母の帰った夜、いろいろ考えて眠れませんでした。
お金の面で迷惑をかけないというのは、今だけの話であって、働けなくなればそうはいかない。
うちには父もいる。
子供の養育と父の扶養。
うちにだってまったく余裕はないのよ。
母の言う「長女の責任」というのがあるとしても、それは父を扶養してることで果たしていることにはならないのか?
離婚した元夫を養っていても、それは母にしたら、関係ないんだろう。
自分も養えと、そういうことでしょう。
「長女」という言葉に反論したわたしに対して、激怒した母。
娘を思いやるなんて気持ち、一滴もないのだろう。
両親が離婚した頃のことを思い出した。
忘れていた訳ではなく、あえて思い起こしてみた。
両親の仲は元から悪かった。
でも、離婚は寝耳に水でした。
父にとっても、わたしたち姉妹にとっても。
なぜに今??
という中途半端な時期でした。
妹はまだ高校生で、卒業後は専門学校へ行きたがっていました。
でも、母の回答は「なに言ってるの、働きない」の一言だけでした。
その直後に、貯金を持って出て行きました。
妹の進学費用も当然残されていませんでした。
わたしは高校を出たら働くものだと決められていたので、当時はすでに働いていました。
でも、19歳という年齢で突然 水疱瘡にかかり(>人<;)
高熱と発疹でひどい状態となり仕事を2週間ほど休み、やっと出勤できたと思った矢先に、青信号を徒歩で横断中に酒気おびで信号無視した車に跳ねられ(ーー;)
再び数週間、怪我の治療で仕事を休むという、絶賛厄年体験中~!!の真っ只中で、両親の離婚はまさにとどめの一発となりました。
怪我してるんですけどどうやって通院するの?
加害者との折衝は??
いきなり家族解消???
いやはや、もうこれをパニックと呼ばずになんと呼ぶのかってくらい取り乱しました。
わたしの怪我や病気なんぞ、もろともせずにさっさと出て行ったのでした。
母はわたしも妹も引き取るつもりは鼻っからありませんでした。
さっさとアパートの決め、一人暮らしを始めました。
でも口先だけは、一人になった不幸な母親…でした。なぜか。
父からの過去の非道を全ての理由にして、子供の為にここまで耐えた優しい母!になりきりたかったようです。
あまりにも経済的な不安や健康の不安を口にするものだから、その時のわたしは完全に母の術中にはまり、わたしも働いているから一緒に暮らそうと打診しても、答えはノ~!
同情させるだけさせて、自分から離れないようにしておきながらも、決して近づけないようにする。
わたしも妹も苦しみの中にいました。
まんまと、母を守りたいという親を思う子供の気持ちを利用されていたともその頃は気づかなかったので。。
蓋を開けてみたら男がいたんですけどね。
男がいることが判明して、ようやく全てに納得がいったんです。
そりゃ、子供は邪魔だよな~。
相手は妻子持ちってか、母の友人のだんなさん。
そういや、あたしったら、その人と母との不倫疑惑が母の知り合いの中で浮上し、母が責められたことがあったのですが、その時潔白だといって泣き崩れた母の代わりに、なぜか謝罪に行かされてたんでした。
母は心臓が苦しいから行かれないとか言って(ーー;)
あたしったら、それまで母と仲良くしてくれていた人たちの前で、母は潔白ですが疑われるようなことをしてすみませんなんて言って土下座したんだった~。
そのわずか数ヶ月後には、母が一人で暮らすアパートにその男が毎日のように来ているのを、父に連れられて見に行かされたのでした。
父だって悔しかったんでしょう。
わたしは、母に裏切られた感がハンパなかったです。
別にハッピーな家族生活ではなかったけれど、それでもそれが崩壊した瞬間を味わったら自分の居場所がどこにもなくなったような気がしました。
それからの父と妹との3人暮らしは、それなりに暮らしてはいたけれど、それぞれがなにをやっているのかも関心がない、ただの同居人同士のような状態でした。
妹はさみしさから、母に電話で気持ちをぶつけたことがありましたが、泣いてさみしさを訴える娘に対して、母が返したのは、怒鳴り声。
「あんたに何が分かるのよ!!」と。
妹はもう何も言い返せずに電話を切りました。
母は同情を買うことばかり言い、自分が責められるなんてありえないことだったようです。
蛇の生殺しのように、母の都合の良い時だけ呼び寄せられ、手料理を振舞われ、自分がいかにも子供思いの優しい母親かという演出を繰り返し、娘の気持ちが離れて行かないようにする癖に、わたしや妹がふいに助けを求めた時は知らん顔。
そんな母でした。
男のことだって、何度となく問い詰めましたが、「友達よ。お母さんに友達がいちゃいけないの!!」と。
完全にしらを切り通されました。
不倫疑惑まで浮上して、娘に土下座までさせた相手が、深夜に訪ねてくる大切なお友達?
親としてだけでなく、人として終わってる~。
それが自分の親なんだと思うと、もう悲しさしかありませんでした。
お金の面で迷惑をかけないというのは、今だけの話であって、働けなくなればそうはいかない。
うちには父もいる。
子供の養育と父の扶養。
うちにだってまったく余裕はないのよ。
母の言う「長女の責任」というのがあるとしても、それは父を扶養してることで果たしていることにはならないのか?
離婚した元夫を養っていても、それは母にしたら、関係ないんだろう。
自分も養えと、そういうことでしょう。
「長女」という言葉に反論したわたしに対して、激怒した母。
娘を思いやるなんて気持ち、一滴もないのだろう。
両親が離婚した頃のことを思い出した。
忘れていた訳ではなく、あえて思い起こしてみた。
両親の仲は元から悪かった。
でも、離婚は寝耳に水でした。
父にとっても、わたしたち姉妹にとっても。
なぜに今??
という中途半端な時期でした。
妹はまだ高校生で、卒業後は専門学校へ行きたがっていました。
でも、母の回答は「なに言ってるの、働きない」の一言だけでした。
その直後に、貯金を持って出て行きました。
妹の進学費用も当然残されていませんでした。
わたしは高校を出たら働くものだと決められていたので、当時はすでに働いていました。
でも、19歳という年齢で突然 水疱瘡にかかり(>人<;)
高熱と発疹でひどい状態となり仕事を2週間ほど休み、やっと出勤できたと思った矢先に、青信号を徒歩で横断中に酒気おびで信号無視した車に跳ねられ(ーー;)
再び数週間、怪我の治療で仕事を休むという、絶賛厄年体験中~!!の真っ只中で、両親の離婚はまさにとどめの一発となりました。
怪我してるんですけどどうやって通院するの?
加害者との折衝は??
いきなり家族解消???
いやはや、もうこれをパニックと呼ばずになんと呼ぶのかってくらい取り乱しました。
わたしの怪我や病気なんぞ、もろともせずにさっさと出て行ったのでした。
母はわたしも妹も引き取るつもりは鼻っからありませんでした。
さっさとアパートの決め、一人暮らしを始めました。
でも口先だけは、一人になった不幸な母親…でした。なぜか。
父からの過去の非道を全ての理由にして、子供の為にここまで耐えた優しい母!になりきりたかったようです。
あまりにも経済的な不安や健康の不安を口にするものだから、その時のわたしは完全に母の術中にはまり、わたしも働いているから一緒に暮らそうと打診しても、答えはノ~!
同情させるだけさせて、自分から離れないようにしておきながらも、決して近づけないようにする。
わたしも妹も苦しみの中にいました。
まんまと、母を守りたいという親を思う子供の気持ちを利用されていたともその頃は気づかなかったので。。
蓋を開けてみたら男がいたんですけどね。
男がいることが判明して、ようやく全てに納得がいったんです。
そりゃ、子供は邪魔だよな~。
相手は妻子持ちってか、母の友人のだんなさん。
そういや、あたしったら、その人と母との不倫疑惑が母の知り合いの中で浮上し、母が責められたことがあったのですが、その時潔白だといって泣き崩れた母の代わりに、なぜか謝罪に行かされてたんでした。
母は心臓が苦しいから行かれないとか言って(ーー;)
あたしったら、それまで母と仲良くしてくれていた人たちの前で、母は潔白ですが疑われるようなことをしてすみませんなんて言って土下座したんだった~。
そのわずか数ヶ月後には、母が一人で暮らすアパートにその男が毎日のように来ているのを、父に連れられて見に行かされたのでした。
父だって悔しかったんでしょう。
わたしは、母に裏切られた感がハンパなかったです。
別にハッピーな家族生活ではなかったけれど、それでもそれが崩壊した瞬間を味わったら自分の居場所がどこにもなくなったような気がしました。
それからの父と妹との3人暮らしは、それなりに暮らしてはいたけれど、それぞれがなにをやっているのかも関心がない、ただの同居人同士のような状態でした。
妹はさみしさから、母に電話で気持ちをぶつけたことがありましたが、泣いてさみしさを訴える娘に対して、母が返したのは、怒鳴り声。
「あんたに何が分かるのよ!!」と。
妹はもう何も言い返せずに電話を切りました。
母は同情を買うことばかり言い、自分が責められるなんてありえないことだったようです。
蛇の生殺しのように、母の都合の良い時だけ呼び寄せられ、手料理を振舞われ、自分がいかにも子供思いの優しい母親かという演出を繰り返し、娘の気持ちが離れて行かないようにする癖に、わたしや妹がふいに助けを求めた時は知らん顔。
そんな母でした。
男のことだって、何度となく問い詰めましたが、「友達よ。お母さんに友達がいちゃいけないの!!」と。
完全にしらを切り通されました。
不倫疑惑まで浮上して、娘に土下座までさせた相手が、深夜に訪ねてくる大切なお友達?
親としてだけでなく、人として終わってる~。
それが自分の親なんだと思うと、もう悲しさしかありませんでした。