坂本龍、日本の整体

Perfume、社会科学(政治経済)、自然科学などなど、思うところを

【社】日本政治を整体す 第四章

2009-06-15 07:28:36 | 日記
            第四章 4.1
【哲人政治家によって構成される二つの国民政党の結成】
【民主政のもとでの、二大政党制の実現】

 まず、哲人政治家から説明する。
哲人政治とは、プラトン「国家論」に登場する独裁政の名である。民主
政が衆愚政治へと堕した時、哲学を深く学んだ者による独裁が必要だと
いうものである。しかし私がここで言う哲人政治家は、もちろん独裁者
を意味しない。民主政をより善きもとのするための必要不可欠な政治家
像を意味している。

 政治家、為政者に必要なものは何か。それは知ばかりではなく徳もで
あり、徳ばかりではなく知もである。知、すなわち賢⇔愚、賢人⇔愚人
においては、1000人に1人以上の賢人がふさわしい。ちなみに東大、
京大に入学する者は、18歳人口の140万人中、6000人くらい、
約230人に1人である。つまりは哲人は知能において、ギリギリ東大
レヴェルではなく、ラクラク東大レヴェルでなければならない。もちろ
ん東大京大でなければ哲人にあらずという事ではないが。

 そして徳、すなわち、善⇔悪、善人⇔悪人においては、100人に1
人以上の善人がふさわしい。もちろん賢人といってもただの頭でっかち
では駄目だ。善人といってもただのお人よしでは駄目だ。腹黒さはいら
ないまでも腹太さ、胆力もまた必要なのだ。

 つまり哲人とは、千人に一人の賢人、かつ、百人に一人の善人、とい
う意味である。

 英語でいう、Best&Brightestとは、

 good     better     best
 善い     より善い    最も善い

 bright     brighter    brightest
 賢明な   より賢明な   最も賢明な

であり、最善にして最賢なる者という意味である。この善と賢、両方の
条件を満たす哲人は、

1/1000 × 1/100 = 1/100000

であるから十万人に一人くらいいる。つまり、

1億人 × 1/1000 × 1/100 = 1000人

で、この日本は約千人いる事になる。この哲人に近い者を準哲人とし、
哲人、準哲人を、政治そして政治報道の場に結集させるのだ。

 500兆円にもなるGDP世界第2位の巨大な経済を適切に運営する。
また80兆円もの一般会計予算、200兆円もの特別会計予算を毎年毎
年飲み込む政府、東大法学部の上位卒業者が並ぶ官僚たちからなる強大
なる政府を管理運営する。それには相当の知が必要なのは当然だ。

 また国際政治、国際経済では、日夜国益をかけての外交戦争のバトル・
ロイヤルが繰り広げられている。我々国民を代表してそのリングに立つ
者は相応の知が必要。知は十分条件などではなく必要最低条件なのだ。
にもかかわらず国政を長期に渡りバカボン、アホボンにまかせていた事
が、日本丸泥舟化のそもそもの原因なのだ。

 55年体制時、組閣時の新大臣記者会見において、
「私がこのたび厚生大臣になった○○××です。私は厚生行政に関して
シロウトですので、これから一所懸命勉強に励みたく思います。」
などというタワゴトを聴かされるのは年中行事の事だった。シロウトが
行政のトップに付く。それでまともに政府、そして国家の運営が出来る
はずがない。55年体制の時代、自民党では当選回数を重ねれば年功序
列で必ず大臣になれた。能力とはまったく関係なしにだ。シロウトが大
臣にしていたのだ。
 シロウトに野球の日本代表監督は務まるわけがない。シロウトに日産
の再建は不可能だった。しかし自民党政治はシロウトを大臣に任命し続
けた。また、半年ほどで次々に大臣はすげ変えられた。大臣の座を半年
ですげ変えるのも、大臣、前大臣、元大臣という集金集票に極めて有利
な肩書きをなるべく多くの自民党政治家に与えるためだ。それでまとも
な行政が出来るわけはない。メディアも無批判に、中身の軽い政治家を
元○○大臣という重みのある肩書きで呼び続けた。

 野球日本代表の国際競争力はトップレヴェルだ。イチローの国際競争
力はトップレヴェルだ。日産GTRの国際競争力はトップレヴェルだ。
トヨタの国際競争力はトップレヴェルだ。では日本の政治に国際競争力
はあるのか。では日本の政党に国際競争力はあるのか。では日本の政治
家に国際競争力はあるのか。

 野球よりも遥かに国民の現在と将来のLIFEを、その幸不幸を左右
する政治において、まともなリクルーティングはなされぬままだった。
今日もプロ野球のスカウトマンは優秀な人材を求め日本中を捜し回って
いるというのに。もしオリンピック代表は元オリンピック選手の子息か
ら選ぶという世襲制をしいたなら、日本代表団の国際競争力は上がるの
か下がるのか。日本の金メダル獲得数は増えるのか減るのか。日本代表
団の国際競争力は見るも無残に劣化し、メダル獲得数はほぼゼロとなる
だろう。この例を考えれば、今の自民党世襲政治のクオリティがいかに
低いかが分かるというものだ。

 だから哲人政治家なのだ。

 しかし今日も自民党は、醜悪にもジュニアを公認し続ける。あの、風
読みの天才、小泉純一郎をしてもだ。政治、マス、マスメディア、その
総力を結集して日本の中に確かにいる千人の哲人を探し出し、政治の場
にり出さなければならない。残された時間は、もう無いのだ。

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            第四章 4.2

 哲人政治家とは何かを述べた。次に国民政党とは何かを述べる。

 国民政党とは何かを考える時、国民国家(ネイション・ステイト)と
は何かを考える事が入り口になる。また他の政党の類型、例えば階級政
党、地域政党、都市政党、農村政党、宗教政党について考えると分かり
易い。

 国民国家については、歴史学の新たなる古典と称せられるB・アンダー
ソン「想像の共同体」を土台に話を進めたい。国民国家とは、国民の間
に「我々意識」が共有されている国家という事である。我々意識によっ
て国民が統合されている国家という事である。我々の国家、我々国民、
我々の国土、我々の国史という国家意識を国民が共有している国家であ
る。日本国民は、日本語を我々の国の言語として学ぶ。日本語としてで
はなく、国語として学ぶのだ。我々は、日本の歴史を我々の国の歴史と
して学ぶ。日本の地理を、我々の国の地理として学ぶ。

 国民国家とは、「国民が我々意識によって統合されている国家」であ
る。しかしここではさらに一歩進めて論じたい。国民国家とは、「国民
が“我々国民は根本的利害を共有している”と想っている国家」なので
ある。“我々国民は根本的利害を共有している”、これは幻想なのかも
しれない。しかし幻想でもよいのだ。肝心なのは、幻想かもしれないこ
の想いを共有しているという事だ。国民国家とは「想像の共同体」であ
るばかりではなく、「幻想の共有体」なのである。

 資本家        と  労働者
 都市         と  農村
 男性         と  女性
 大人         と  子供
 団塊以上の世代  と  団塊以下の世代
 年金受給者     と  年金保険料納付者
 健常者        と  障害者
 強者          と  弱者
 勝ち組        と  負け組み
 
この両者には利害の根本的対立などない。「その根本において、我々は
利害を共有している。」という幻想、そしてその幻想の共有。「我々は
運命を共有している。」という幻想、そしてその幻想の共有。

 「幻想の共有体」。この幻想を強く共有しているからこそ、行った事
もない北海道の離島の人たちの被災を見て、己の体の痛みのごとく感じ
る事が出来る。NHKスペシャル「ワーキング・プア特集」を見て、己
の体の痛みのごとく感じる事が出来る。見ず知らずのオリンピック日本
代表選手の金メダル獲得の喜びを、自己の喜びとする事が出来る。つま
り、共感、同情、シンパシーの橋をかける事が出来る。また我々は行っ
た事も見た事もない、実効支配すらしていない北方領土や竹島を我々固
有の領土と思いこむ事ができる。これは、明治維新以降の上からのナシ
ョナリズム政策の結実である。

 国民国家であるという事が国家のマネジメントにとっていかに重要な
事かはイラクやアフガンの混迷をみればわかる。「パックス・ロマーナ」
という言葉がある。「ローマによる平和」と訳されるのが常だったが、
これは「ローマによる平定」と訳すべきだろう。

「パックス・ロマーナ」・・・・・・・「ローマによる平定」
「パックス・モンゴリカ」・・・・・・「元による平定」
「パックス・ブリタニカ」 ・・・・・・「大英帝国による平定」
「パックス・アメリカーナ」・・・・・「アメリカによる平定」
「パックス・徳川」 ・・・・・・・・・・「徳川による平定」
「パックス・フセイン」・・・・・・・・「フセインによる平定」

 フセイン独裁時代、イラクはフセインによって平定されていた。その
フセインを葬り去れば、当然平定は破られる。もちろん「パックス・リ
ベラル・デモクラシー」つまりはリベラル・デモクラシーによる平定を
目指しての事だった。しかし「国民国家」としての「幻想の共有」無し
に、しかも民間武装解除もなしにリベラル・デモクラシーを解き放てば、
それは利害対立者どうしの内戦となるのはもはや必然である。

 イラクは部族社会であるがゆえにリベラル・デモクラシーの導入が難
しいという主張がある。部族社会とは、各部族が、己の部族と他の部族
とは根本的利害を異にしていると想っている社会である。そうした部族
社会のままに、上からのナショナリズム政策による幻想の共有、その幻
想による国家の名の下の統合もなく、また民間武装解除もなくリベラル
を解き放った結果、それは、内戦する自由となってしまった。ナショナ
リズム政策による国民の統合、そして民間武装解除、武装と統帥権限の
政府軍への一元化。これらがなされた後にリベラル・デモクラシーは導
入されなければならなかったのだ。将来、北朝鮮にリベラル・デモクラ
シーを導入する際の、決して忘れてはいけない重要な教訓である。

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            第四章 4.3

 ではこの国民国家への認識を土台に、国民政党、階級政党、地域政党、
宗教政党など政党の類型について述べたい。

 「国民政党」とは、「国民は根本的利害を共有している」という前提
のもと、その共有する利害を代理する政党の事だ。その立脚の土台は
「国民は根本的利害を共有している」という「幻想の共有」ゆえに、そ
の幻想を普及、強化するナショナリズム政策を好む。

 比較として階級政党を考える。階級政党とは「階級間においては根本
的利害が対立している」という前提のもと、ある特定の階級の利害を代
理する政党の事だ。ゆえにその立脚の土台は階級闘争であるから、階級
対立を糊塗する、あるいは止揚するナショナリズム政策を嫌い、階級対
立をことさらに煽ろうとする。

 また地域政党とは、「ある地域とその他の地域とは根本的利害を異に
している」という前提のもと、その地域の利害を代理する政党の事だ。
日本に一次期、北海道を足場とする地域政党が出来る気配が合ったがそ
れは中止された。賢明な判断だったと思う。韓国政治の問題の一つは、
主要政党であるハンナラ党、民主党が、あまりにも地域政党的である点
だ。

 さらに地域政党の一種ともいえる都市政党と農村政党を考えたい。都
市政党、農村政党とは、都市と農村とは根本的利害を異にしているとい
う前提のもとに、都市の利害を代理する政党、農村の利害を代理する政
党という事だ。一時期、自民党を農村政党、民主党を都市政党とみる意
見があったが、他ならぬ自民党、民主党自身がそれを強く否定し、我々
は国民政党であると強く主張していた。賢明である。日本を代表する主
要政党が都市政党、農村政党となる事は、国家国民のいらぬ断絶を招き、
国民どうしの心の結び付きを解体してしまうからだ。

 また宗教政党とは、特定の宗教、宗教団体とその他とは、根本的利害
を異にしているという前提のもと、特定の宗教、宗教団体の利害を代理
する政党の事だ。多くの人は宗教政党というと公明党を連想する。しか
しその実態はどうあれ、公明党自身は自分達を国民政党と位置づけてい
る。公明党の、自らを国民政党と位置づける姿勢は、賢明な判断といえ
よう。

 様々な政党の類型を論ずる中で、国民国家とは何かが明らかになった。
「国民が、“我々国民は根本的利害を共有している”と想っている国家」
である。“我々国民は根本的利害を共有している”、これは幻像かも知
れない。しかしその「幻想の共有体」こそが、国民国家なのだ。

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            第四章 4.4

 哲人政治家とは何か。国民国家とは何か。国民政党とは何かを順を追
い説明した。次に「なぜ民主政か?」について、ここで一度立ち止まっ
て考えたい。思考停止的に民主政を肯定する者は、一夜にして思考停止
的に民主政を否定する者へと転向する危険を持つからだ。民主政に対す
る私の考えは、チャーチルと同様、次ぎの言葉で表わす事が出来る。

「民主政はろくな統治制度ではない。しかし他はもっとろくでもない。」

 民主政に関して考える場合、独裁政、寡頭政、貴族政、官僚政など、
他の統治制度と比較すると分かり易い。デモクラシーとは、デモス=人
民大衆が、クラシー=権力をもつ統治制度の事である。人民が人民を人
民のために統治する統治制度の事だ。

統治者     = 人民
被・統治者  = 人民
統治目的   = 人民の幸福・福祉

である。独裁政、寡頭政、貴族政、官僚政、それぞれを一覧にまとめる。

         独裁政       寡頭政       貴族政 

統治者     独裁者      少数の者      貴族階級
被統治者    人民        人民         人民
統治目的  独裁者の福祉  少数者の福祉   貴族階級の福祉

         官僚政       民主政
統治者      官僚         人民         [A]
被統治者    人民         人民         人民
統治目的   官僚の福祉    人民の福祉    [A]の福祉

 つまり統治者を[A]とすると統治目的は[A]の福祉となってしまう。
統治者を[人民]として初めて、統治目的が[人民]の福祉となりうる。福
祉は英語ではwelfareであり、well-fare「よき-暮らし」という意味だ。

 民主政の優位点は以下の様に説明する事も出来る。民主政国家の為政
者は定期的に行われる選挙によって首斬りすることが出来る。独裁国家
の為政者は、その者が死ぬまで待たねばならない。共産党独裁国家は、
レーニンが死んでもスターリンが死んでも毛沢東が死んでも金正日が死
んでもポルポトが死んでも、共産党を解体しなければその独裁と専制は
永遠に続く。

 また比較として、戦国時代を想像してみよう。政権を求め刀や槍、銃
を使い多量の血が流れ大量の人命が失われた。それを票の獲得戦争に置
き換えたもの、それが代表民主政であり選挙なのだ。政権交代可能なま
ともな野党の存在があれば、選挙は与党の頭上にぶら下がるダモクレス
の剣となり、金権腐敗、モラル・ハザードを予防する効果も持つ。55
年体制、自社対立の時代の度重なる自民党の金権腐敗は、野党が低能だ
った事が原因の一つだったのだ。

 しかし代表民主政もまた万能ではない。代表民主政において、主権者
たる国民の政治意志を国政に反映させるパイプ、それが選挙だ。選挙を
通じて自分達の政治意志が政治に反映されないという不満がガス充填さ
れると、民主政治、議会政治、政党政治に対する信頼は失墜してしまう。
そして共産党待望論やナチ党待論、クーデター待望論、革命待望論とい
ったマスヒステリーの渦が巻き起こり、一気にガス大爆発が起こる危険
性が増加する。代表民主政が高次に機能し続ける事、それだけが、国民
の中に不穏なガスが充填されるのを防ぐのだ。


日本政治を整体す 第四章つづき
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