新津本町毒舌家

新潟市秋葉区問題

上皇の名前復活 (後鳥羽上皇の孫 順徳天皇の若宮様の小口若宮神社の言われ)

2017-04-10 10:05:53 | 日記
小口の若宮神社のいわれ

祭神の廣臨親王は、佐渡に流された順徳天皇の皇子で、帝のあとを追って越後に来たが、佐渡に渡ることができず、居所を移しながら潜伏していた。能代の領主・能代左衛門尉に身を寄せていた時、事が鎌倉に漏れ、左衛門尉はやむを得ず親王を弑すこととなった。親王は逃走したが,小口村(JR新関駅の西)で自害。時は貞応二年(1223)、親王十六歳であった。最期の地に祠廟を建ててしばらく祭っていたが、寛喜元年(1229)に能代に社地を賜り、神廟を建て、若宮三社大権現と号した。
まもなく小口村の墳墓の所在は不明となったが、元文年間(1736−1740)、偶然に発見された。(『越後野志』巻九「若宮神社」の項)

順徳天皇は後鳥羽上皇(平成上皇?で上皇の名が復活)退位後鎌倉幕府に島流し 皇族が途絶えるところ他の皇族と生き残りの皇族から天皇家が引き継が壱岐島に流され脱出した後醍醐天皇による南北朝時代になり南朝の初代天皇から現在の平成の今上天皇に引き継がれたことを思うと・・・