霧島1周で使ったこの切符。
(2008年11月23日撮影)
昨日だけでも十分元はとっているし,行けそうな場所にはほとんど行ってしまった。唯一通過すらしていない喜入は近いのでわざわざ列車で行こうとも思えなかった。吉松まで切符利用で行けるので,そこから出ている観光列車に乗ってみることにした。1回分にしようと思ったが,やたら長くなりそうなので,何回かに分けて書くことにした。同時に前回の「霧島1周」をシリーズの「その1」となるように名前を付け加えた。
「甲冑魚」を出た後は,前日とは違い,国分で降りてみた。
改札口が透明のドアのみで,せまい通路がなく,開放的な印象を受けた。また,霧島市によって駅入り口と反対側の開発のためにエレベータつきの自由通路が作られていた。駅のリニュアルは,結構最近だったようだ。両隣駅は,外装のみの改装で,中身は古いままだったが,ここは古さを感じなかったので,完全に変わっていたのだろう。
(2007年11月13日撮影)
かつてはこの駅から大隅線が出ていて,その跡が,写真奥の右側の草が生えているところのようだ。時間がなかったので適当に撮った写真をこの記事を各段階になって,Webの情報を探しながら見直して気付いた。
大隅線については最近までほとんど知らなかったので,根占あたりまであったと思っていて,鹿屋から高山,串良を経て志布志に行っていたなんて考えてもいなかった。自分にとって,大隅半島は意外と近くて遠い場所なので,あんまりよく知らない。「おおすみ」変換したらまず「大隈」が出て来ることが多いので誤変換をよく見かける。パソコンに附属の乗り換え案内すら間違っていた。
駅を出た後は,東西自由通路を通って,隼人駅へ。
距離感覚が分からず,あと少しで駅につくのにまだまだ先にあるように思っていた。
結果的には,時間的に余裕を持って列車に乗り込めた。
吉松駅に着くと3分後ぐらいに次の列車が発車した。
その間に階段を上り下りして,反対ホームへ止まっている列車へ。
(2007年11月13日撮影)
自由席6席以外は全て指定席という座席構成。途中の3駅には5分程度の駅見学時間があり,駅以外の場所でも停車することがあるという観光気分ではなく,ただの移動手段として使う人にとってはかなり迷惑な仕組みだ。観光気分の人にとっては,何の苦痛でもなく,むしろ楽しみだが・・・乗客のほとんどが写真を撮っていたし・・・
沿線の風景と駅は往復それぞれで見ているが,紹介は往路でまとめてする。
最初の停車駅がこの駅。
(2007年11月13日撮影)
「幸」で「さき」はなかなか読みがたい。鹿児島県から熊本県人吉市に向かっているので,その両県かと思ったら,宮崎県。(高速もそうだけど)
そんな意外なことが多い場所。イラストはおそらく温泉と思われる。
駅の周りに温泉があるのかと思うが・・・
(2007年11月13日撮影)
駅前はこんな感じの場所。
前の道路は,県道や市道ではなく,国道447号線。
宮崎県のえびの市,鹿児島県伊佐市(大口:2008年11月合併)を経て,鹿児島県出水市へ至る道路だ。
しかし,地図を見てみると,ここから鹿児島県へ向かう部分は,車線も少なく,曲がりくねった山道のようだ。
この駅にいる間に見た車の数は0。
真幸の小学校・中学校は駅周辺ではなく,京町温泉のあたりにある。
この西内竪(にしうちたて)の駅周辺にも,人家があったようだが,人家がなくなってしまったきっかけの出来事の跡がこれだ。
(2007年11月13日撮影)
1972年7月6日午後1時45分頃に発生した山津波だ。この岩塊はその山津波で流れ出たものと書かれている。重さは8t。駅構内は土砂で埋め尽くされてしまったそうだ。
このような出来事に加え,吉松駅との間にある山神第二トンネルでは,約50人の人が轢死してしまった事故が起こっている。
このような暗い出来事が起こっている駅だが,名前の通り,幸せに関連したものがある。
(2008年9月10日撮影:この写真のみ別の日に撮影)
幸せの鐘がホームにある。
(2007年11月13日撮影)
幸せの度合いに応じて鐘をたたく回数が異なる。
自分もたたいたが,何回たたいてしまったか忘れてしまった。
(2007年11月13日撮影)
駅舎の中。観光を意識してか,時刻表・運賃表も古そうな印象を与える表記になっている。(この区間の他の2駅も)1日上下が5便ずつ。かなり少ないが,18切符のみで旅行をするにはほぼ確実に通らなければならない。(日豊線経由の場合,大分と宮崎の県境がもっときつい。1日上下が3本ずつのみ。)24時間表記に慣れているせいか,午前午後は違和感がある。
(2007年11月13日撮影)
ホームと駅舎との間。石庭にきれいに目が入れられている。地域の方々による販売が行われることもあるようだ。
(2007年11月13日撮影)
田の神のような置物の後には絵馬がかけられている。中央上の大きな絵馬には「この駅には真の幸せがあるという目出度いなめでたいな 真幸の駅長」と書かれている。
近くに人家はなくとも,地域の暖かさを感じる場所だ。
(2007年11月13日撮影)
駅を出てしばらくして,モニターに映し出された列車前方の風景。
線路がいくつにも分岐している。
スイッチバック用の線路だ。
仕組みは分かっているようないないような不思議な感覚だ。
(2007年11月13日撮影)
再び,駅の方へ戻ってきて,駅を下に見ながら上の方へ登って行く。
しばらくすると,駅でもないところに列車がとまった。
看板があり,次のような風景が見える。
(2007年11月13日撮影)
霧島連山をバックとして,加久藤カルデラ内のえびの市中心部を眺められる。
看板には日本一の風景と書かれている日本三大車窓の一つだ。
日本の三本の指に入るものがこんなに身近な場所にあったのが意外だ。
えびの市はこの日の昨日。次の駅を目指して,走り回った場所だ。
高いところから見るとこんなにきれいだったんだと感じた。えびのはえびの高原のイメージしかなく,えびの市街はこれまであまり知らなかった。
さらに進むと,また列車が止まった。
今回は運転手のサービスだったようだ。
(2007年11月13日撮影)
トンネルの入り口の上に文字が彫られている。列車の名前の由来になった人物のどちらかの言葉だったはずだ。
このトンネルを抜けしばらくすると,次の駅に着く。
(その3へ続く)
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