おやつの時間

「ブル」とその家族たちの日常。
タイトルは、一人息子「ピースケ」が一日の中で一番好きな時間。

母とのこと つづき

2014-07-30 18:06:54 | 日々のいろいろ
母の帰った夜、いろいろ考えて眠れませんでした。

お金の面で迷惑をかけないというのは、今だけの話であって、働けなくなればそうはいかない。
うちには父もいる。
子供の養育と父の扶養。
うちにだってまったく余裕はないのよ。

母の言う「長女の責任」というのがあるとしても、それは父を扶養してることで果たしていることにはならないのか?
離婚した元夫を養っていても、それは母にしたら、関係ないんだろう。
自分も養えと、そういうことでしょう。

「長女」という言葉に反論したわたしに対して、激怒した母。
娘を思いやるなんて気持ち、一滴もないのだろう。

両親が離婚した頃のことを思い出した。
忘れていた訳ではなく、あえて思い起こしてみた。

両親の仲は元から悪かった。
でも、離婚は寝耳に水でした。
父にとっても、わたしたち姉妹にとっても。
なぜに今??
という中途半端な時期でした。
妹はまだ高校生で、卒業後は専門学校へ行きたがっていました。
でも、母の回答は「なに言ってるの、働きない」の一言だけでした。
その直後に、貯金を持って出て行きました。
妹の進学費用も当然残されていませんでした。

わたしは高校を出たら働くものだと決められていたので、当時はすでに働いていました。
でも、19歳という年齢で突然 水疱瘡にかかり(>人<;)
高熱と発疹でひどい状態となり仕事を2週間ほど休み、やっと出勤できたと思った矢先に、青信号を徒歩で横断中に酒気おびで信号無視した車に跳ねられ(ーー;)
再び数週間、怪我の治療で仕事を休むという、絶賛厄年体験中~!!の真っ只中で、両親の離婚はまさにとどめの一発となりました。

怪我してるんですけどどうやって通院するの?
加害者との折衝は??
いきなり家族解消???

いやはや、もうこれをパニックと呼ばずになんと呼ぶのかってくらい取り乱しました。
わたしの怪我や病気なんぞ、もろともせずにさっさと出て行ったのでした。

母はわたしも妹も引き取るつもりは鼻っからありませんでした。
さっさとアパートの決め、一人暮らしを始めました。

でも口先だけは、一人になった不幸な母親…でした。なぜか。
父からの過去の非道を全ての理由にして、子供の為にここまで耐えた優しい母!になりきりたかったようです。

あまりにも経済的な不安や健康の不安を口にするものだから、その時のわたしは完全に母の術中にはまり、わたしも働いているから一緒に暮らそうと打診しても、答えはノ~!

同情させるだけさせて、自分から離れないようにしておきながらも、決して近づけないようにする。
わたしも妹も苦しみの中にいました。

まんまと、母を守りたいという親を思う子供の気持ちを利用されていたともその頃は気づかなかったので。。

蓋を開けてみたら男がいたんですけどね。

男がいることが判明して、ようやく全てに納得がいったんです。

そりゃ、子供は邪魔だよな~。

相手は妻子持ちってか、母の友人のだんなさん。

そういや、あたしったら、その人と母との不倫疑惑が母の知り合いの中で浮上し、母が責められたことがあったのですが、その時潔白だといって泣き崩れた母の代わりに、なぜか謝罪に行かされてたんでした。

母は心臓が苦しいから行かれないとか言って(ーー;)

あたしったら、それまで母と仲良くしてくれていた人たちの前で、母は潔白ですが疑われるようなことをしてすみませんなんて言って土下座したんだった~。

そのわずか数ヶ月後には、母が一人で暮らすアパートにその男が毎日のように来ているのを、父に連れられて見に行かされたのでした。

父だって悔しかったんでしょう。

わたしは、母に裏切られた感がハンパなかったです。

別にハッピーな家族生活ではなかったけれど、それでもそれが崩壊した瞬間を味わったら自分の居場所がどこにもなくなったような気がしました。
それからの父と妹との3人暮らしは、それなりに暮らしてはいたけれど、それぞれがなにをやっているのかも関心がない、ただの同居人同士のような状態でした。

妹はさみしさから、母に電話で気持ちをぶつけたことがありましたが、泣いてさみしさを訴える娘に対して、母が返したのは、怒鳴り声。
「あんたに何が分かるのよ!!」と。

妹はもう何も言い返せずに電話を切りました。

母は同情を買うことばかり言い、自分が責められるなんてありえないことだったようです。

蛇の生殺しのように、母の都合の良い時だけ呼び寄せられ、手料理を振舞われ、自分がいかにも子供思いの優しい母親かという演出を繰り返し、娘の気持ちが離れて行かないようにする癖に、わたしや妹がふいに助けを求めた時は知らん顔。

そんな母でした。

男のことだって、何度となく問い詰めましたが、「友達よ。お母さんに友達がいちゃいけないの!!」と。
完全にしらを切り通されました。

不倫疑惑まで浮上して、娘に土下座までさせた相手が、深夜に訪ねてくる大切なお友達?

親としてだけでなく、人として終わってる~。
それが自分の親なんだと思うと、もう悲しさしかありませんでした。












母とのこと 途中まで~

2014-07-29 10:31:27 | 日々のいろいろ
複雑で重~い内容なので久々にパソコンから(^^;)
とてもスマホじゃ投稿できましぇん!
初めから言います。
長いです。

書き始めたら止まらなくなったので、とりあえず途中までにしました。






6月の終わりごろ、母と別居して以来初めて、母が我が家へ泊まりにやってきました。
「相談したいことがあるから」と言われていたので、とうとう来たか!と思いました。

案の定、相談というのは、一人暮らししている修善寺から帰ってきたいと・・・。
頼っていた友人も神奈川の息子さんのところへ戻ってしまい、地域的に求人も少ないからというのが理由。
一か所に長く勤められない性分の母は、修善寺に行っている間にも2回ほど転職し、そしてとうとう今は無職になったのです。
車が必須アイテムの田舎なので、家賃と車を維持するだけの年金がないということでした。

ただ、再同居については、昨年の夏、やんわり断っていたので、それは諦めていると言っていました。
本当かどうかわからないけど。

しかし、職もなく、年金収入だけなので、アパートを借りるにも借りれない・・。
そこで、「長女」である私に保証人になってくれというのです。
保証人というよりは、「長女が借りて母を住まわせます」という形にしたい、そうするように不動産屋さんに言われたと言うのです。
家賃は年金で賄い、アルバイトをして食べていく、だからお金のことで迷惑はかけないから!!と。

修善寺に一人でいることの不便さ、さみしさ、年をとったことでの心細さetc.
・・・ここぞとばかりにマシンガントークで語っていました。

一方的な話の展開で、夫にも泣き落しみたいな感じでした。
ただただ、話を聞いてうなずくだけの夫。

母としては夫の承諾さえ取れれば、というより、わたしより夫の方が落としやすいので、夫に向ってごり押ししていました。

その話の中で、何度も何度も「長女であるあなたに」を連発されました。

つまり長女だから親の面倒をみろと。
長女なんだら責任あるだろ、みたいな。

お涙ちょうだい的な話の中で、すらすらと「長女」を連発されて、かなり不愉快に感じ、思わず一言だけ反論・・
「長女だからって親の面倒みなきゃならないの?」と、恐る恐る言ってみた!!

そしたらそこから凄かった・・・
それまでは、哀れな孤独な老女を演じていた母が、鬼のような形相になり
「はっ?別にあなただけに言うんじゃないわよ!妹にだっていうつもりよ!ただ長女だから順番が先でしょ!!」みたいなよくわからないことを強い口調で言われ、そして極めつけは・・
「あたしは男ばかりの兄弟の末っ子で女一人だったから、長女とか次女とか言われたってわかんないわよっ!!(怒)」と吐き捨てられました。

長女を連発していたのは、母なんですけどね(汗)

母はいつもそう、反論されるといきなり逆上する・・。
そういう恐怖心を知らず知らずに植えつけられて育ったわたしは、それ以上は何も言えなくなる。
いつものパターン。

モヤモヤが渦を巻く気持ちを押し殺して、母の泊まったその夜は、そのまま黙って寝ました。

承諾もなにも、母にとってはわたしが保証人になって当たり前なのです。
「相談」という形をとりつつも、断れない仕組みになっているんだと思いました。

そして翌日、何事もなかったかのような顔をして、母は帰って行きました。
「アパートの件、よろしくね」と書かれたメモを置いて・・・。
「考えておいてね」や「返事を待っています」でもない。
もう母にしたら私は承諾したことになっているんだなぁと改めて思いました。

これで晴れて「駅近」を希望する母のアパート探しが始まる訳か・・と思うと、胃の中に大きな石が入ったような気分でした。


真夏ぅ

2014-07-26 10:53:01 | 日々のいろいろ
いつの間にか真夏になってしまいました💦
母のこと、息子のこと、いろいろあり。

久々に書こうと思ったけど暑くてかなわん!

とりあえず、オカメインコ( ̄▽ ̄)


おとといの夜からとうとうエアコン始動~。
今日も午前中は我慢の子だぞ。

あ、そうそう

スズメさんが遊びに来てくれるようになりました\(//∇//)\
かわいいの。






ご飯もお水もサービスしてます(*^^*)