その1(15)・その2(393)・その3(543)・その4(612) 関連記事 五石橋(16)・諏訪之滝公園(159) |
清滝川に続いての「遡上」の第2弾になる。しかし,自分自身が,旧郡山町中心付近までしかまだ到達していない。一応「その1」を書いてみたが,水源の甲突池までたどり着けるかどうかはまだ分からない。
現在の河口の天保山シーサイドブリッジ上から桜島の方向を見る。
(2008年11月8日撮影)
2003年,この付近で遊んでいた高校生が流され,死亡する事故があった。河口であるが,急に深くなっていたり,流れが複雑になっているため,危険な箇所となっている。
今度は河口と反対側をみる。遠くに中央駅のアミュランの姿が見える。
(2008年10月29日撮影)
向かって左側の岸には,松林が広がっている。砲台跡や調所広郷の像などがある。写真は同じ公園内にある友好都市の長沙市(中国)の「愛晩亭」の複製の共月亭。両市民が共に同じ明月を眺め,友好の気持ちを通い合わすことを願い,長沙市人民政府が命名したそうだ。
(2008年11月8日撮影)
上流へ向かうと,天保山大橋で国道225号と交差する。その脇には,汚水処理場があり,そこから少し上流方へ行くと,天保山橋がある。
(2008年11月8日撮影)
この橋の親柱と高欄は,昭和10年10月に架けられた旧天保山橋のものが使用されている。
天保山橋を越えたあたりから,河岸は公園となっている。
公園内には,以下のような像があったり,水神,地神などと書かれた碑があったりする。また,公園遊具に加え,幼児用のプールも作られている。
(共に2008年11月8日撮影)
この公園は桜の名所であり,春になると花見客でにぎわう。
(2008年4月19日撮影)
今年の春は,こんな客も花を見に来ていた。
(2008年4月19日撮影)
海月だ。水が引いてしまい,打ち上げられている。潮の満ち干きが原因だったかと思う。
この途中で,かつては石橋であったが,1993年8月6日の災害で流されてしまった武之橋(上写真),安全面から架け替えられた高麗橋(下写真)を越える。
(武之橋:2008年11月5日撮影)
(高麗橋:2008年11月7日撮影)
公園内の維新ふるさと館を通り過ぎると,こんな碑がある。他に碑と比べるとサイズが大きい。
(2008年11月8日撮影)
昭和57年に建てられた戦災復興記念碑だ。
太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)3月18日以来,8回にわたる空襲で市街地の93%を消失してしまったとある。長崎に落とされた原爆が,鹿児島に落とされる可能性があったということも聞く。戦時中の恐ろしさが伝わってくる。
高見橋を越え,市電の軌道と交差する。
橋の脇にはライオンズ公園があり,ライオンの像の噴水がある。
(2008年11月12日撮影)
この噴水の後で木市が開かれている。
そして,この噴水の脇に大久保利通の像がある。
この大久保像の足元には何かがいる。
(2008年11月12日撮影)
その正体を以前聞いたが,今は忘れてしまった。
(2008年11月13日追記:鳩か何か。鳥には間違いないだろう。)
ここから上流へ行くと,西田橋,新上橋,玉江橋の順にもと旧5石橋を越えていく。
今回取り上げた,天保山シーサイドブリッジや各橋の下にはダンボールハウスが見られることもある。
(その2へ続く。)
※雨の日に撮影したため,写りの悪い画像がいくつかあります。
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