時戻素

昔の跡,やがてなくなる予定のもの,変化していくもの,自身の旅の跡など・・・

(242) 時間教

2009年12月05日 20時18分00秒 | Weblog
災害並みの死傷者数を出してしまった脱線事故が起こった場所。

(2009年11月25日撮影)

 事故車両とほぼ同じ型の快速電車がかなりスピードを落として通過していった。
 脱線した電車が入り込んだマンション1階の駐車場には・・・

(2009年11月25日撮影)

 今もその跡が残る。
 近くの踏切脇に・・・

(2009年11月25日撮影)

 写真では確認できないが,踏み切りの柵の隣に見える祠のようなところに供え物と思われるものが置かれていた。
 この事故が起きた当時は関西の地理はほとんど分からなかったので,福知山線や宝塚線という名称から都市部から離れた場所で起こっていたのかと思っていた。実際は,大阪駅まで20分かかるかかからないかの尼崎市で起こっている。しかも,事故を起こした快速電車は大阪市を経由して京都奈良大阪の境界付近の学研都市の方まで乗り入れる電車だった。このようなことを知ってから,この事故に対する見方がだいぶ変わった。
 この事故の原因は,他社との競合で生まれた過密ダイヤや会社の教育や罰則体制の問題などが挙げられていた。
 事故を起こした会社の別の路線に乗った際,車掌がマニュアル(?)を徹底しており,指差歓呼を客席にも聞こえるぐらいの大きな声でしていた。ある駅を出たときに「○○(駅名),○時○分○秒発・・・よし」といって時計とタイムテーブルを指差しで確認していた。この車掌の勤務態度の真面目さにも驚いたのだが,もっと驚いたのは読み上げた時間が秒単位だったことだ。別の日に先頭車両に乗った際,運転席の辺りに立っていると運転士が確認しているタイムテーブルが見えた。駅名の横に書かれた時間は5秒単位になっていた。これはこの会社に限ったことではなかった。ほぼ毎日のように使用している私鉄会社のタイムテーブルが見えた際も5秒単位で書かれていた。2,3分の遅延が結構起こっている会社でもタイムテーブルはこのぐらい小刻みなんだと驚いた。
 この小刻みな運行ダイヤこそが日本の鉄道が定刻どおりに運行しているという事態が起こっているのだなと思う。定刻どおりにつくことは予定を組み立てる上ではありがたい。しかし,そのことによって時間に対しての寛容さが奪われているように感じる。大事な時には数本前の電車を使うのは常識ではあるのだが,遅延証明書を示しても遅刻が認められないケースもある。時間に余裕をもって移動した場合にももしものことを考えたら早く着いたほうがいいと思ってしまう。急いでいない時でも移動はできるだけ早い方が他のことに時間を割けるのではと思う。こうして移動に早さを求めてしまう。やたら速いスピードに恐怖を感じながらも速いから仕方ないかと思ってしまうときもある。
 時間に対する厳しさ,早さを求めすぎてしまう感覚等がこの事故の原因の背景にあるのかもしれない。

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