あこパパの大腸癌日記

24年5月直腸癌摘出手術StageⅡ。その後26年2月、同9月、28年9月肝臓転移が見つかり摘出手術を受けました。

癌で死ぬ人と助かる人

2014年03月06日 | 自分の死について
もしかしたら癌かもしれない
そう思いながらも、「まさか俺が?」と否定する
CTや内視鏡カメラで撮影された写真などを見せられても
本当に自分の体なのか、間違いの可能性は無いのか
その事実を飲み込めない。
自分は自覚症状が無く、全く傷みも不快感も無いから納得できない。

これが、キューブラー・ロスの「死ぬ瞬間」にある「否認」なのだろう。
次にくるのが怒りだが
自分は、まだ怒りを感じていない所をみると否認の段階なのだろう。
そして、自分が癌で余命幾ばくが無いことを事実として受け要れないと
怒りを感じないのだろう。

さて、自分は怒りを押さえられるだろうか
この怒りは、死という恐怖から逃れる為の怒りであり
どうしようもない悲しさや寂しさなのだろう
穏やかに過ごす事ができるか、家族に八つ当たりして
家族を傷つけたり、自分の終末に汚点を残しそうで
考えただけでも恐ろしい。

三番目の「取引」だが
やはり宗教なのだろう。神にすがる事になるのではないかな
我が家は仏教徒で真宗大谷派ですが
死ぬ事への恐怖を払拭できるような教義などあるのだろうか。
輪廻転生で、何度も生まれ変わるから死などに恐怖を感じる必要は無い
と考えるべきなのだろうか。

どこか他人事のようでもある「自分の死について」考えてみました。


キューブラー・ロス
否認
自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階である。
怒り
なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階である。
取引
なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階である。何かにすがろうという心理状態である。
抑うつ
なにもできなくなる段階である。
受容
最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階である。


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