時戻素

昔の跡,やがてなくなる予定のもの,変化していくもの,自身の旅の跡など・・・

(No.16) 五石橋

2008年11月10日 00時00分00秒 | 現在の中の過去
 昨日の記事「【遡上】甲突川編~その1~」の中で五石橋について取り上げた。
 今回はその五石橋を取り上げたい。

 この五大石橋は,先述の記事で名前だけ出した調所広郷が財政改革の成功による城下整備の一環として架けさせたものである。

(天保山の像:2008年5月31日撮影)

 彼が石橋への架け替えのために招いたのが,肥後の岩永三五郎だ。


(祇園之洲公園の像:2008年11月7日撮影)


 彼は薩摩に36の石橋を築いたそうだ。
 彼が付け替えた石橋は,1993年の8月6日の集中豪雨で流された武之橋と新上橋を除いては,石橋記念公園の中に移設されている。
 以下では,五大石橋の様子を河口から近い順に取り上げていく。


1 武之橋

(現在の武之橋:2008年11月5日撮影)

 市電の軌道も通っている武之橋。
 8・6災害で流失してしまったため,かつての姿は残っていない。

2 高麗橋

(現在の高麗橋:2008年11月7日撮影)

 五石橋の中では2番目に長く,1847年に造られている。その後,明治42年に改修された後は,基本的にそのときの形状を解体時(1994年12月)まで残していたと案内板に書かれている。
 1999年に祇園之洲公園への設置が終わった。

 
(公園内の高麗橋:2008年11月7日撮影)


3 西田橋

(現在の西田橋:2008年11月7日撮影)

 江戸時代は,島津家の参勤交代の経路であった。1953年には,県指定の有形文化財に登録されていた。
 解体が決まった時,最後まで解体に反対の人々が橋の上に座っていた光景を思い出す。
 公園内でも特に目に付きやすい場所にあり,門がついていることでも印象が強い。西田橋御門と呼ばれ,領内を通過する旅人は番所で改めを受けて通行していたと書かれている。



(公園内の西田橋:2008年11月7日撮影)


4 新上橋(しんかんばし)

(現在の新上橋:2008年10月29日撮影)

 五石橋の中で最初に手がけられた橋で川幅が狭く,流れが速い位置にあった。他の橋と違い,二重アーチに見せるための装飾がなされていなかったそうだ。この橋の名前が周囲の地域を指す地名としても使われることがある。8・6災害で流失してしまい,石橋時代の姿は残っていない。

5 玉江橋

(現在の玉江橋:2008年11月7日撮影)

 五石橋の中で一番最後に架けられた橋で,幅がせまいのは城下で通行量が少なかったためかと紹介されている。


(公園内の玉江橋:2008年11月7日撮影)

 架け替えられた3橋の中で唯一実際の川(水路?)の上に架けられている。


 現役の橋としての役割を終え,公園内に復元されてしまった五石橋。まだ現役の橋として使えた可能性があるので,惜しくも思うが,こうして保管されているのもいろんな心配事が減るのでかえってよかったのかもなと思う。
 150年近くも現役で活躍できる石橋を作った技術にあらためて感心させられた。


☆ 関連シリーズ
【遡上・甲突川】の記事一覧
その1(15)その2(393)その3(543)その4(612)
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五石橋(16)諏訪之滝公園(159)

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