故郷の幕末史

ふるさとの讃岐に誇りを。
気づいたことや、発見したことを幕末史に限らず書いていこうとおもいます

住職を捨てて勤王活動をした美馬君田

2013年09月25日 12時06分09秒 | 幕末史

今朝は中々起きられず目が覚めたのが5時10分だった。だから、歩き始めたのが5時半、帰宅が6時半だったから、調度1時間の歩きだった。

 

今日は阿波より讃岐に来て活躍した『美馬君田』の紹介を。君田が生まれたのが文化9年(1812)3月15日。場所は美馬重清村谷口(現在の徳島県美馬市美馬町重清谷口)。父は鎌田治兵衛門。 名を援造といった。 誕生地の碑。

 

文政6年3月の時、願勝寺に入り僧となり、天保4年には第44世住職となる。が天保14年に寺を弟子に譲り隠居する。写真は君田社祀と昭和6年に建てられた君田翁之碑である。

 

隠居した君田は琴平で寺子屋を開き勤王討幕を図る。この頃から日柳燕石と常に行動を共にする。この写真は君田の塾に揚げられていたものである。

 

安政元年、姓を美馬とする。慶応元年閏5月に高杉晋作の讃岐潜入事件に連座して牢獄に4ヶ年入り、慶応4年1月に燕石と共に出獄する。その後は、燕石とは離れ琴平小学校の校長として子弟の教育に挺身する。 明治7年7月27日琴平でその一生を終える。琴平町内の君田の墓。

 

って事で今日はこの辺で。じゃ~またネ



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