(原作品1号)
那是力争上游的一种树,笔直的干,笔直的枝。它的干呢,通常是丈把高,像是加以人工似的,一丈以内,绝无旁枝;它所有的桠枝呢,一律向上,而且紧紧靠拢,也像是加以人工似的,成为一束,绝无横斜逸出;它的宽大的叶子也是片片向上,几乎没有斜生的,更不用说倒垂了;它的皮,光滑而有银色的晕圈,微微泛出淡青色。这是虽在北方的风雪的压迫下却保持着倔强挺立的一种树!哪怕只有碗来粗细罢,它却努力向上发展,高到丈许,两丈,参天耸立,不折不挠,对抗着西北风。
这就是白杨树,西北极普通的一种树,然而决不是平凡的树!
它没有婆娑的姿态,没有屈曲盘旋的虬枝,也许你要说它不美丽,──如果美是专指“婆娑”或“横斜逸出”之类而言,那么白杨树算不得树中的好女子;但是它却是伟岸,正直,朴质,严肃,也不缺乏温和,更不用提它的坚强不屈与挺拔,它是树中的伟丈夫!当你在积雪初融的高原上走过,看见平坦的大地上傲然挺立这么一株或一排白杨树,难道你就只觉得树只是树,难道你就不想到它的朴质,严肃,坚强不屈,至少也象征了北方的农民;难道你竟一点儿也不联想到,在敌后的广大土//地上,到处有坚强不屈,就像这白杨树一样傲然挺立的守卫他们家乡的哨兵!难道你又不更远一点想到这样枝枝叶叶靠紧团结,力求上进的白杨树,宛然象征了今天在华北平原纵横决荡用血写出新中国历史的那种精神和意志。
——节选自茅盾《白杨礼赞》
http://yw.jiashanedu.net/show.asp?id=141
難しくて何を書いているか分からない。なぜ分からないのかを明らかにしたい。どこが、どうして分からないのかを明らかにしていく過程で、僕の中国語読解力の弱点を明らかにし、また著者の持つ世界観が、現代世界の中で特異なものであることが、この文章を分かりにくくしているといったところをほじくり出していきたい。この文章が表現しようとしていることが、難しいから難しい表現になっているのではなく、著者の持つ考え方が、グローバルスタンダードじゃないからだという非常に傲慢なスタンスで、自分の能力不足を糊塗したい。
のっけから分からん。『那』で文章を始めるんじゃない。『我』とか『最近』とか『我爸爸』とか『中国』とかの分かりやすい単語で始めるべきだ。『那』といわれてすぐに分かるのは、著者だけだ。一般の読者はこの指示代詞は何を意味しているんだろうと考える。それが作者の狙いであればそれはそれで成功しているが。一行目に目を通してみる。『樹』について形容しているのが分かる。一体それがどうしたというんだ。(もうすでにケンカ腰です。)
コチトラ樹になんか興味ねーよ。延々と樹について喋ってるみたいだが、一体何なんだよ。題名を見てみる『白杨礼赞』ときやがった。『白柳を称える文章なのか?』とあたりをつける。『○○礼賛』で日本人なら思い出すのが、谷崎潤一郎の『陰影礼賛』だ。これもまー、日本語を勉強する外国人にとっては、『一体何なんなんだよ!』ってなもんだ。延々と陰影にまつわる含蓄と美意識が語られていて(そうだったっけ?)そこに投影される谷崎の感性が浮かび上がるはずだから、日文専攻の外人さんには面白くっても、ビジネスユースとかギャルを引っ掛けようってな輩には意味ねーよ。僕みたいにバックパックに行ったときに片言でネゴしたり、またある人がメインのビジネス交渉は英語でやって、サブで自己紹介、家族や趣味やおいしいものの話題について中国語でできたらいいなってな程度のレベルであれば、原作品6,7,8番が大体分かればいいんじゃないかな。もちろん将来中国文学とか文献調査とかビジネス交渉を中国語でやる人はこの文章もすぐに読解できなきゃ飯は食えないと思う。
話しが横道にそれたけど、元に戻って、
著者は最初は白柳のことについて述べているだろうけれど、次第にそれを中国人民の優しさ、強さ、健気さ、団結力などに結び付けて、暗喩から比喩へ、比喩から直言へ(馬脚を現すともいう)という論理展開ではないかしらん。しかし回りくどいヤツだな。女の子を口説くときもビッグバンの話しから始める手合いだろう。うーん、なんか訳せるかも知れん。でも今日はこれから食事会だから、続きは日を改めて。ではでは。
(追記)
この文章の訳出を中止する。学習禁止コードに抵触する。70%以上理解できるものしか学習してはいけないから。時間を浪費するばかりで、効率が悪い。
大げさなたとえでいえば、日本語を学習しだして、2年目のアメリカ人(会社員で日本語学習に割ける時間は1日1時間)が、幕末の佐久間象山が一橋慶喜に出した建白書『公武合体論と開国論』を読もうとするのに似ている。象山が巧みなたとえ話で、論理を展開し、一橋公の言質を得ようとする建白書を読み解くのはそのアメリカ人が、幕末史の研究者を目指しているのでない限り無意味に思える。政治的な背景のある、漢籍及び洋学の素養に裏打ちされた希代の論客のストーリー展開は、同じような知識を持ち、同じような歴史観を持つ人にしか分かり辛いかもしれない。
この『原作品1号』は内容は不明であるが、政治的な背景があり、成語で凝縮され、筆者が特異な文体(例えば日本人の場合でいえば、中島敦の『山月記』『李陵』など。)に憧れてそれを真似て書いたものであるならば、現代中国の『キムタク大好き』な女子大生でさえも朗読することは出来ても、解説することは出来ないと思う。『Samさん、そんなに難しくはないでしょう。』
いつかある日、70%理解できるようになっていれば、そのとき読めばいい。
春月先生のコメント:引用
01番の挑戦者がついに「明鏡止水」の境地に到達してしまったので、もう少しヒントを。・・まだテスト前なので(笑)。
《白杨礼赞》茅盾の前半は「白杨(ポプラ)」の描写です。冒頭が「那」で始まりますが、次の段落に「这就是白杨树」ときますので、そこまでが樹としての「白杨」の特徴です。それは「西北极普通的一种树」なんですね。でも「决不是平凡的树!」です。なぜ「普通(どこにでもある)」けれど「決して平凡な樹ではない」のかが、後半になります。
前半は「;」がたくさん使われています。これは長めのものを並列する記号(短い単語は「、」で並列する)。区切ってみます。
那是力争上游的一种树,笔直的干,笔直的枝。
①它的干呢,通常是丈把高,像是加以人工似的,一丈以内,绝无旁枝;
②它所有的桠枝呢,一律向上,而且紧紧靠拢,也像是加以人工似的,成为一束,绝无横斜逸出;
③它的宽大的叶子也是片片向上,几乎没有斜生的,更不用说倒垂了;
④它的皮,光滑而有银色的晕圈,微微泛出淡青色。
①幹 → ②枝 → ③葉、どれもまっすぐ上に伸び、④樹皮には目玉がある。写真でも見れば、納得するはず。こういう生え方をする樹です。
这是虽在北方的风雪的压迫下却保持着倔强挺立的一种树!哪怕只有碗来粗细罢,它却努力向上发展,高到丈许,两丈,参天耸立,不折不挠,对抗着西北风。
北方の風雪にも負けずに立っているし、たとえ細い樹であっても上に伸びようとする。高さは最初は1丈ほど、そして2丈、さらに天を突くように。折れることなく、西北の風に抗いながら立っている。それが「白杨」です。
後半も、最初はその姿について述べています。
它没有婆娑的姿态,没有屈曲盘旋的虬枝,也许你要说它不美丽,──如果美是专指“婆娑”或“横斜逸出”之类而言,那么白杨树算不得树中的好女子;
但是它却是伟岸,正直,朴质,严肃,也不缺乏温和,更不用提它的坚强不屈与挺拔,它是树中的伟丈夫!
美しくはない。もし美しさが(梅の枝のように)曲線的な踊るような枝ぶりであると言うなら、「白杨」はそういう女性的な美しさの樹ではない。でも質素で厳粛で、温かみもある、不屈であることは言うまでもない「伟丈夫」なんですね。
積雪が解けようとする高原を通って、この平坦な大地に傲然とそそり立つ一本のあるいは一列の「白杨」を見たとき、誰だって次のように思うに違いない。ここで「难道」が連用されます。
当你在积雪初融的高原上走过,看见平坦的大地上傲然挺立这么一株或一排白杨树,
①难道你就只觉得树只是树,
②难道你就不想到它的朴质,严肃,坚强不屈,至少也象征了北方的农民;
③难道你竟一点儿也不联想到,在敌后的广大土地上,到处有坚强不屈,就像这白杨树一样傲然挺立的守卫他们家乡的哨兵!
④难道你又不更远一点想到这样枝枝叶叶靠紧团结,力求上进的白杨树,宛然象征了今天在华北平原纵横决荡用血写出新中国历史的那种精神和意志。
①ただの樹ではない → ②北方の農民のようだ → ③故郷を護衛する哨兵のようだ → ④華北平原のあちこちで血で新中国の歴史を作り上げる精神と意志のようだ。
解放軍の兵士で前線に立つような人は、農民の出身者が多いのです。空軍のパイロットなどはまた違うでしょうけど、哨兵として大地に直立する若い兵士は、農民の子が多いのです。日本のように山や海がそばにあって、森林の豊かな地域に住んでいると、広々とした大地、あまり雨も降らずに冬は北西の乾いた冷たい風に吹きさらしになる、そういう大地にひたすら上をめざして立つ(ほかに目立つほど木はない)「白杨」の姿は、想像しづらいかも知れません。
http://www.hayaoki-seikatsu.com/users/jiangnan/daily/20120709