ぱん・ぱん・ぱーん

大好きなパンと作ったものの記録です

地震から35日

2011-04-15 | 東日本大震災・地震

 

あの地震から、もう35日が経ちました。

生鮮食品は安定的に買えるようになり(制限付きのものはまだ有)、
商品棚も7割くらいは埋まってきたようです。
(ドラッグストアやコンビニでは、まだまだガラ~ンとして、営業時間も短縮)

たくさん並んでいる商品棚を見るだけで、とても嬉しく感じました。
自由に物が買える事って贅沢な事だったのですね・・・。

 

再び、地震後に行った友達のところへ、お母様のお悔みを言いに行きました。
湿った砂だらけだった道路は綺麗になっていて、整備が進んだのかと思いながら進んで行くとー、
被害が大きかった通りは流された車もそのまま、信号機も止まったまま。
砂埃がまう殺伐とした光景でした。
いつになったら普通に戻るのでしょう?

 

母の実家も津波が襲った為、もう何もないと聞いていましたが、
どうしてもこの目で確かめたくて行ってみました。

現場に近づくにつれ、車の中からも、ひっくり返った車はもちろん、船までもが
陸地に流されていたりと津波の被害が多々・・・

町のかなり手前から通行禁止で警察(警視庁のマークが!)が誘導していた為、歩いて行く事に。

この辺は家の「かたち」が残っているので、まだ良い方なのです・・・

 

さらに歩いていくとー、母の実家近くは全く何もなくてー、
言葉も出ませんでした。

 

電柱が根元から折れ曲がるほどの、津波の強烈な威力ー、

電柱についている番地・道路標識なども全く「何もない」ので、どの辺りなのか全く見当もつかず、
ぐるぐると何度も何度も往復。

 

・・・そして、やっと見つけました。

母の実家を。

 

ここが玄関でした。

洗面所の床の模様とその間どり、庭の奥深くに埋めた花壇用のブロックでやっと確信。

ここで暮らす伯母と従姉とその家族は、仙台に来ていて無事。
もう一人の伯母夫婦はダメでしたが・・・
(伯母夫婦は先週末、土葬ではなくて2つ離れた遠い町で火葬する事ができました)

 

ポツンと一軒だけ残った家。

この写真から、二階付近まで津波が来た事が分かります。


 最初に津波の被害を間近に見たのは、友達のところへ行く車の中からで、
幾重にも積み重なった車や、見た事も無い光景に涙を流したけれど、
ここでは涙も出ませんでした・・・。

 

テレビで見るよりも、残酷でー、事実はあまりにも空虚。

 

普通の日常を過ごしていた人達を、一瞬の轟音と共に町を飲み込んだ残酷な自然。
皆の叫び。 

この日は暖かい日でも、身体の芯まで冷え切ってしまいました・・・。

 

35日。
普通なら十分に長い月日だけれど、
自分の中では消化できていない部分があり過ぎます。

この日行ったところは、重機も2台くらいしか入っておらず、
一ヵ月以上経ったこの日も、行方不明者の捜索をしていました。
この町は浸水していなかったけれど、他の地域では地震で地盤が下がり、未だに水没しているところも・・・。
「復興する」のにはー、どのくらいの時間がかかるのか全く想像もできません。

こんな現状に、頑張ってとは軽い感じがして言えなかった私。
一日一日を耐えてー、
その耐えた月日を励みにして「ちから」に変えていって欲しいと思います。

 

 


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4 コメント

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Unknown (brin)
2011-04-16 09:35:31
AYAさん、言葉が出ません。
これからの長い戦いでもありますね。
頑張っている方々にがんばってとは言えません。でも前に進むしかない。日本人みんなが
協力して1歩ずつ前にしかないですね。
TVの画像より、AYAさんの写真、言葉・・・胸が痛いです。東北の方の気持ちを想うと辛くて
西日本にいても、みんな辛いのです。こちらのお店等もきびしいと言います。飲食店等も人が少なかったり・・・でも経済回さなきゃ。
みんなで復興にに向けて
Unknown (miki)
2011-04-18 23:09:20
地震当日は大阪のビルの14階にある事務所にいましたが、ゆらゆらと船酔いするような揺れが数分続き、尋常なことではないとスグに分かりました。すぐにケータイのワンセグで情報を見て、呆然となりました。
未だにニュースや新聞を読んでは涙が溢れる毎日です。
幼い子供がまだお母さんに抱きしめられたい年頃なのに気丈に働いていたり、「もう、わしはいいから行きなさい」と流れていったご主人の話だとか、
個人の数だけ悲しい出来事が襲った日。
今私のいる場所と何という違い…
こちらの思いを政府はちゃんと整理して、必要な人に、確実に届けてくれる事を期待します。
>brinさん (AYA)
2011-04-19 09:53:31
いつも励ましの言葉をありがとうございます。
伯母もそうですが、何もかも津波で流されてしまった家族にとっては、
問題が多々あり過ぎます。
M7~8クラスの余震の確率もあるようで、
その時はまた津波がくるそう…。
堤防が破壊されている地区もあり、
無防備な状態で津波がきたら…と思うと不安です。
でも、その分西日本の方には元気に過ごしてもらいたいです!
日本全国から、いろいろな面で支援を受けているので一歩ずつ前進していきたいと思ってます。
>mikiさん (AYA)
2011-04-19 10:12:51
こちらの様子を思って下さってありがとうございます。
地震後すぐに停電になり、ラジオや携帯で状況を聞いていたものの、
5日目にテレビを見た時には、言葉もありませんでした。
同じ仙台市内でこんなにも犠牲者が出ていたなんて…
友達のだれもが、親や親戚、友人などを亡くしている状態です。
震災直後から、政府レの支援については「?」な部分が多々感じていて、
都道府県・民間のレベルでの方がよっぽと機能していると感じていました。
関西からの支援は、震災の経験上からの事細かな部分をフォローして下さっていて、とても感謝しています!

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