕(セン/そしり)を顧みざるなり。心中の願望は冥鑑定めて明らかなる者か。
十七日甲戌、晨朝より十二口の衆を結び不断宝篋印陀羅尼を誦す。一百ケ日を限るべきなり。
八月廿九日〔乙卯〕、陀羅尼、百ケ日を満たし結願せしめ了んぬ。日数は昨日満たすと雖も存ずる旨あって、今日を以って結願と為す。
九月四日〔己未〕、天晴る。大相国の御亭に参じて面(まのあたり)に之を授け奉る。事の次第を思うに因縁浅からざる者か。頂して退出し了んぬ。〔愚老実賢、之を記す。〕
 〔本に云く、私に云く、已上は御自筆なり。〕
去年五月十六日、八幡宮に七ケ日参籠して三時の護摩〔秘法〕を修す。祈請の事あり〔一向に宝体造顕の趣きなり〕。別当耀清の来謁し相語らいて云く、去る十二日に夢想の事あり〔云々〕。記〔別に在り〕は同じく重宝の事なり。〔記は別に在り〕。耀清に随喜の気あり。参籠の事は去る十二日より心中に発願する所なり
 〔愚老、之を記さしむ。生年ゝゝ〕
 〔写本に云く、〕
 文永五月〔年か〕八月十六日、山本禅室に於いて書写し了んぬ。
     権大僧都勝―〔円〕〔春秋四十〕
 弘安元年二月廿四日、亀谷尺迦堂に於いて書写し了んぬ。 定仙〔春秋四十七〕
 〔師の口伝に云く、此の抄は実賢僧正、之を記す。〕

(以上。国訳は総て整理番号328.132の本を底本として行いました。『称名寺の新発見資料』本は全文を見ていませんが、掲載写真を見る限りほとんど全同と言えそうです。)

(追記:平成21年9月20日)
ホームページ『柴田賢龍密教文庫』の「研究報告」欄に現代語訳と解説を掲載しました。一読して下さい。
なお本文の初めの所の上賀茂社に参籠することを記す部分で「兼ねて潰肉を去らんが為」と書きましたが、「肉」の字は写本では草冠に「肉」と見えます。しかし、いくら漢和字書を調べても此のような字は見出すことが出来ませんでした。『称名寺の新発見資料』に翻刻が載せられている事を友人から指摘されて見てみると、「腐」と翻字されていました。恐らく是が本の字であったのでしょう。
コメント
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