そよかぜから-映画

見てきた映画の記録です
ネタばれあるかも、気をつけて

男たちの大和

2006年02月04日 | 人間/社会派ドラマ

2005年 日本 145分
2006.2.4 TOHOシネマズ緑井
■監督 佐藤純彌
■出演 反町隆史(森脇庄八) 中村獅童(内田守) 鈴木京香(内田真貴子) 松山ケンイチ-仲代達也(神尾克己) 野崎妙子(蒼井優)

《story》
2005年4月7日 戦後60年。内田真貴子は父の遺言を実行するために、鹿児島の枕崎から、大和が沈んだ北緯30度43分、東経128度4分に船は向かった。船長は神尾。かって内田と大和で生死をともにした仲間だった。神尾の脳裏には、60年前の大和の光景が、戦友達の顔が浮かんでくるのだった。世界最大と言われた戦艦大和。そこには10代の若い少年兵の顔がたくさんあった。お国のためにとかりたてられ、まるで吸い込まれるように、身も心も一点に凝縮されていくように、大和の姿が重なっていった。母との別れ、恋人との別れ、兄弟との別れ、それぞれが思いを持ちながらも、それを出すことが許されず、最後の出撃となる沖縄向けて、大和は進み始めた。

「死ニ方、用意」
「守り抜くと誓った。死なないでと祈った」
「もう、会えない君を守る。」
「破れて目覚める」
「進歩のないものは決して勝たない。歴史がそれを証明している。敗れて目覚める。それ以外に日本が救われる道があるか? 今、目覚めずしていつ救われるか? いいか、これだけは覚悟しろ。俺たちは日本が新しく生まれ変わるための先導になるんだ。未来の日本人のために、日本の新生のために先駆けて散る。まさに本望じゃないか」


◎何かに動かされ、そこに進むしかない悲しい運命。戦争とは、そんな命が吸い込まれていくブラックホールのようなもの。本当はかっこいいものじゃない。痛くてつらくて悲しくて、自分が自分でいられない。何かに「生きる」ことの意味、「死ぬ」ことの意味を見いださなければ、ただただ空しいだけ。日本のため、お国のため、天皇のため、守るべき人々のため、それはただの死ぬために用意しなければならなかったもの。そんなもの用意しなくても、人のために生きることができる世界であってほしい。始めから死ぬことがわかっていて、進まなければいけない社会派おかしい。臼淵大尉が最後に言った言葉、これはさまざまな意味が見えて、さまざまなとらえ方がされるようだ。死ぬ理由をしっかりと持っていなければ怖くて仕方ない。だれのためでもない。先にすすまなければいけない、死という先へいかなければいけない、恐怖を克服するために、自分に言い聞かせているような、哀れさ悲しさを感じた。これでいいのかどうかわからないけど。この映画は戦争を美化しているのか、それとも戦争を批判しているのか。どちらでもないよ、そう考えることがおかしいよ、という声もある。しかし、自分の心の中でわき起こる感情は戦争をどうとらえているのかは、はっきりさせなければいけないと思う。そういう意味で考えさせられる映画だ。戦後人のために生きた内田。対照的に生き残った自分を責めて生きた神尾。60年たって「生きる」ことの意味がわかった。伝えなければ、戦争の悲惨さを、と、とらえましたがどうでしょうか。

男たちの大和 公式サイト


最新の画像もっと見る