goo blog サービス終了のお知らせ 

友垣

ふるさとを離れて過ぎし日々、つつがなしや友垣

囲碁礼賛

2011-12-14 17:18:09 | 話題
囲碁礼賛
                               古賀弘彦

 六十五歳で多忙な仕事を終え、工場の一要員となって暇な時間が出来ましたので、何を主力の趣味にしようかと考えた時、現役時代に少々手解きを受けた囲碁にすることにしました。会社から帰ってスカパーのビデオを見る。本や雑誌を読む。プロの実戦譜を並べる。パソコンソフトで習う。友人から借りてきたビデオを見る。土曜日、日曜日には、福祉センターや公民館、図書館等囲碁が出来るところが佐賀市及びその周辺には、二十ヶ所程ありますので、そこへ行って実戦を楽しみました。囲碁は、友人仲間も増えてゆき、七十五歳で仕事を終えた後には、ウイークディーも福祉センターの囲碁部へ通いました。熱心に対応したので今では五段、六段格で打っており、福祉センターの囲碁部と兵庫公民館の囲碁部の会長に祭り上げられて居ります。

 囲碁は、現在世界的に、女性間に、子供達にも、そして老人達の間にも、どんどん広まりだしております。囲碁の道具は、白と黒の碁石で最も単純ですが、コンピューターはアマチュアの初段にも達しておりません。チェスは、コンピューターが世界選手権者に勝っておりますし、将棋はプロと互角に戦って居ります。囲碁は、約千年前、紫式部が書いた源氏物語にも、清少納言が書いた枕草子にも、囲碁を打つ場面が何ヶ所も出てきますし、計算の仕方等も出てきます。紫式部の方が清少納言より少々強かったそうです。
 信長は、囲碁を打って、武将としての能力を高めて行ったとも云われて居ります。三コウが出来た時、本能寺の変が起きたので、三コウが出来たら不吉の兆候だと云われて居ります。川中島の合戦で上杉謙信と数度に渉って交戦し雌雄を決し得なかった武田信玄もよく碁を打ったと云われています。
 徳川家康は、プロの碁打ちを育て、禄を与えて、お城碁といって、歴代殿様の前で囲碁を打たせました。そこで育った家元が、本因坊家、安井家、井上家、林家の四家で、この三百年の間囲碁は、殿様の前で打たれ発展し、道策や秀策はじめ多くの優秀な騎士を輩出しました。

 さて囲碁とはどんなものか。また魅力はどこに有るのか。囲碁は、手談と云って言葉は通じなくても話しが出来ます。ボケ防止にも役立ちます。囲碁は調和であり現代にマッチしたケームだと云えます。現代は社会的に、ODAその他与える時代で、囲碁は、白黒合わせて100目だとしたら、四十九目与えて五十一目獲得したら勝ちになります。囲碁は、ゴルフにも似ています。布石がドライバーで、中盤の戦いがあって、グリーンがよせであります。個人技でもあります。
 囲碁は、何歳になろうとも、上達したいという気持ちを持っていれば、上達することが出来ます。100歳で囲碁を打っている人もいます。そして上達すればする程面白くなるゲームです。囲碁は、大局観と判断力であります。政治家も、経営者も作家もビジネスマンそして人生が判断の連続だとしたら、囲碁も、どこが大きいか、死なないか、連続するか、型が良いかの判断の連続であります。
 ピンチもあればスランプも有り、いかにその壁を破り好転を計るか、囲碁は人生そのものであり、良い囲碁を打って良い人生を送りたいものであります。囲碁が人生に似ている面で、人生には、親子、師弟、友人の各道があります。それを踏み外してはなりません。囲碁にも、石の進むべき道があり、それを踏み外すと石は、ぼろぼろに崩壊してしまいます。会社の仕事にも通じており戦略戦術が必要であり、これを駆使して戦わねばなりません。弱い時には守り、強い時には戦う。そういう意味では、囲碁は、哲学であり、力学でもあります。
 囲碁には、地を中心にする囲碁と、石の強さを中心にする囲碁があり、どちらにも片寄らずに、バランスのとれた囲碁を、オーソドックスの囲碁といいます。もう一つの囲碁の魅力に、囲碁は、宇宙に似て奥が深く幅が広い。その道を極めるに無限であります。囲碁は、知的ゲームとして世界で一番良く出来たゲームであり、趣味としても至福の時間をもたらしてくれます。
「辛伸」つらい時が伸びる時であります。
「探幽」奥深さを求める。人生は、徳をつみ、仁を学び、誠を実践する事が出来れば、生涯の喜びであります。「旬に日に新たに、日々に新たに、又日に新たなり」自からを励まして生涯を終えるその一瞬まで「道」を求めて新たな決意を持ち続け限りなく学び続けていく事ですが、合わせて囲碁の道を学んで行くと人生の幅が広がります。

 囲碁上達のコツとして、次の二つの事が上げられます。
一、良きライバルを持つ。
二、毎日囲碁に接する。
又囲碁は、強い人のそばにいれば強くなるとも云われて居ります。一般に使われている言葉に囲碁用語から来た言葉があります。「布石を敷く」将来に備え予め用意すること。「一目置く」優れた人に敬意を表して使う言葉。「駄目」好ましくない結果になること。「八百長」明治の初め八百長という人がいて、この人が囲碁を打つといつも一勝一敗でした。前もって打ち合せておき、うわべだけ勝負を争っている様に見せる事です。
 囲碁には、ルールの他に守らなければならないエチケットやマナーがいくらか有ります。自戒の言葉を記して見たい。
 ワースト一は、何といっても「待ったをする事」でしょう。
待ったは、自分の品格を落とすだけでなく、相手にも失礼であるし、上達への妨げになります。心すべき事であります。
 ワースト二は、観戦している時「助言感想を云う」ことでありましょう。
囲碁が佳境に入り、いよいよこれから勝負という時、横からいらぬ口を出されて不愉快な思いをする事があります。分厚い碁盤の四本の脚は見るからに、ゴツイ感じがしますが、これは「くちなしの実」を型取ったもので「くちなし」は「口なし」で暗に助言を戒めたものだという事です。
 裏面の中央には、四角に彫った「へそ」といわれる溝がありますが、これは別名「血溜」と呼ばれる物騒なものであります。昔助言した者の首を切ってここへ乗せ血が流れぬ様にした事からこの様な名がついたとの事であります。勿論これは、盤のくねりをとめたり、乾燥をはやめたり、打った石の響きを高めるために彫られているという事でありますが、助言者への強い憎悪からの作り話しでありましょう。「碁の助言いいたくなると庭へ立ち」「碁会所で黙って見ている強いやつ」。川柳を待つまでもなく観戦する時はじっと見ていて勝負がついてから感想を述べるようにしたいものです。
 ワースト三は「負けとわかっている碁をだらだら打つ」ことです。
さらに「負け惜しみを言わない」「礼を失しないようにする」等対局者について心がけるべき事は沢山あります。囲碁好きを夢中にさせる一つは、無限の変化にあるのではないでしょうか。確かに碁盤の目は19×19=361と有限であります。打たれた種類は361×361×360×359×・・・×1と途方もない数になります。無限に近いものと云う事が出来ましょう。古来どれ程多くの囲碁が打たれたかわからないが、全く同じ棋譜というものはなく今後もないとものと思われます。

 もう一つの囲碁の面白みとして、囲碁川柳というものがあります。全国では、囲碁川柳のサークルというものが有りますが知人の作った川柳をいくつか上げて見ます。

  ルンルンと家路も楽し五連勝
  ボケ防止詰碁のノルマ日に五問
  人の碁に口も手も出す弱いやつ
  一目差座布団のけて確かめる
  お浄土でケリをつけるという弔辞
  勝った日は妻に聞かせる碁の話
  何よりの見舞いでしたと碁の相手
  小娘にころっと負けてもう止めた
  殺す筋ビッシと決めて反り返り
  碁を打っているのは俺だ口出すな
  いつ来ますか約束迫る碁の相手
  二刀流囲碁の腕でより口達者
  入門書囲碁開眼は夢の夢

       了

最新の画像もっと見る