溜まり場

随筆や写真付きで日記や趣味を書く。タイトルは、居酒屋で気楽にしゃべるような雰囲気のものになれば、考えました。

 “五万字の歴史書”の(五)

2015年09月07日 | 日記

 

全体の印象だが、やはり“軍国主義”“軍閥”の用語が目立つ。特に前文と本文前半だ。後半は“言論”。原文はmilitarismなのだろう。現代史研究で使われだした比較的新しい用語なのだが、ポツダム宣言で採用しているのでここで使われるのは自然の流れだろうし、当時は“なるほどり”なしでも読者は理解したであろうが、七十年後の読者にはどうも漠としている。“軍閥”にいたってはもっと漠としてる。民主主義の対極、非民主主義か。アメリカ側から見れば産業も教育もすべてがそこに集中した特殊政治機構。今様に言い換えると先軍政治か。もう一つは陸軍や海軍などの閥を含む、もっと広くて強いきずなの集団を言ったのか。軍人を取り巻くムラか。

一三〇〇年前に官僚制がスタートしたターニングポイントに大和の“まほろば”を描いた歴史書が、今も面白く読まれるように、二十世紀の半ば、時代の節目に推定一〇〇〇万部に現れたこの“連載”は「militarism and speech」として、ずっと先でも重要史料として使われるか。使われるようなき気がするのである。(おわり)

 

 

 

 


“五万字の歴史書”の(四)

2015年09月01日 | 日記

 初日の掲載は昭和十一年の2・26事件まで。行数は一〇〇〇を超す。かなりの分量だ。そして、書き出しの訳者・中屋氏のひとこと、「この一文は、事実を記述したものである。これによって日本国民は過去十数年間に日本において何が行われたかを知りうるであろうし、またこれによって日本国民は今後真の自由を得る方向を示唆するものであることを信ずる」と述べ、序文(はしがき)へと移る。序文は日本の軍国主義者の権力の乱用、国民の自由剥奪・・・と書き始め、昭和五年、日本の政治史は政治的陰謀、粛清、そしてそのころ台頭しつつあった軍閥の専制的な政策に反対した政府高官の暗殺によって大転換期を画した・・・と、この歴史記述の大筋を紹介する。言わば総論か。二日目の掲載は、「世界混沌に乗じ日独伊制覇を強行」と昭和六年(一九三一)から十年間のヨーロッパの動きを追う。こうして各論を読み進んで行くと、それぞれの場面、ピース、ピースの取材先はどこだろうと気になる。後半のアメリカの動きは自分のところの軍の動きだから正確に把握できるが、日本の動きを詳しく知るにはどういう取材をしたのだろうか。チームを作り、執筆者を割り当てて原稿が集まっても、翻訳の時間もいる。共同通信メンバーと何回か打ち合わせをしたようだし、これだけの分量を書き上げるとなるとかなり効率のいい取材をしないといけない。おそらく大半の記事はすでに新聞その他のメディアに出ていた周知の事実、即ち資料として使える新聞の綴じ込み、切抜きをチェックしていったのではないかと、と見る。大毎編集局で言えば、社会部長席そばのギー、ギー鳴る扉を開くとすぐ左にあった調査部。康煕字典など重厚な図書が並び、綴じ込みもびっしりと並び、事件ごとに整理されていた切抜きの束。ネタの宝庫でもあった。あれだ。同じような資料室が東京にあって、スタッフはできるだけ活用したのではないかと想像してしまう。  

昭和六年暮れに、もう治安維持法が動きだし新聞への圧迫が強まっていたのに都新聞が軍部の台頭を嘆き、「もし政府が軍部に屈服するならば国民の不幸はこれに過ぐるものはない」との社説に、『連載』は注目している。それに続く2・26事件を扱った個所では、時事新報(東京)の「軍閥蜂起を以て天皇の御稜威に対する公然の挑戦・・・」との社説を引用している。その後の方では「軍部の“戦争商売”に非難集中」の見出しがつき、「国民は外国に対し如何なる戦争もしてはいけない」という書き出しの北海タイムズについて「軍部は他の諸国が好戦的意向を有していると非難し、排外思想を鼓舞することに努力を集中したが、これらの主張が明らかに誤謬であることを明瞭に暴露した」と社説を高く評価し、「因みに同紙は自由主義的傾向を持つ地方紙で当時弾圧の厳しかった最中においてなお敢然と真理を語る勇気を持ち合わせていた」と絶賛している。(つづく)